49◆本物
アルスは儀式に立ち会い、精霊王の番であるエルミーラと話すことにすらなった。アストリッドに次いで当事者だったと言えるだろう。
ただし、霊峰に登った他の皆は息を詰めて待つしかなかったのだ。その方が余程つらかったと思われる。
特にアストリッドの母であるローザリンデは、二人が手を繋いで下りてきた途端にいつもの淑やかさをかなぐり捨てて駆け寄ってきた。
「アストリッド!」
「ははうえっ!」
ローザリンデは巫女の子でも、自身は一度も儀式を行ったことがない。すべてを伝えたとはいえ、不安で仕方なかったはずだ。
何も起こらないのならばまだしも、儀式が失敗した時に何が起こるのかがわからなかった。もしくは、失敗した際のことを母親から聞いていたとしても、それをアストリッドには伝えていなかったかもしれない。
ローザリンデでも、気配だけでは儀式の結果を知ることはできなかっただろう。
アルスも二人で登ってからどれくらいの時間が経過しているのか、実感がまったくない。
ただ、クラウスとラザファムがアルスの頭の上にいるナハティガルに気づき、慌てて駆けてきた。
「ナハっ!」
異口同音にナハティガルを呼ぶ。二人に迎えられ、ナハティガルは気分を良くしたらしい。フフフン、と胸を張っているのがわかった。
「たっだいまー」
ラザファムの足元に、猫になったエンテがいた。白い尻尾をビンビンに膨らませている。
「ナハティガル! まさか、本当に……っ?」
ナハティガルはアルスの頭の上でバッサバサ羽ばたくが、飛ぶつもりはないらしい。
「本当のホンモノ! こんな綺麗な羽、他にないでしょおが」
「ああ、そのふざけた性格は間違いない!」
エンテは嫌味のつもりはないのか、びっくりしたように言っていた。ナハティガルも聞き流している。
このナハティガルとの再会に一番思うところが多いのは、もちろんクラウスだ。
「おかえり、ナハ。俺のために、本当にすまなかった。これからは全力でアルスを幸せにするよう努力するから……」
何やら涙ぐんでいるクラウスに、ナハティガルはちょこっと首を傾げ、それから――。
「あー、まー、そぉねぇ。アレはねぇ――むぐっ」
アルスは頭の上に手を伸ばし、ナハティガルのうるさい嘴をグッと握った。
わかってたらやんなかったとか、余計なことは言わなくていい。
「ナハ、待っていたよ。おかえり」
ラザファムも優しい表情で迎えてくれる。が、アルスに嘴をつかまれているナハティガルは返事ができない。むぐむぐ言っていた。
そんなアルスたちを見て、近づいてきたベルノルトはクスクスと笑っていた。アルスの肩から降りた鼠の姿のシュヴァーンがベルノルトの肩に上り直す。
「ありがとう、シュヴァーン」
「いいえ、私は何もしておりませんので」
「そんなことはない。君がいてくれて二人も心強かっただろうから」
そして、アルスに金色を帯びた目を向けたベルノルトは小さくうなずく。
「やっと、アルスのそばにナハティガルがいる、この光景が見られた。皆が願って止まなかったことだから。アストリッドはよく頑張ってくれたね」
「うん。それで、私までエルミーラ様とお会いしたよ」
アルスがそれを言うと、その場の皆もさすがに驚いていた。
けれど、よく見ると母の腕の中で安心したのか、アストリッドが寝ていた。ほっとして疲れが出たのだろう。
「じっくりとお話をお聞きしたいところですが、今はとにかく下山しましょう。アストリッド様を休ませて差し上げなくては」
ヴィリヴァルトがそう言いながらアストリッドを背負い直している。
アルスも今になって疲れてきた。思えば、精神的に疲弊していて当たり前だった。
それに気づいたのか、クラウスもアルスの顔を覗き込む。
「アルスのことも背負っていこうか?」
ニコリと笑って言う。もちろん冗談だろう。
ただ意外に思ったのは、その軽口とクラウスの笑顔が明るいこと。ナハティガルが戻って、クラウスの心が軽くなったのだろう。
それを感じ、アルスも嬉しくなった。
「大丈夫。疲れたらナハに乗る」
嘴をつまんだままなのに、むぐーっと抗議された。嫌だと言いたいらしい。
ラザファムも、ベルノルトも笑っていて、こんな他愛のない会話で笑えるのは本当に久しぶりだった。




