48◆おはよう
また、夢を見ている。
アルスはそう思った。
「アルスぅ、アルスってばぁ!」
耳元で騒がしい声がする。とても懐かしい、声。
「寝すぎ! 起きて! おーきーてーぇ!」
本当に、うるさい。
「まったくもう!」
ズケッと脳天に痛みが走った。この痛みも懐かしい――が、痛い。
アルスは痛みに身じろぎした。
「い、痛――」
「あっ、起きた。どーお? アルス、だいじょおぶ?」
ナハティガルに気遣われている気がするけれど、どう考えてもあの尖った嘴のせいに思われる。
――ここにナハティガルがいるとして、だが。
「セイレイさんって、みんなこんななの?」
「皆ではありませんよ。たまにこのようなのがいるだけですから」
この会話に、アルスは、ん? と首を傾げたくなった。
アストリッドとシュヴァーンまで話し込んでいる。夢だからなんでもありなのか。
寝ぼけ眼を擦って座り込むと、そんなアルスの膝にぬいぐるみのようにつぶらな瞳をした青い鳥がちょこんと乗った。
「おっはよ、アルス!」
「おはよう、ナハ……」
いつものやり取りではあるのだけれど。
でも、変だ。
アルスは思わず膝の上のナハティガルを鷲掴みにした。
「ぎょえっ」
変な声を出すのもナハティガルらしい。
「ナ、ナハ?」
「はいよー?」
「お前、長いこと消えてたよな?」
「あ、うん。そぉねぇ」
普通に、こっくりとうなずいて返された。
あまりに何事もなかったかのように振舞うから、どこからどこまでが現実なのかアルスの方がわからなくなってしまった。
「クラウスのことを浄化して、それで消えて! 感謝してるけど、でも、代わりにお前が消えるとか、そんなの駄目だろ! なんてことしてくれたんだっ!」
夢だとしても、会えたのならいい。
今になってやっと、あの時の鬱憤をぶつけられる。そうしたら、ナハは首を傾けながら嘴を突き出した。
「あれね! あーれーねー。ボク、ナーエ村でやったのと同じようにしたんだよ? でもあの赤ちゃんと違ってクラウスはなかなか手強くてさ、頑張っても頑張っても消えなくって、あとちょっとあとちょっとーってやってたらボクがバラバラになっちゃってさ、ほんとびっくりだよ」
「こっちだってびっくりだ!」
「言っとくけど、こんなことになるって先にわかってたらやんなかったし!」
わかってたらやんなかったのか。
そういえば、ナハティガルは危険なことは嫌いだった。旅に出る時でさえ嫌がったのを無理やり連れ出したのだ。
ナハティガルが第一に考えるのは身の安全と、アルスの安全。
「だってさぁ、ボクがいなくなったら結局アルスは泣くじゃないのさ。ボクだって、アルスといられなくなるのヤだしぃ。ちょっと疲れて寝ちゃうカモ、くらいに思ってたの」
ナハティガルは、アルスのことをちゃんとわかってくれていたらしい。
本当に、たくさん泣かされてしまった。
「バラバラになってる間、なんにも考えられなかったんだけど、でもボク、アルスの近くにいたんだってね? いたんだって。知らないけど」
なんて言って揺れている。
見守ってくれていたのではないのか。ちょっと憎らしい。
会えたら、なんて言おう。ずっと、たくさんそれを考えていたはずなのに、出てこない。全部飛んでいってしまった。
思っていたような再会とはならなかったせいだ。
「お前、どうやって戻れたんだ? 精霊王とエルミーラ様のおかげだよな?」
「そぉそぉ。なんての? 集めてこねくり回してまとめてもらった感じ?」
「……有難みの失せる説明だな」
「アルスがうるさくしてゲオルギア様が起きたから、エルミーラ様は嬉しかったみたい。今回は特別だよって」
「う、うるさくした?」
聞き捨てならないが、エルミーラは自らが目覚めたこの時にゲオルギアにも目覚めてほしかったのか。アルスとイルムヒルトを自分たちに重ねて――。
それならば今頃、どこかで会っているのかもしれない。
「うん。でも、ボクが嫌なら精霊界に戻ってもいいし、好きにしたらいいって言うんだ。ねーえ、戻ってあげるけどさぁ、もうあんな無茶な旅とかやめてよ。それから、ちゃんと昼寝の時間作ってよ」
とても上から物を言われた。
アルスは無言になり、ぼうっとナハティガルを眺め、そうして涙を零した。
「えっ、ちょっ! アルスってば、泣かないでよぉ! 昼寝の時間、ちょこっとでいいんだからさぁ!」
ナハティガルが急に焦り出した。
アルスの手をすり抜け、肩に停まると、アルスの涙に濡れた頬にぐりぐりと頭を押しつけてくる。
「ごめんってば!」
アルスはそんなナハティガルを再び捕まえ、胸に抱いた。ちょっと潰れたけれど。
「本当にナハなんだな? もういなくなったりしないって信じてもいいのか?」
「いんじゃない?」
ナハティガルは潰れたまま、尾羽をピコピコと動かしている。
「でも、今度は私の方が先に逝ってしまうんだろうな。私がナハを置いていくんだ」
アルスは人だから、いつまでもナハティガルと一緒にはいられない。シュヴァーンたちが味わってきた悲しみをナハティガルにも与えてしまうのだ。
けれど、ナハティガルは騒がなかった。
「わかってるよ、そんなの。多分その時になったら泣くけど、今からそんなの考えなくていいじゃないのさ」
「うん、そうだな……」
ナハティガルなりに覚悟を持ってアルスのそばにいてくれる。それなら、アルスが思い悩むのではいけない。
今、この時を大事に、笑って過ごしたい。
涙を拭き、顔を上げると、アストリッドと鼠の姿のシュヴァーンがこちらを見ていた。
「えっと、これで儀式は終わったのかな? もう帰ってもいいのか?」
すると、アストリッドはこくりとうなずく。
「もうすることはないの。また一年後」
「そうか。ありがとう。頼ってばかりで悪いけど」
この先、アストリッドは、レクラムの血を引く娘が新たに生まれない限りはこの使命を果たすしかないのだろうか。
あの好色皇帝が笑って、そのうちどうにかなると安請け合いをしそうで嫌だが。
「トリさん、かわいいね」
ニコッとアストリッドが笑うと、ナハティガルはあろうことか訂正した。
「可愛いってのもあながち間違いじゃないんだけどさ、ほら、この宝石みたいな羽に相応しい誉め言葉ってそれじゃないよね? 綺麗だよね? ねぇ?」
面倒くさいヤツだ。アストリッドはポカンと口を開けたが、シュヴァーンが仕切り始めた。
「さあ、皆様がお待ちです。行きましょう」
「そうだな。行こう」
アルスも同感だった。アストリッドに外套を着せ直している間、ナハティガルは羽を見せびらかすようにバタバタと飛び回っていたが、アストリッドは疲れて眠たそうに見えた。
「歩けるか?」
「うん」
とりあえず、アルスはアストリッドと手を繋ぎ、来た道を戻る。
肩にはシュヴァーン。
そして、頭にはナハティガルを乗せて。




