43◆エルミーラ
――ここは、どこだ。
自分は今、どこにいるのだろう。
白い光の中、アルスはぼうっと佇んでいた。
光の中に人影があった。それはアストリッドだった。
ここにいる人間は二人のどちらかしかいないのだから当然か。
――いや、アストリッドの形をしているだけで、彼女が作る表情とはまるで違う。奇妙なほどの落ち着きを持ってアルスに目を向けていた。
『再びわたくしが呼び覚まされるとは思いもしませんでした』
その声はやはりアストリッドのものではない。凛とした大人の女性の声だ。
アルスの思考力が段々と戻ってくる。
「あなたはアストリッドではないのですね。呼び覚まされたということは、もしや……」
ここで出る名前はひとつだろうとアルスは思った。どの国の王よりも尊い相手では、言葉ひとつにも気を張る。
『わたくしはエルミーラ。この地に眠る精霊です』
やはり、そうなのだ。この山に眠る、神聖な存在――。
ただ気になるのは、先ほどまで足を着いていた霊峰の風景と違うこと。あの岩の柱も見えない、明るい光の中にいる。そして、肩に乗っていたシュヴァーンがいつの間にかいなくなっていた。
まさかとは思うけれど、これは現実での出来事ではないのだろうか。
アルスの精神にエルミーラが直接話しかけているのか。
だとするのなら、話し相手に何故アルスを選んだのだろう。
最大限の礼を保ち、アルスはエルミーラと相対する。
「私はレムクール王国のアルステーデです。数多の精霊を生み出したのはあなたではないのですか?」
アストリッドの姿を象っているエルミーラは、表情を一切浮べていない。それが恐ろしいというのではないが、胸の内が読めなかった。
『わたくしが生み出したと言えましょう。あなたたち人を生み出したのはゲオルギアですが』
あの本の内容は正しかったということになる。
ラザファムが保管しているはずだが、あの本は眠らせておいていいものではないようだ。
エルミーラの意図はわからない。けれど、こちらから願いを伝えることができるのは好都合なのかもしれない。
「あ、あの、レムクール王族の私にはナハティガルという守護精霊がいて、けれど力を使いすぎて消えてしまいました。どうか、ナハティガルを再び復活させて頂きたいのです!」
これだけはどうしても譲れない願いだ。アルスは切実に声を上げた。
エルミーラはアストリッドの顔でゆっくりとうなずく。
『ええ、わたくしもこの世界で起こったことはすべて知っております。あの子が消えるに至ったことも、すべて』
「はい……」
アルスは両手をグッと組んで握り締めた。感覚という感覚はないということにようやく気づく。これは精神世界なのだろうか。
エルミーラも、アルスがそれと気づいたことを察したようだと思えた。
『それで、あえて言わせて頂きますが、あの子は復活を望むでしょうか?』
「えっ?」
そんなことは考えたこともない。
ナハティガルはいつでもアルスのそばにいてくれた。だから、その気持ちを疑ったことはないのに。
『再びあなたのもとへ戻り、あなたを守護することを選ぶでしょうか?』
「で、でも、私のそばにナハの一部がいると――」
『ええ。それがあの子の望んだことだとは限りません。あなたの願いがあの子を繋ぎ止めているのでしょう』
それを言われて愕然とした。
望んでくれると、アルスは思い込んでいたのだ。けれど、自由がそこにあるのなら、ナハティガルはアルスを選ばないのか。
守護精霊として繋ぎ止められているからこそ、アルスのそばにいるしかないのだとしたら、ナハティガルの復活を願うアルスたちの奔走を喜んではいないと。
「わ、私は、ナハのことが好きで、護ってほしいからいてほしいんじゃなくて、ただ逢いたいんだ。うるさいだけでいい、役に立たなくったって、なんだって、大事な友達だから……っ」
そう、守護精霊なんて肩書は勝手についているだけのもの。アルスとナハは友達だった。
大切で、大好きな、友達だ。
敬語も抜け落ちてしまった、アルスの幼稚な物言いをエルミーラはどう感じたのだろう。
やはり感情の読めない声でつぶやく。
『あなたは何もかもを手にしようとしています。家族も、愛しい人も、友も。何もかも手にできない彼女の苦しみを、あなたはどう思いますか?』
エルミーラが言うことをアルスは理解できなかった。
けれど、その刹那、視界が変わった――。
そこはとても暗い場所だった。




