42◆儀式
はっきりと見えなくとも、空が近いと感じた。
照りつけるのとは違う、柔らかな光に見守られているような不思議な感覚がする。
白んだ木々は遠慮がちに生えているように見えるほど、その場所は開けていた。特に意味のない場所のようにも思われるけれど、柱のように立った細長い岩が点々とある。
「ここ、ここだよ!」
アルスと手を繋いでいるアストリッドが興奮気味に言った。
ここが儀式を行う場所だということだろうか。アルスは立ち止まり、アストリッドの目線に合せてしゃがみ込んだ。
アストリッドの肩に手を置くと、少し震えていた。
「深呼吸。少し落ち着こう」
落ち着けとは、いつもアルスが言われる側である。そして、本当は誰よりも気が急いて昂っているのも自分だ。
それを自覚しつつも、今はそんな幼い自分を押し留めておかなくてはならない。
アストリッドは赤くなった頬を膨らませて大きく息を吐いた。そんな仕草も可愛らしい。
「……うん、だいじょうぶ」
大丈夫と言いながらも、目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
それが緊張なのか、不安なのか、きっとアストリッド本人にもわからないのだろう。
それでも、小さな掌を胸に当て、力いっぱいうなずく。アルスもうなずいて返すと、アストリッドの肩から手を退かした。
アストリッドは、羽織っていた外套を脱ぐ。その下には純白の簡素なワンピースのような服を着ていた。あれが巫女服なのだろうか。
一歩踏み出す。
この時のアストリッドは、どういうわけだか力強く見えた。まだたった四つの、城から外の世界を知らない子供だったのに。自分の使命を持つと、それが芯になるのだろうか。
アルスはその背中を見守ることしかできないのだ。祈りながら成り行きを目で追っていた。
アストリッドの手首には鈴のついた布が巻かれており、その布を緩めると、シャン、と音が鳴った。
シャン、シャン――。
アストリッドの動きに合せて鈴が鳴る。
腕を振るい、小さな女の子が緩やかな動きで舞い始める。
そして、アストリッドは歌った。高い声で、それでも小鳥のさえずりのように美しく。
けれど、その歌はこれまでアルスが聞いたどんな曲とも違っている。歌詞もまたこの世界の言語とは思えないような音で、ひとつも理解できずに耳から零れていく。
シャン、シャン、と鈴が鳴る。
何もわからないけれど、アルスはただその光景に見惚れていた。それはこの世の出来事ではないかのようにすら思われた。
夢うつつの只中にいて、目覚めたらここは霊峰ではないのではないかという気になる。
アストリッドの腕の振り、指先、足の運び、そのひとつひとつにもきっと意味がある。
あの幼さで身につけるには大変な努力が要ったことだろう。
どうか、この儀式が正しく行われたものとなりますように――。
アルスはその場に立ち尽くしていた。巫女ではない、レクラムの民ですらない者がこの儀式を目にしたことはないのだろう。
アルスがこの場へ踏み入ってもよいと霊峰が認めてくれたのだとしたら、それは今後旧レクラム跡地に住まい、この霊峰と深く関わっていく身だからだろうか。
それが考えすぎだとしても、そんなふうにも思えた。
アストリッドの小さな手が、天に向けて差し伸べられる。
この時、アルスの視界が歪んだ。それが何故だかはわからない。それでも、眩暈のような感覚がして立っていられなかった。
耳元でシュヴァーンの声がしたけれど、その後のことはわからない。
アルスは目の前で行われている儀式とは違うものを目にしていた。




