39◆希望
霊峰の麓で待つアルスたちのもとへレプシウスの一行も到着した。
ピゼンデル側からはトルナリガ大統領配下の役人がほんの数名だけいる。トルナリガ大統領当人はもちろん、あまり注目を集めて大事にならないようにとの配慮で人を差し向けないという話になっている。この要人たちが霊峰へ踏み入るのを見届けるだけでつき添わないと取り決めをしてある。
それでも、三ヶ国の人間が集まるのはかなり珍しいことだ。それぞれに緊張感が漂っている。
そんな中、ローザリンデとアストリッドは外套のフードを目深に被り、あまり容姿を見せないようにしていた。人々の奇異の目が怖いのかもしれない。
それでも、ベルノルトを見つけ、二人が安堵したのもアルスにはわかった。
アルスは真っ先にアストリッドのそばへ駆け寄った。ナハティガルのことがなかったとしても、こんなに小さな子が長旅をしてきたのだから労わらなくてはならないと思う。
「アストリッド、疲れていないか?」
すると、アストリッドは視線を合わせたアルスにはにかんだ表情を見せた。
「うん」
そんな娘を心配するように、ローザリンデが肩に手を置く。
「霊峰も途中まででしたら同行できます。本当に立ち入れないのは途中からです。私も母から知識として教わっただけで、霊峰に登るのは初めてですが……」
「それでも頼りにしている」
ベルノルトがそう声をかけると、ローザリンデはその言葉を噛み締めるようにうなずいた。
「ことの重大さを知るからこそ、責任も感じてしまいますが、押し潰されてはいけないのも理解しています」
アルスはそんなローザリンデの手を取った。そうしたら、ローザリンデは神経が過敏になっていたのかひどく驚いていた。
「あなたたちがいてくれなかったら、どのみち世界は立ち行かなくなったんだ。それなら、もし上手くいかなかったとしてもそれは世界がそうなる運命だったってこと。何もあなたたちのせいじゃないし、責任だけ負わせるつもりなんてないんだ。あなたたちは救い手であって、希望だから。可能性を持っていてくれる、それだけで感謝しているんだ」
上手く言えないけれど、アルスなりにローザリンデに想いを伝えたかった。それだけで助けになるとは思わないけれど、何も言わないよりはいい。
この気持ちは伝わっただろうか。ローザリンデの手から強張りが抜けていった。
「ありがとうございます、アルステーデ姫様。行きつくところまで着いた後にはアストリッドのことをよろしくお願い致します」
「ああ、私も力を尽くす」
この時、クラウスとラザファムの視線を受けた。二人とも微笑んでこちらを見ている。ベルノルトも、ポン、とアルスの肩を叩いた。
「さあ、少し休んで体を整えてからいよいよ霊峰へ登る。あと少し、アルステーデのことをよろしく頼む」
アルスにではなく、アルスの肩に乗っていたシュヴァーンに向けた言葉だった。鼠の姿のシュヴァーンは可愛らしい姿に見合わない落ち着いた声で返す。
「ええ。先王様の御為にも姫様のことはお護り致します」
「ありがとう」
そうして、いよいよ霊峰へと向かうのだが、ピゼンデルが邪魔をしないのであれば問題はないのだろうか。
聖域とはいえ、登山は体力的に厳しいものになる。アストリッドをいかに疲れさせずに登れるかが重要だと思った。
それでも、敵と呼べる敵はいないと、そんなふうに思っていた。
山に登るにあたり、ヴィリヴァルトがアストリッドを担ぐ。アストリッドが疲れないように、ベルトのついたソファーのようなもので固定され、それをヴィリヴァルトが背負うのだ。最強とも謳われる武人が、なんとも和む光景である。
ただし、担いでいるのは世界の希望であり、主君の愛娘なのだから、ヴィリヴァルトにとっては気楽な任務ではないだろう。
ディートリヒは妻子を送り出す時、どのような心境だっただろう。飄々とした男だけれど、まったく心配していないということはない。今も帝都に在りながら、心はこちらに向いているのではないだろうか。
「アルス、気をつけて」
クラウスがアルスの手を取った。凹凸があって歩きやすい道ではないけれど、これくらいで転びはしない。アルスはこれでも峠越えだってしてきたのだから。
ローザリンデのことはフィリベルトが気遣って共に歩む。
「うん、ありがとう」
それでも、クラウスの気持ちだけは受け取る。
ベルノルトとラザファムが並び、後ろを歩いて上る。ベルノルトにはクラーニヒが、ラザファムにはエンテがついているのだが、精霊たちはどこか委縮しているように感じられた。それはこの霊峰が精霊王の番の墓だからだろうか。




