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Blue Bird Blazon ~アルスの旅~  作者: 五十鈴 りく
第5章 祈り

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37◆リリエンタール

 リリエンタール公爵とクラウスが対面する日取りが決まった。

 クラウスが落ち込んで見えるのはそのせいだろうかとアルスは考えた。だから、こっそりクラウスを部屋に呼び、アルスは手を握って勇気づける。


「クラウス、リリエンタール公が何を言っても、私がいる。私がクラウスの一番の味方だから、なんの心配も要らない」


 すると、クラウスは何故か泣き出しそうにも見えるような笑みを浮かべた。


「ありがとう、アルス。でも、父上とのことを気にしているわけじゃない」

「そうなのか? じゃあ、何が気がかりなんだ? レクラムのことか? まあ、大役だから責任を重く受け止めるのは仕方がないとは思うが……」


 クラウスは責任感が強いから、考えすぎてしまっているだけなのか。

 アルスがなんと言葉をかけようかと悩むと、今度はクラウスが動いた。アルスの手をするりとすり抜け、その手でアルスの頬に触れる。そうして、目を覗き込みながらつぶやいた。


「アルスには何も隠さないと決めたから、話す。それでいいかな?」

「もちろんだ」


 力いっぱいアルスが答えると、クラウスはうなずいた。

 これから二人で解決していかなくてはならないことばかりなのだ。だからこれでいい。


「霊峰で行う儀式によって、世界に精霊王の御力が増すというのなら、きっとそれによって魔の国(ラントエンゲ)は衰退する。それは世界にとって望ましい形だと、以前の俺なら言えたのに、今はどう言えばいいのかわからない。あそこには敵ばかりではなく、友もいた。ナハティガルを復活させるために必要なことなのに、気持ちが晴れない部分もある」


 アルスは呆然と、目を瞬くしかなかった。

 そんなアルスにクラウスは続ける。


「こんなことを言ってごめん。もちろん、儀式は成功してほしい。俺だってナハに会いたいから……」


 人の心は複雑で、何もかも割り切れるものではない。どうすればクラウスの苦しみが和らぐのだろう。

 アルスには何もしてやれなかった。


「友達って、あの姫のことか?」

「それと、もういないけど、シュランゲって名前の魔族がいつも一緒にいた。守護精霊みたいにそばにいて、話し相手になってくれていた。イルムヒルトも……そうかな。似た者同士だった気がする。彼女もあれから弱っているみたいだから」


 浄化されたはずのクラウスだけれど、完全にあの国と切れてしまったとは言い難いのかもしれない。それを嫌だと言ってもクラウスを困らせるだけだ。


「……世界(エーレ)は私たちだけのものではないんだな。魔族も生きて、世界にいる。向こうにとっては私たちの方が害悪だ。どうしてこう、世界は複雑なんだろう」


 アルスは魔の国のためにナハティガルを諦めるつもりはない。

 だとしても、クラウスの苦悩、あの姫の苦痛、そうしたものを見なかったことにはしない。犠牲の上に成り立つ願いを通すのなら、そのことを忘れない。アルスにできるのはそれだけかもしれないから。


「ありがとう、アルス……」


 クラウスは、フッと微笑んだ。悲しそうでいて、それだけではない。アルスの正直な気持ちはクラウスの傷に届いたのだろうか。

 魔のすべてを忌避するこの国にあって、アルスが気遣いと精一杯の理解を向けたことがクラウスにとってはほんの少しの慰めになったらしい。


「父上のことなら平気だよ。どんな言葉を受けても覚悟は決まっているから」


 それも悲しいことのようには思われる。

 ――クラウスは二年前、すでに諦めたのだ。切れた絆はもとには戻らないものなのか。


「うん……」


 アルスはそれでもクラウスの心配をした。



     ◇



 やはり、リリエンタール公は土気色の顔をして、成長したクラウスを亡霊を見るような目で見ていた。

 それも直視するのではない。呆然と、ぼんやりと、クラウスの心の奥を覗き見ているような――。


 この場には女王夫妻も同席し、二人が心配しながら成り行きを見守っているのが伝わる。


「……お前は何を望む? 何をしに戻った?」


 乾いた唇が声を絞る。

 リリエンタール公はクラウスを追放して弟のダリウスを後釜に据え、それですべてを忘れられるほど単純な人間ではないのかもしれない。心を殺して、最善と思う方を選び取る。けれど、罪の意識がまったくないということはなかっただろう。


「私に復讐したいか? ……それもよかろう。けれど、今はまだ待て。今のダリウスに公爵領を治めるほどの力はない。あれが育つまでは――」


 クラウスは、うわ言のようなリリエンタール公の言葉をため息で遮った。リリエンタール公はたったそれだけで言葉を失う。


「復讐なんてしたいと思ったこともありません。私が望むのは、アルスと共にいられること。そのために戻っただけです。あの時も、公爵家と縁が切れたとしても未練には感じられませんでした。ダリウスが継げばよいですし、私には関心がございません」


 突き放すような言葉だ。それでも、恨んではいないと言う。

 アルスはクラウスの心配をしながらそこにいた。

 リリエンタール公にとってクラウスは自慢の息子だったはずなのだ。あの事件さえなければ、こんなにも拗れることはなかった。


「……ダリウスには、これまで期待をしたことがなかった。何をさせてもお前のようにはこなせない。それが、今更になって掌を返し、後継ぎだと担ぎ上げた。あれは今、凡才ながらにその重責と戦っている。また、お前が戻り、要らぬと引きずり降ろすようなことは――」


 厳しいと思っていたリリエンタール公も人の親だ。これまでクラウスの陰に隠れて蔑ろにされてきたダリウスが、それでも奮起しているのだとしたら、その心を折るようなことは言えないらしい。


 ――けれど、クラウスは。クラウスもリリエンタール公の子供だ。

 クラウスに詫びる言葉ひとつないのは、恨めばいいと考えるからなのだろうか。クラウスに受け入れてもらおうと、許してほしいと願いたくないのだとしたら、それがリリエンタール公が生涯かけて背負う罪か。


 ただ、それでクラウスは納得するだろうか。

 アルスがクラウスを気にして彼を見上げると、クラウスは軽くうなずいていた。


「ええ、私は戻りません。恨んでもおりませんとお伝えしたのは本心です。私の居場所はちゃんと用意して頂けましたので、気に病まれませんように」


 表情を浮べずに淡々と告げる。

 リリエンタール公はクラウスに向けて何かをつぶやいた。けれど、それはあまりにも掠れた声で、アルスにも聞き取ることができなかった。それは謝罪か、はたまた感謝なのか。クラウスに届いたのかどうかもわからない。


 けれど、クラウスはそっと微笑んでいた。




 その日のうちにクラウスは、慣れ親しんだ〈リリエンタール〉という家名を名乗ることはなくなった。

 女王トルデリーゼと夫君ベルノルトから新たな姓が与えられた。


 クラウス・ヴァン・フリートベルク。

 それは旧レクラム王国の王族の姓だ。レクラム大公としては相応しいものであるのだろう。


 新たな名を受けたクラウスは、リリエンタールの家から解き放たれたと思えたのか、表情は晴れやかに見えた。

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