35◆大公
「あ、あの、さすがにそれは――っ」
アルスの隣に座っていたクラウスが動揺のあまり立ち上がった。
無理もないことだと思う。アルスもさすがに驚いた。
けれど、目の前の、この国で一番高貴な夫婦は腹を決めたのか笑顔をたたえている。
「能力、生まれに申し分はなく、何より霊峰の重要性を理解してくれているはずだ。それがもっとも大事な点だよ」
と、ベルノルトは言った。扱いにくい大貴族ではなく、ベルノルトを義兄として尊重することができるクラウスがよいのだ。
アルスは結婚後、レムクールを離れることになるとは思っていなかった。姉やパウリーゼ、ラザファムたちとの距離は寂しいけれど、レクラムの土地を護ることは皆の平穏を護ることにも繋がる。
「ありがとう。任された以上、精一杯やるだけだ。な? そうだろう、クラウス?」
ニッとアルスが笑いかけると、クラウスは目を瞬き、観念したようだった。今のクラウスに選択肢はそう多くない。これは最良の道なのだと思う。
クラウスは、すとん、と大人しく座り直した。
「……拙い、まだまだ若輩の身ですが、それを言い訳にはせぬように尽力致します」
頭を下げたクラウスを目の当たりに、姉とベルノルトはほっとした様子でうなずき合った。
「ああ。期待している」
「これから決めていかなくてはならないことがとても多いのですが、まずはアストリッド姫の儀式です。それが毎年滞りなく行えるようにしなくてはなりません。大公国に住む民も募ってようやく国となるのですから」
民がいなくては〈国〉ではあり得ない。クラウスはリリエンタール公爵領の領民を庇護する覚悟は持っていたかもしれないが、それとは規模が違う。不安はもちろんあるだろう。
けれどその不安はアルスも一緒に抱えて解決していくべきものだ。姉とベルノルトが常にそうしてきたように。
「それから、リリエンタール公にまったく話をしないわけにはいかない。近いうちに王城へ呼ぶことになるだろう。対面する覚悟を決めてくれ」
クラウスはうなずいた。この話が出た時、すでにその覚悟がいることには気がついていたのだろう。
クラウスを忘れてくれとアルスにダリウスを押しつけようとしたことに関しては今でも腹立たしい。ただ、それ以前のことを思い出してみると、悪いふうには思っていなかった。
クラウスの父親だということを差し引いても、嫌いなわけではなかった。人にも自分にも厳しい人だと思う。
クラウスと一緒に部屋を出ると、廊下でラザファムが待っていた。表情から、彼は先に話を聞かされていたのではないかと思われた。
「……なあ、ラザファム。お前は一緒に来てくれるのか?」
ラザファムがいたらどんなに頼りになるか、アルスたちがよく知っている。いや、頼りにならなくても、いてくれたら嬉しい。これまで受けた優しさをどこかで返していきたいから。
けれど、ラザファムは苦笑した。
「いいえ、僕はレムクール王国の精霊術師ですから、ついては行けません。けれど、時折お邪魔することはあるかと思います。何も今生の別れとなることはありません」
「そうだよな。ラザファムはベル兄様の大事な弟子だから、有能な精霊術師を連れていっていいなんて言わないか……」
寂しいけれど、そこまでの要求をしてはいけない。
これからはアルスとクラウスとで力を合わせていくのだ。
クラウスは口を開きかけたが、それよりも先にラザファムが言った。
「お前なら大丈夫だ。信じているから」
まっすぐに目を見て言われ、クラウスは小さくうなずいた。
「ありがとう、ラザファム」
そんなクラウスの肩を、ラザファムはぽん、と叩いて労った。




