33◆夢に見て、待ち侘びて
『アールス!』
アルスの幼少期、ナハティガルはいつもアルスが勉強に精を出していると邪魔をした。
この時も嫌々ながらに机に向かってペンを走らせていたというのに、勢いよくアルスの頭に追突してきたのだ。
『ブッ』
おかげでアルスの額にインクがついてしまって、もちろん怒った。
『ナハ! 今日中にこの宿題を仕上げないと先生に怒られるんだ! 守護精霊だったら邪魔をするな!』
アルスが怒られる原因を作るのなら、何も守護されていない。むしろ邪魔をされている。怒ってもいいだろう。
それなのに、ナハティガルの方が怒った。
『そんなの! アルスがずっとほったらかしにしてたからでしょおが! ギリギリにやんなきゃよかったんじゃないさ!』
正論だが認められない。
『私だって忙しかったんだ! 仕方ないだろうっ?』
『先生はできない宿題は出さないって言ってたし!』
『あーもーうるさい!』
耳を塞いで頭の上のナハティガルをふるい落とそうとしたが、ナハティガルは落ちてこない。目が回るだけだった。
『守護精霊として言わせてもらうけどさ、アルスが下ばっかり向いてるとツマンナイんだってば!』
『どこが守護精霊としての発言だ! ただのカマッテチャンじゃないか!』
『そうだよ、構ってよ! つまんなーい!』
頭の上でジタバタされては宿題などできたものではない。アルスはペンを放り出した。
『いいだろう。その代わり、お前のせいで宿題ができなかったって言うからな!』
開き直ったアルスに対し、ナハは放り出したペンを羽で器用に拾ってみせた。
『それはヤダ。もういいや、宿題しなよ』
『お前なぁっ!』
ぎゃあぎゃあ騒いで喧嘩になる。小さなパウリーゼを連れた姉がその騒がしさに顔を出した。
『何の騒ぎかしら?』
――こんなことは日常茶飯事だった。
いつでも騒がしくて、本当に騒がしくて。
だからこんな静けさはもう終わりでいい。
懐かしい夢から覚め、寝台の上でアルスはそう思った。
ナハティガルに会える日が近づいている。そう信じているからこそ見た夢だった。
◇
アルスは姉たちの帰りをひたすらに待ち続けていた。
守護精霊のいないアルスはあまり表に出なくてよいと言われ、城の中で大人しくしているしかない。クラウスも同じで、あまり目立つことをしないようにと言われている。
姉とベルノルトがいない時は尚のこと、フォローが難しいので人前には出ない方がいいという話になっている。アルスはよくパウリーゼと一緒に過ごした。
「アルス姉様はクラウスと結婚するのでしょう? そうなると、公爵家の方はどうなのかしら?」
本来であればアルスは降嫁して公爵夫人という地位に落ち着くはずだった。それが、クラウスは公爵家とは絶縁した。今の彼はとてもあやふやな存在なのである。
だからアルスがクラウスと結婚するには、クラウスが公爵家に戻るか、それ相応の肩書を与えられるかのどちらかでなくてはならない。
リリエンタール公はクラウスがもとに戻ったと知れば勘当を解くだろうか。クラウスがそれを受け入れるかはわからない。クラウスが嫌なら公爵家はダリウスが継げばいいとアルスも思う。
ならばどのような立場であればよいのか。武勲が必要かもしれない。
問題は山積していたとしても、今のアルスには問題を横に並べる気にはなれなかった。ひとつずつ解決していかなくてはならない。それがまずはナハティガルのことで、霊峰で行われる儀式なのだ。
「落ち着いてから考える。姉様やベル兄様もそれについては考えてくれている気はするけど」
アルスたちだけでは解決できない問題だ。パウリーゼもうなずいた。
「そうね。適当な領地を頂いたらいいのではないの?」
「簡単に言うなぁ」
「わたしの結婚の際にも同じことが言えるんだから。これはアルス姉様だけに言えることじゃないわ」
「うん? そうかな?」
よくわからないが、パウリーゼは先のことも考えているらしい。
そうしていると、侍女が女王帰還の一報を持って現れたのだ。
ようやくかと、アルスは高鳴る胸を押さえながら立ち上がった。




