29◆蟠る禍根
ベルノルトは、ようやくトルデリーゼと夫婦水入らずになれた。
もっと早くにそうしたいと願っていたのだが、トルデリーゼは何せ多忙を極める。女王ともなれば仕方のないことではあるのだが。
夜になって、トルデリーゼの守護精霊ファルケとシュヴァーンを隣室に、二人きりで寝室に籠った。
広すぎるベッドの上で抱き合い、互いのぬくもりを与え合いながら話した。
「あなたに妹がいたなんて、まだ信じられないくらい驚いたけれど、こんなにも嬉しいことはそうそうないわね」
女王の澄んだ瞳がベルノルトを見上げる。
化粧を落とし、髪も解いているトルデリーゼは、それでも誰よりも美しかった。そのまぶたにベルノルトは口づける。
「ああ。……不思議だな、ずっと、そんな可能性は考えたこともなかったのに」
「私の妹が三人に増えたのね。彼女を庇護してくださっていたディートリヒ皇帝陛下に感謝しなくては」
世間から護ってはくれたのだが、手をつけたのだから純粋な感謝はしたくないが、それでも大事にしてくれているのならベルノルトが怒るところではないのだろう。ローザリンデも可愛い娘を授かって幸せなようだから。
「少し複雑なところではあるけれどね。それで、あの子、アストリッド姫が巫女として儀式を行うことができれば、ナハティガル復活の可能性も夢ではないのだろうか。……正直なところ、こればかりは私にもわからない」
レクラムの王族であるベルノルトが精霊との親和性が高い理由のひとつとして、やはり霊峰を護る一族であったことが大きい。今になって思えば、霊峰の精気がそうさせたのではないだろうか。
儀式を行うのは巫女だが、王族にもまた霊峰を敬う行事はいくつも行っていた。
トルデリーゼは白く細い指でベルノルトの頬を撫でた。
「そうであってほしいという願いだけでは現実は動かないけれど、それでも……」
「本来、霊峰での儀式は精誕祭の日に行われたはずだ。そうなると、儀式は春まで待たなくてはならない。それまでアルスは寂しい思いをする」
しかも、その儀式の後にナハティガルに会えるとは限らない。もし駄目だった時の落胆は相当なものだろう。
その空虚をクラウスは支えてくれるはずだが。
そのクラウスも、人には戻れたとはいえ、本当になんの支障もないのかはまだわからない。こんな事例は知らないからこそ、まだ正確な判断は下せなかった。体は大丈夫なのだろうか。
ただ、クラウスがどうであれ、もうあの二人を引き離すことはできないとだけ思う。ナハティガルもクラウスもいないのでは、いかにアルスが気丈であってもまったく平気ではないのだから。
「そうね。でも、どのみちピゼンデルとの会合もまだ実現していないのだから、儀式を行えるように霊峰へ立ち入る支度も簡単ではないわ。春に行うのも間に合うかどうかというところね……」
三ヶ国で親書のやり取りが必要となっている。その中でセイファート教団の大司教も会合に加わることになった。世界や精霊王が関わることで蚊帳の外であってはいけないだろうという判断だ。
「ピゼンデルに霊峰の所有権などない。それを主張したとしても、だ。第一、このまま世界の均衡が崩れてしまえば困るのはピゼンデルも同じだ」
レムクール王国にピゼンデル人が密入国した。その報告をラザファムから受けてベルノルトは目の前が白むほどの怒りを感じた。
そのピゼンデル人はすでに捕えてある。この状況でなければ、ベルノルトは何をしたか自分でもわからなかった。そんな自分を恐ろしいとも思う。
怒りが我を忘れさせてしまう。
けれど、それは個人の感情に過ぎない。今、あのピゼンデル人たちは切り札なのだ。上手く利用するべき者たちであり、私怨の憂さ晴らしにするのでは意味がない。
トルデリーゼも、この件に関してベルノルトの独断を許さないだろう。
――それでいい。
憂いを隠し切れない彼女の目がベルノルトに向くたび、ほんの少しずつ冷静になれる。
「ええ、それはもちろんそうだけれど。アストリッド姫にばかり重荷を背負わせるわけにはいかないわ。私たちもできることを精一杯しなくては」
世界を救えるのは彼の姫だけだとしても、そこへ送り出すのは皆の役目だ。
彼女を全力で護らなくてはならない。
ベルノルトは時折思う。この胸にわだかまる憎しみは、世界にとっての禍根でしかないのだろうかと。
無残に殺された者たちのため、この憎しみを忘れてはならないと自分に課してきたのだ。
許しはしない。それでも、恨むばかりで未来を濁していたいのではない。
どんな道がこの世界に残されているのだろう。
そのために、自分がすべきことを――。




