26◆城へ
行きはあれほど大変だったのに、帰りはあっという間と言っても差し支えないほどだった。
馬車はシュヴァーンが出す明かりを頼りに夜通し走り、朝には王都へ到着したのである。アルスは馬車の中でクラウスにもたれかかって眠ってしまった。
目を擦りながら起きると、クラウスは眠っていなかった。
「あ、ごめん。重たかったな」
「そんなことはないよ。俺もさっきまで寝ていたから」
そっと笑って返された。何故か妙に上機嫌に見える。
「それならいいんだけど」
そんなやり取りをしていると、向かいの席でベルノルトが笑いを噛み殺していた。
アルスは変な寝言でも言ったのだろうか。
「ベル兄様?」
軽く睨むと、ベルノルトは笑うのをやめた。
「いや、私もトルデリーゼに早く会いたいなと思って」
「???」
城へ戻った時、アルスは堂々と馬車から皆の前に出ていくわけには行かなかった。何故なら、そもそもアルステーデ姫は城にいるはずだからである。それから、クラウスも出歩けない。
民衆には、リリエンタール公爵家の嫡男クラウスは、父親との不和がもとで廃嫡となり放逐されたといった程度の認識しかない。魔に染まってノルデンへ送られたなどという話はごく一部の者しか知らないのだ。
真相に近い噂を聞いたところでまさかと思うだけだろう。
アルスとの婚約を解消した辺りから、親子間の不和が女性問題だと思われていたら気の毒だが。
そんなわけで、馬車は城下で降りるしかない。アルスは今も庶民が着るようなコートを着ているし、旅の間もほとんど正体を知られなかった。多分、このまま歩いていても大丈夫だろう。
アルスは城下から城を見上げる。旅の初めにアルスが城の窓から飛び降り、ナハティガルがそれを受け止めて地面に下ろしてくれた。前にこうして城を見上げた時にはナハティガルが共にいたのだと、胸がチクリと痛む。
「さあ、あと少しだ」
ベルノルトはフードを被り、颯爽と歩く。クラウスの表情は硬かった。
ここまで来るとクラウスを知る者も多くいる。リリエンタール家の屋敷も一等地にあり、ここから見えるのだ。
アルスはクラウスの手を取り、無言でうなずくと歩き出した。クラウスの手がギュッとアルスの手を握り返す。
ぬくもりが心地よい。
この人を取り戻すための旅だったのだから。
「シュヴァーン、二人を目立たないように隠してほしい」
ベルノルトの要請に従い、シュヴァーンは霞のような細かい光を放った。アルスとクラウス自身はよくわからないけれど、これで隠れているのだろうか。
「行こう。私がいいというまで口を利かないように」
「わかりました」
クラウスが神妙に答える。そうして、ベルノルトは城の正面ではなく横手の兵舎の入り口を使った。
番兵はフードを脱いだベルノルトに驚いて敬礼する。
「少し城下を視察してきた。正面から戻ると目立つから、こちらを通らせてもらうよ」
「左様でございましたか。どうぞお通りください」
「ああ、いつもありがとう」
にこやかに愛想を振り撒く。ベルノルトが兵士や家臣に対して物腰が柔らかくなったのはトルデリーゼの影響だと言う。彼女から学んだ、とても効率的なやり方だと。
アルスはクラウスと共にベルノルトのすぐ後ろにくっついて門を潜る。そこからひたすら歩き、やっと王城の庭園へと続くアーケードに出た。
アルスは久しぶりの城に懐かしさが込み上げた。ナハティガルを守護精霊に選んだのもこの庭でのことだ。
「このままアルスの部屋へ行こうか。その恰好では出て行けないだろう。クラウスもラザファムを呼ぶから待っていてくれ」
ベルノルトは小声で言い、城の中へ入ると湾曲した階段を上っていく。
アルスの部屋は王の私室の下の階で、パウリーゼも同じ階に部屋がある。
ベルノルトがアルスの部屋の扉を開こうとすると、部屋は施錠されていた。アルスは自分の部屋でも鍵を持っていない。
そこでシュヴァーンが鍵穴に体の一部を滑らせて開錠してくれた。
「ありがとう。――さあ、アルス」
「う、うん」
アルスはクラウスと共に部屋に滑り込んだ。やっと、ここまで帰ってきたのだと思うと感慨深い。
ただし、この旅の終わりはアルスの願ったものではなかった。
こんなにも悲しみを色濃く残している。
いつもナハティガルが好んで停まっていた椅子の背に目を向けたら、どうしようもなく侘しくなる。
そんなアルスといると、クラウスもまた罪悪感で苦しむのだ。
「あのアストリッド姫の儀式が成功すれば、また……」
「そうだな。また」
ただし、ナハティガルという個体の精霊を復活させるためにどのようなことをすればいいのかはまだ判然としていない気がした。
アストリッドが行う儀式は成功率を上げるためのもので、直接繋がってはいないような――。
いつまでも二人、手を繋いでいた。そうしたら、扉がノックされて驚いて手を放した。
誰だろう、と警戒したのも束の間。パウリーゼの甲高い声がする。
「アルス姉様、お戻りなのでしょう? 可愛い妹が参りましたのよ。入れてくださいな」
久しぶりに声を聞くと、アルスもパウリーゼに会いたくて仕方がなかった。クラウスに目配せするとうなずく。
パウリーゼはどこまでの事情を知っているのだろう。
まず何から話そうかと思いながらそっと扉を開けたら、パウリーゼはアルスに体当たりをするように部屋へなだれ込んだ。守護精霊のアードラもバサバサと羽ばたいて部屋に入ってくる。
「おかえりなさいませ、アルス姉様」
「パウ、ただいま」
パウリーゼの勢いに押されて妹の後ろを見ていなかったのだが、パウリーゼの後ろにはラザファムがいた。
黒い革表紙の本を二冊抱えて立っている。




