25◆帰路
ヴィリバルトが用意してくれた船は軍のものだった。遊覧船でも使うのかと思っていたのだが、こちらの方がかえって目立たないとのことだ。
小型の軍船は哨戒用なのだろう。トーレス村から渡してもらった小舟とは違い鉄製で、舳先も尖っている。手漕ぎではなく帆があり、こちらの方が速そうだ。
ペイフェール川は、旧レクラムにある霊峰から始まり、レプシウスを通りレムクールへと流れ、海に続く。ペイフェール川が国土の中を一番長く通っているのはレプシウスだ。
「私も同乗致します」
ヴィリバルトが申し出てくれた。その隣にはフィリベルトもいる。聖水を補充できたからなのか、ペイフェール川だからいいのかはわからない。
「よろしく頼む」
揺れる船にベルノルトが乗り込む。アルスとクラウスも続いた。
レムクールではあまり船に乗る機会はないが、ベルノルトは堂々としていた。アルスはといえば、川渡しの舟でひどい目に遭った記憶が未だに生々しかった。
ベルノルトはローザリンデとの再会を約束し、そのうちにトルデリーゼとも会わせたいと言っていた。
船が川風に乗って走り始める。川幅はやや狭いが、それに合わせた船なのでつかえることはない。
トーレス村の手前くらいなら半日で着けるという。
ヴィリバルトは近寄り難いしかめっ面で部下と話し込んでいた。
アルスはなんとなく、船縁にいたフィリベルトに声をかける。
「あなたはどうして祓魔師になったんだ? 兄君のように武官になりたいとは思わなかったのか?」
すると、フィリベルトは風で乱れた髪を押さえながら微笑んだ。
「むしろ、あんな兄がいてなろうと思いますかね? 違う方面から手助けした方がいいかと思いまして。他にもあと三人兄弟がいるんですが、皆がそれぞれ好き勝手しています」
そのうちの一人が魔の国に連れられたというわけらしい。
「そうだな。私も姉様や妹とは性格が全然違うし、そういうものかもしれないな」
自分が並び立つのではなく、一歩下がったところから姉を助けられたらいいと思う。フィリベルトとアルスの考え方は似ているかもしれない。
フィリベルトと他愛のない会話をしていると、視線を感じた。クラウスがじっとこちらを見ている。
アルスがあの魔に染まった弟のロルフェスのことを話してしまわないか心配しているのだろう。
「ああ、婚約者殿が妬かれていますね。アルステーデ姫様と間近でお話しできて僥倖でしたが」
「妬いて? ちょっと違うんだが」
苦笑しながらクラウスのもとへ戻る。
「あのロルフェスの話ならしていない。大丈夫だ」
「あのって、ループレヒトのことか?」
「うん。言ってない」
それなのに、クラウスの眉間には皺が刻まれていた。
「そんな心配はしていない。ただ、近いなと思って」
「近い?」
「いや、彼のあの顔は一般的に整っていると言えるだろうな」
「で?」
「…………なんでもない」
クラウスは急に項垂れた。
近いというけれど、川風がうるさいのだから遠くにいたのでは聞こえない。内緒話をしていたわけでもないのに。
そんなやり取りをしていたら、何故かベルノルトがククク、と声を立てて笑っていた。
「アルステーデは顔のいい男なんて見慣れているよ。気にするだけ無駄だ」
まさか本当に、クラウスが妬いていたなんてことがあるのだろうか。
クラウスはベルノルトにそれを言われ、耳が赤くなっていた。アルスにはそれが少し面白かった。
「――そろそろでしょうか?」
ヴィリバルトがそれを言った頃、すでに昼を回って久しかった。ベルノルトはうなずき、ローブの下に潜っていたシュヴァーンに声をかける。
「私たちを運んでくれるかい?」
「ええ、お任せください」
天馬の姿になるが、それでも三人も乗せるとさすがに負担がかかりすぎる。ベルノルトも最初からシュヴァーンだけに頼むつもりではなかったようだ。
さらにクラーニヒを呼び、クラーニヒはツバメから黒馬へと姿を変える。クラーニヒの背に翼はなかったが、蹄のそばにツバメの羽のようなものがそれぞれについている。
「クラーニヒはクラウスを乗せてくれ」
「畏まりました。さあ、どうぞ」
クラウスは精霊に乗ったことなどないはずだが、それでも普通の馬よりは制御を必要としないと見えて楽に乗れたようだ。ただし、二体の精霊が船の甲板から足を離して浮かび上がった時には緊張の面持ちだった。
「じゃあ、色々とありがとう!」
アルスがヴィリバルトたちに声をかけると、ヴィリバルトはアルスというよりも後ろに乗っているベルノルトに向けて言った。
「これからが肝要です。世界のために、どうぞよろしくお願い致します」
「ああ、わかっている」
シュヴァーンは、ナハティガルのような危なっかしい飛び方はしなかった。力強く宙を蹴るようにして飛び上がった。飛び上がった上空は寒かったけれど、思ったよりも風が柔らかい。それというのも、シュヴァーンが護っていてくれるからだ。
空から見下ろすと、大地は言いようもなくただ美しく、胸に迫る。川の流れが清らかなのは、効力を知ってみると当然のことだった。
そのままトレース村に降りるのかと思えば、シュヴァーンとクラーニヒは風に乗ってふわりと飛び、降下する気配がない。
「天候にも恵まれていますし、このまま行けるところまで行きましょう」
そう言って、シュヴァーンは軽やかに空を行く。クラーニヒも必死でついてきてくれるが、シュヴァーンほどの馬力はないらしく、少々遅れがちだった。
アルスがクラウスのことを気にしているからか、シュヴァーンはしばらくすると野に足を着いた。
「ここはどの辺りだ?」
アルスは通ってきた道のはずがよくわからなかった。トレース村よりも南だということだけが確かなことだ。
「デッセルの町の近くです。ここから馬車を使えば明日には王城へ辿り着けるでしょう」
とシュヴァーンが答えてくれた。
「助かったよ、ありがとう」
ベルノルトが礼を言い背から降りると、シュヴァーンは天馬から鼠の姿になって縮んだ。
「お役に立てましたのなら何よりです」
そうして、ベルノルトが差し出した手に乗ると、シュヴァーンはそこからアルスを見つめた。
「私も先王陛下の守護精霊であった身でございますれば、姫様を想うナハティガルの心がわかるように思います。再びナハティガルが姫様のもとに戻れますよう、私も願ってやみません」
「うん。私もナハに会いたいよ」
シュヴァーンは父の死後精霊界に帰った。その時のシュヴァーンの心境を思うと切ない。
そして、クラーニヒが追いつく。クラーニヒは疲れ果てているようで、クラウスを降ろすなりツバメの姿になってベルノルトの肩に停まった。
「ありがとう、クラーニヒも」
「い、いえ……」
ペシャン、と肩の上で潰れている。疲労困憊だ。
ベルノルトはすぐにクラーニヒを帰した。
「さてと。それじゃあ馬車の手配をしよう」
ベルノルトの容姿は目立つのだが、普通に町の馬車乗り場へ行くつもりだろうか。そう思ったけれど、ベルノルトはあっさりと領主館へ行き、ベーレント卿の代わりに赴任してきた領主代理と話をつけて馬車で送ってもらう段取りを組んだのだった。




