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18◆巫女

 ヴィリバルトが連れてきた人物は、長身の彼のせいでとても小さく見えた。それも仕方がないことである。

 被っていたショールを解いたその人は若い女性だった。


 落ち着いた丁子色(クローブ)のドレスが、かえって彼女の若々しさを引き立てている。アルスよりも年上ではあるが、そう離れてはいないだろう。


 美しく整った顔立ちだが、やや垂れ目であり、そこが彼女の優しさを表しているように見えた。瞳は金色を帯びていて、背中まである下した髪は淡い緑色である。


「まさか……」


 ベルノルトは声の発し方を忘れてしまったかのように、自身の口元を押さえて固まってしまった。

 二人は、とてもよく似ていた。性別や年齢こそ違うが、これでまったくの他人のはずがない。


 その女性は感極まった様子で目を潤ませ、顔を覆って泣いていた。立っていられないのか、部屋の絨毯の上に膝を突く。ベルノルトはそんな彼女に駆け寄った。


「君は誰だ? 教えてくれ」


 浅黒い肌でもわかるほど上気した顔。声は上ずっている。

 彼女はやっとのことで涙を止め、ベルノルトを見上げた。


「ローザリンデと申します、お兄様……」


 ベルノルトを兄と呼ぶ。

 けれど、ベルノルトはかぶりを振るばかりだった。


「私に妹などいない。けれど――」

「お兄様はお后様の御子ですが、私は異母妹に当たります。それも、生まれたのはこのレプシウスでのことです」

「どうして、そんなことが……」


 自分以外のレクラムの民はすべて死に絶えたとベルノルトは信じていたはずだ。それが、今になって生き残りがいたと知らされた。しかも、かなり近しい血縁で、妹とは――。


「なんでもっと早く知らせてくれなかった?」


 アルスは思わずディートリヒに問いかけたが、ディートリヒは苦笑しただけで答えなかった。

 今は口を挟むなと言いたいのだろうか。隣からクラウスがアルスの手を握って止めた。


「君を身籠った母君がこの国に亡命していたということか?」


 ベルノルトの言葉にローザリンデはどこか苦しそうにうなずく。


「はい……。母は五年前に亡くなりました」

「母君はどういう方だった? 我が父のそばに近づけたのなら、女官か何かか?」


 言わずに済ませられることではなく、ローザリンデは覚悟を決めたように一度短く息を吸い、それから答える。


「母は巫女でした。ですから、私は許されざる禁忌の子で、もしこれが公になってしまえば母子共にどうなっていたかわかりません」


 黙ったベルノルトの表情がどこか険しく見えた。だからか、ローザリンデも言いづらそうに先を続ける。


「母は、誰の許しを得ることもなく出奔し、助けを求めてここまでやってきたのです。そこで事情を知った先帝陛下が秘密裏に母を匿い、私を育ててくださいました。母が出奔したすぐ後にピゼンデルが侵攻してこなければ、母はいずれ追手に見つかっていたかもしれませんが、皮肉なことに母を知る者がほとんどいなくなってしまったのです」


 レクラムは一夫多妻制であったという。側室を迎えても構わなかったはずが、巫女はいけないという。

 そもそも、巫女とはどういう存在なのかアルスは知らない。


「巫女って?」


 アルスがベルノルトを見遣ると、義兄はただ苦りきった顔をしていた。その代わりにローザリンデが柔らかな声で答えてくれる。


「霊峰エルミーラにて祭式を司る存在です。レクラム王族の血を引く、男性との交わりを知らない清らかな乙女のみがその役割を担うことができるのです」


 清らかであることを求められる乙女が妊婦だとする。それが発覚したら罪に問われたのかもしれない。


「ただひとつだけ弁明させて頂けますなら、母はレクラムにおける祭式の秘技をレプシウスに漏らしておりません。ただし、娘である私だけにすべて伝えてくれました」


 この神秘的な雰囲気を持つ女性は、巫女としての技を口伝で覚えたということらしい。その重要性がアルスにはよくわからなかった。

 ベルノルトは、ポツリ、ポツリ、とつぶやく。


「霊峰で行われる儀式は、国を越えて世界(エーレ)にとっても大切な祈りだと言われていた。今のセイファート教団が行うものとはまったくの別物で……。今の霊峰はピゼンデルに封鎖され、そのような儀礼が行われているはずがない。それが世界衰弱の理由なのか?」


 ローザリンデは躊躇いながらもうなずく。


「創世記に、〈精霊王の(つがい)は地に眠る〉とあります。霊峰エルミーラは、精霊王の番そのものだと教わりました」


 霊峰は、世界の人々が思う以上に重要なものだった。人々は争い事にかまけてその霊峰を疎かにしてしまった。それこそが自らの首を締める行為だとも知らず。


「それじゃあ、その儀式を正しく行えたら、世界はよい方へ転じるのか?」


 独り言のようにアルスが口を開いたら、それに対し、ローザリンデは優しくうなずいてくれた。


「はい。正しく行うことができたなら、世界における精霊王の御力は増すことでしょう。魔族の力を削ぐことにも繋がります」


 そして、それを行えるのは目の前のこの女性だけなのだ。

 アルスは、ローザリンデを身籠って逃げてくれた彼女の母親に感謝した。もちろん、身勝手な感謝だとは思うけれど。


 そうだとしても、アルスはどうしてもナハティガルを諦めたくない。

 アルスのためにすべてを投げ打ったナハティガルだから、アルスもナハティガルのために何かがしたい。


「現在、霊峰エルミーラはピゼンデルの支配下にあります。それでも、ローザリンデ様を霊峰までお連れするしかないのですね?」


 クラウスが神妙な面持ちで言うと、ローザリンデは表情を曇らせた。

 長らくというよりも、生まれてからずっと宮廷の奥底から出てこなかった女性なのだ。そこに辿り着くまでがあまりに遠く感じるのだろう。


「儀式は一度で済むものではない。定期的に行わなくてはまた同じことが起こる」


 と、ベルノルトは戸惑いつつも答えた。

 すると――。


「まあ待て。ローザリンデは儀式を行えぬ」


 ディートリヒが突然水を差すようなことを言った。

 問題は、彼女をどのようにして霊峰へ連れていくかということではないのか。


 アルスが愕然としていると、ディートリヒは自分の頬を軽く掻き、それからローザリンデの肩を抱いた。


「ローザリンデは私の(つま)なのでな」


 褐色の肌をポッと赤らめるローザリンデを目の当たりに、アルスとベルノルトがどんな心境であったのかは言うまでもない。


 つまり、ディートリヒが彼女に手をつけたばっかりに、この世界は衰退し、ナハティガルを蘇らせることもできないかもしれないと。


 アルスは目に涙を浮べながらこの好色皇帝を罵りたい気持ちでいっぱいだった。それを横から伸びてきたクラウスの手が止めたけれど。


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