16◆終わらない旅
ベルノルトはレプシウス帝都への来訪をトルデリーゼに報せるのに、この状況でシュヴァーンを向かわせるつもりはないようだった。シュヴァーンは小さな鼠の姿になってベルノルトのローブの下に潜る。
代わりにベルノルトが呼び出したのは、クラーニヒという精霊だ。薄青い不思議な色をしたツバメの姿で降りてくる。
「すまないが、トルデリーゼに伝言を頼みたい」
「火急のご用件とお見受けします。承知致しました」
「ああ、実は――」
クラーニヒは礼儀正しく、ベルノルトの言葉に耳を傾けてから飛び上がった。
それからベルノルトは少し考え、北の方を見遣る。
「ナーエ村の件を受けて、ノルデンへ部隊を向かわせている」
コルトの父親であるナーエ村の元村長グンターの減刑のためだ。それにしても一部隊を向かわせるとは思わなかった。それほど今のノルデンを危険視しているのだろうか。
「ノルデン関しては長く蓋をしてきたようなものだから、これを機に状態を見直すべきだろうかとトルデリーゼと話しての結果だ。アルステーデが旅立ってから支度を進めていた」
「ベル兄様も、ノルデンにクラウスがいると思っていた?」
「ああ。二年前、クラウスを見送るべきではなかったのに、当時の私には勇気がなかった。それを申し訳なく思っている」
当時のベルノルトは、王太女であった姉の婚約者に過ぎなかった。立場と言えるほどのものもなく、後ろ盾もない。姉の愛情だけが頼りで、実力を認められるように必死だった。それをクラウスも理解してくれているのか、緩くかぶりを振った。
そしてこの時、ラザファムはベルノルトに向けて告げる。
「僕は一度王都へ戻らせて頂きたく思います。過去の文献を繙き、何かナハティガルのためにできることを探して参ります」
ベルノルトはそれを聞くなり表情を険しくした。やはり、そんなことは無理なのだと考えている。それを何度も言わないだけで――。
けれど、それでもラザファムは諦めずにいてくれる。優美な面立ちに決意の見える目をまっすぐベルノルトへ向けていた。
そんなラザファムの姿にアルスも胸が震えた。
「ラザファム、ありがとう」
涙が滲みそうになる。ラザファムはふと、とても優しく微笑んだ。
「必ずとお約束したいところですが、どうなるかはわかりません。それでも、僕なりに後悔だけはしないように尽くします。おそばを離れますが、どうぞ無茶をなさいませんように」
この旅が始まって、最初からついていてくれたナハティガルを失い、そして次に同行してくれたラザファムとも別れる。最初に予定していたクラウスとの合流を果たせたのに、アルスの旅はまだ終わりを見ない。そして、行き先も予測のつかない方へ変わってしまった。本当にわからないものである。
ラザファムよりも先に、アルスたちの方がヴィリバルトに促されて出立の支度をした。砦の負傷者たちのこともエクスラーが手配してくれている。レプシウス兵も半日の間、手を貸してくれたようだ。
魔獣との戦闘で疲れ果てていたけれど、ゆっくり休んでいる時間はなかったのだ。汚れだけを落として、レプシウス軍部の馬車に揺られ、アルスたちは国境を越えて隣国へと向かう。
この馬車は飾り気はあまりなく、堅い装甲が黒い箱のようだった。ヴィリバルトとアルスたち三人がそこに乗り込む。やはり先に帰ってしまったらしく、フィリベルトはいないようだ。
「弟君は祓魔師として優秀なようだな。助けてもらったのに、何か気分を害するようなことをしてしまったのならすまない」
アルスが馬車の中で斜め向かいに座るヴィリバルトに言うと、ヴィリバルトは苦笑した。
「いえ、そのようなことはございません。向こうで合流することでしょう。あのまま残っていても戦力にならないから戻ると申し上げたまでです」
「あんな技があるのに戦力にならないなんてことがあるか?」
その辺りがよくわからないけれど、祓魔術を使うと疲弊するものなのかもしれない。レプシウスは精霊の力を借りずに魔族を撃退しているのだからすごい。
「祓魔術は秘技だ。セイファート教団の者でさえ一部しか知らされていないという。ここ十年ほどで格段に効果が上がったとは聞いていたが、本当のようだ」
アルスの隣でベルノルトが言うと、落ち着いた声が補足してくれた。
「あれは人の知恵ですね。とても興味深い使い方です」
ベルノルトの襟の辺りからシュヴァーンが顔を覗かせていた。けれど、ヴィリバルトがギクリとしたためか、それ以上何も言わなくなった。ヴィリバルトは精霊に馴染みがないようだ。
道中、クラウスはやはり心配そうに見えた。
今度クラウスと二人になれたら聞いてみたい。あの魔族の姫からは禍々しさは感じなかった。
ダウザーに護られたあの姫は、それでも〈悪〉なのかと。