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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

神の月

作者: 由 綾乃


「あなたはなにも、見なかった」

 黒いレースの向こうから、鷹を思わせる鋭い目が威圧してくる。

 蛇に睨まれた蛙の如く身動ぎ出来ずにいたら、そのひとは踵を返した。

 ひらり、と裾が翻る。

 去っていくその背中を呆然と見送る。小柄なその姿が見えなくなると、辺りの空気がすっと軽くなった心地がした。

 ――存在する次元が違うのか。

 あの服装の所為ばかりではあるまい。纏う空気そのものが、自分とは『違う』。

 あれは一体『何』だったのだろう。



 神の月



「とりっく・おあ・とりーと!!」

 どんっ、と腹に衝撃。

「ぐはっ」

 うめき声が漏れた。

「とりっく・おあ・とぉりーぃと!!」

 語尾を強くして、駄々を捏ねるような声が再度上から降ってくる。同時に衝撃も降ってきた。

「ま、まま、まって……っ!」

 何とか身を捩り、三度目の衝撃は免れる。

 寝起きの不意打ちは卑怯だと思うが、五歳児にそれを言っても始まらない。

 目を開けると、 果たしてその凶暴な五歳児は、黒マントと三角帽子、プラスティックのスティックを持って、ベッドの上に 君臨していた。

「とりっく・おあ・とりーと?」

 暴君が右手に持ったスティックを持ち上げて、くるくると回した。――凶器。

「お菓子ねっ、あげるってば!」

 だからやめてー。

 些か大仰に両手で顔を覆ってみせたら、暴君は漸く腕を下ろしてにっこりした。

「おかしちょうだい」

 くりくりした目で両手を差し出す。

「おーかーしー!」

 ぼんぼんと、ベッドの上で飛び跳ねる怪獣を、何とか宥めすかしてベッドから這い出して着替える。

 スティックをぐるぐる回す怪獣を連れて階下に降りると、姉の姿が見えた。

「あら。おはよう、いち」

 しゃあしゃあと言ってのける姉に思わず毒づく。

「姉貴だろ、けしかけたの」

 五歳児を顎で指し示すと、姉は悪びれることなく、

「だって、いつまでも起きてこないんだもの」

 と言った。時計を見れば既に十三時を回っている。

「お昼ごはん食べちゃって」

「んー」

 口で勝てる相手でないことは重々承知しているので、文句は言わずに従う。

 おんなには逆らわぬ。それはこの家での掟である。

「ねぇ、いちー。おーかーしー」

 怪獣が袖を引く。小さく溜息を吐いた。

「……何がいい?」

「あいすー」

 冷蔵庫を覗いたがアイスはない。

 ……仕方ない。

「姉貴、アイス買いに行って来るよ」

「みゆもいくー」

 五歳児が手を挙げる。このパターンでいくと、大体、高いものを奢らされてしまう。

「ハイハイ、いってらっしゃいー」

 姉には笑顔で手を振られた。『MAMIYA』か『C・DIVA』のアイス確定。

「美由、この恰好で大丈夫なの?」

「いいんじゃない?」

 再度溜息。

 小さな魔女と連れ立って、家を出た。


 


 

「あいすーあいすーあいあいすー」

 妙なリズムをつけて小さな魔女が歌う。

「あいすーあいすーにゃんにゃんー」

「うん?」

 魔女の足が止まる。公園の生垣に潜っていく猫の尻尾を視界に捉えた。

 追い駆けようとする魔女の手を、ぐいと引いて止める。

「アイスが先」

 一瞬、む、とした表情をされたが、アイスをちらつかせれば直ぐに笑顔に戻る。子供のこういうところが好きである。

 結局『C・DIVA』でワッフルカップに入ったアイスを買わされた。季節限定のハロウィンアイスクリーム。栗と南瓜の甘い味。スポンジケーキを混ぜ込んでチョコレートをかけたそれは、魔女の口にも合ったらしい。

「とりっく・おあ・とりーと!」

 店で魔女が店員に向かってそう言ったら、ポッキーを二本と十パーセントオフがサービスされた。どうやらそういう趣向があったらしい。さすが姉貴、そこまで仕込んでやがったか。

 アイスを食べ終わり、いつもの通りそれでは済まされずに、近くのガチャガチャに二回ばかり金を遣わされた後、さっき猫を見掛けた公園に寄った。

 ブランコに乗り、滑り台で遊び、砂場で山を作ると、流石に魔女も疲れたらしい。

「いちー、だっこー」

 両手をあげてせがむ幼子を背中に負う。

 子供のお守りは別に嫌いでは無いのだけれど。

 早い夕暮れに、小さく溜息。何となく、一日無駄に過ごしてしまった気がする。

 緩くかぶりを振って詮無き考えを払い落とし、歩き出そうとしたその時、


 にゃおん


 猫の鳴き声がした。



 目を向けると三毛猫が一匹、茂みの中から歩み寄ってくる。

「美由。ほら、猫……」

 猫の姿に反応しない姪を振り向けば、彼女は天使のような顔で眠りについていた。

 なんだ、寝ちゃったのか。

 起こさないように帰ろうとした。のだが。


 ぐわぁん


 突如、耳鳴りがした。

 なんだ、と思う間も無く、視界が歪む。

 立って居られず膝をついたその刹那、


 りん


 鈴の音がした。





「――名香六十一種名寄文字くさり、」


 鈴の音に負けぬ、凛とした声。

「それめいこうのかずかずに にほひうえなきらんじゃたい いかにおとらんほうりゅうじ」

 呪文、にしかきこえない。

 声のする方に目を向ければ、手に傘を持つ人物がこちらに向かって歩み寄ってくる。

 レースにフリルにリボンといった装飾品で飾られた、黒を基調としたロココ調のワンピース。 ウエストを僅かに絞り、そこから下はふんわりとヴォリュームがあるデザイン。スカートの裾からは 白いレースが見え隠れし、足元の黒いブーツの上で、編み上げたリボンがゆらりと揺れる。 小さな頭にちょこんと乗せられた帽子からは、喪に使用されるような黒いレースが下がって、顔の半分を覆っている。 その、表に出ている方の目が、こちらに一瞥をくれた。

 ――鷹のような鋭いまなざし。

 だが、それは直ぐに外れた。

「――、」

 ゴシックアンドロリータ姿のそのひとは、手に持つフリルのついた傘の先を猫に向けて、何かを呟いた。

 ぶぅんっ

 強い、ノイズのような音。思わず目を瞑り、瞼を開けると、

「……な、」

 猫の背後に、なにやら巨大な『もの』が出現していた。

 後退さる。背中に回した手に力が篭もる。

 ――その『もの』は、鈴虫のようなかたちをしていた。

 ひとの倍はあろうかという大きさの、その姿は透けている。まるでセロファン紙で出来ているよう。

「――十種(とくさ)はやはり無理、か」

 傘を持ったそのひとは、呟いて、唇の端を持ち上げた。笑った、みたいだった。

 ふわり、とそのひとの身体が地面を離れる。と、ほぼ同時に何かがぶつかる音が辺りに響く。

 そのひとが揮った傘が、セロファン紙の鈴虫らしきものを、バッサリと両断していた。


 ぱらぱらと。まるで紙吹雪のように散った鈴虫らしきものは、地面に着く前に霧消していく。

 重力を無視してゆっくりと地に降り立ったそのひとは、埃を払うような仕草をした後、振り返る。

「あなたはなにも、見なかった」

 美しい目に威圧されて動く事が出来ずにいると、そのひとはそれを諒承と受け取ったのか、 さっと踵を返した。

 薄暮に溶け込むようにしてその背中が消えていくのと同時に、辺りの空気が軽くなる。

 まるで、存在する次元が違うような。

 しばらく、そのひとが去って行った先をぼんやりと眺めていた。背中で幼子が小さく寝言らしきものを言った。

 ――ああ、帰らなくては。

 立ち上がり、膝の汚れを落としてから歩き出す。

 ――『あれ』は、一体『何』だったのだろう。


 見上げた紺色の空に浮かぶ(まる)く満ちた月が、何だかやけに(しろ)くて大きかった。


 

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