影の薄い俺たちは、いつも窓際でこっそりイチャイチャしている
「なぁ、昨日の『汚職刑事』観た?」
「観た観た! めっちゃ面白かったよな!」
「まさか警部の娘が黒幕だったなんて、驚いたよ。しかもその娘が主人公の初恋の相手だったとか……真実とは、残酷なものだよね」
「だな。放送直後にSNS覗いたら、汚職刑事マニアたちがとんでもない量のコメントを書いていたぞ」
「どうせ君もそのマニアの一人なんだろ?」
「バレたか」
どっと湧いた笑い声が、教室内に響く。
笑い声がまるでこの教室を支配しているように思えるのは、きっとその笑い声の主がカーストの頂点に君臨するリア充たちだからなのだろう。
これが彼ら以外の、それこそ地味なオタクたちだったとしたら、こんな空気にはならない。絶対に。
リア充たちが昨晩放送された大人気ドラマの感想で盛り上がっている中、俺・三沢春輝は一人窓際の席でそんなことを考えていた。
窓の外を眺めながらリア充たちの会話に耳を傾けているものの、俺は決してその輪の中に入ろうとしない。
というか、入れるわけがない。
理由は単純明快だ。俺が影の薄い、非リア充だからである。
文化祭や体育祭でクラスTシャツを作れば、名前が載っていない確率30パーセント。クラス会が催されれば、呼ばれない確率80パーセント。体調を崩して学校を休んだのに、欠席していることにさえ気付かれず出席扱いになっている確率に至っては、驚異の100パーセントだ。
普通に考えれば酷い話なのだが、皆これっぽっちも悪気がないわけだから、怒ることも出来ず。高校に入学する頃には、もうそういうものなんだとほとんど諦めていた。
リア充たちが日の当たる場所で脚光を浴びている一方で、俺は今日も日陰でひっそり一日を過ごす。
でも、それで良いんだ。いや、それが良いんだ。
さて。1時間目は数学の小テストだし、教科書でも見直しておくこととしようかな。
登校して早々やることもないので、学生の本分に徹しようと鞄の中に手を入れたその時、ふと隣から「わっ!」と声をかけられた。
突然耳に飛び込んできた声に、俺は驚いてビクッとなる。
隣を見ると、ショートカットの女子生徒が、俺に笑いかけていた。
「ねっ、びっくりした?」
してやったりという顔ではにかむのは、鬼沢深春。俺の恋人だ。
「「びっくりした?」じゃねーよ。普通に「おはよう」って言えないのか?」
「だって、「おはよう」ならもうしたじゃん」
そういえば。
今朝ゴミ出しに行った時、既に深春と朝の挨拶を済ませていたんだっけ。
だからって、驚かせることないと思うが。
「で、どうなの? びっくりしたの?」
「……びっくりしたよ」
観念したように両手を上げながら、俺は言う。
実際そこまで驚いていないのだが、恋人にこうもキラキラした顔をされてしまっては、「驚いた」と答えるしかないだろう。
彼女の為に嘘をつくのも、彼氏の役目だ。
「よしっ! それじゃあびっくりした春輝の負けってことで、放課後のデート費用全部奢りね」
「はっ!? ちょっと待て! そんなの聞いてないぞ!」
前言撤回。
嘘をついても、ろくなことにならないだけだ。
「デート費用出したくない?」
「出したくないというか、出せないんだ。……今月結構ピンチなんだよ」
「どうせまたゲームや漫画を買いすぎたんでしょ? それでおばさんに怒られたんでしょ?」
はい、その通りです。流石は俺の彼女、よくわかっていらっしゃる。
「ったく、仕方ないなぁ。だったら……私に「好き」って10回言ってくれたら、罰ゲームはなしにしてあげる」
深春に「好き」って言う? 今ここで? 10回も?
深春に対する愛は「好き」×10程度で収まるものじゃないけれど、しかしながらこの場でそれを何度も口にするのには抵抗があった。
「やだよ。周りに聞かれるだろ」
「これだけ騒がしいんだよ? 誰も私たちのお喋りなんて、聞いてないって」
……考えてみたら、それもそうか。
俺たちの会話なんて、川のせせらぎや雨の降る音といった、自然音のようなもの。
仮に耳に入ってきたとしても、誰の記憶にも残らない。
お金がないのは事実だし……うん、背に腹はかえられないな。
俺は可能な限り声量を抑えて、
「好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き」
要望通り、深春に「好き」と10回言った。
「もう10回」
……マジかよ。
えーい! もうこうなればヤケクソだ!
「好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き」
「うん、私も大好き」
間髪入れずに返された「大好き」に、俺の顔は真っ赤になった。
タイミングよく担任が教室の中に入ってきて、朝のホームルームが始まる。
「それじゃあ連絡事項を伝えるぞ。……って、どうした、三沢? 顔が赤いが、熱でもあるのか?」
「……いいえ。何でもありません」
どうしてこんな時だけ、俺の変化に気付くんだよ。
◇
俺と深春は家が隣同士で、所謂幼馴染みというやつだった。
両親が仕事で遅くなる時、俺は決まって鬼沢家に預けられた。
小さい頃は一緒にお風呂に入って、一緒の布団で寝て。俺と深春は、家族同然だった。
二人の関係性に転機が訪れたのは、中学2年生の時。
「深春と俺にとって姉ちゃんなのかな? それとも妹なのかな?」。何気なくした俺の質問に、深春はこう返してきたのだ。
「私は春輝のこと、お兄さんとも弟とも見たことないんだけど……」
いつもより小さい声で、顔を真っ赤にしながらそんなセリフを吐かれたら、そりゃあもうイチコロだ。
俺の方こそ、深春を一人の女の子としか見られなくなるよね。
それから俺と深春は付き合い始めた。
幼馴染みから恋人同士へ代わり、一つ気付いたことがある。
深春は可愛い。
これは別に彼氏だから言っているわけじゃなくて、贔屓目を抜きにしても、間違いなく美少女の部類に入る女の子だ。
実際高校に入学した直後は何度か告白されていたわけだし。
普通なら、深春はリア充たちの輪の中にいるような存在なのかもしれない。
もしそうでなかったとしても、下心丸出しの男子生徒たちが彼女に話しかけに来る筈だ。
しかし美少女でありながら、深春は皆の注目を集めない。その理由は、彼女の告白を断る際の常套句にある。
「あっ。私、彼氏いるんで」
思春期男子高校生の繊細な恋心を粉砕する、残酷な一言。しかもそれから延々と彼氏との惚気話を聞かされるわけだから、告白した側からしたらたまったもんじゃない。拷問に等しい。
まぁ告白した彼らも、まさかその彼氏が俺だとは思ってもいないだろうけど。
彼氏のことが大好きすぎる美少女に、わざわざ話しかけるドM野郎なんて、そういない。
結果深春も俺同様クラス内で目立つタイプではなくなったのだ。
幼馴染みから恋人同士になって、早2年。交際は、順調に進んでいる。
相手の欠点をどれだけ許容出来るのかが、関係を長続きさせる秘訣だというけれど、それに関しては全くと言っていいほど問題ない。
俺たちは幼馴染みなんだ。互いの欠点くらい熟知しているし、とっくの昔に受け入れている。
でも……不満がないと言えば、正直嘘になる。
今の俺には、深春に対して一つだけど不満というか、悩みがあった。
「春輝は今日のお昼、どうするか決めてる?」
「いつも通り、学食で済ませるつもりだけど?」
「じゃあさ、私と一緒に食べない? 春輝の分も、お弁当作ってきたんだ」
「マジか! お前の手作り弁当が食べられるなんて、ツイてるぜ!」
「ううん。手作り弁当じゃなくて、愛妻弁当」
因みにこの会話をしていたのは、4時間目授業中である。
もう一度言おう。授業中である。
俺の不満もとい悩みというのは、まさに深春が今とった言動を指すのであって。
俺と深春の席は、現在隣同士だ。そして再三になってしまうが、俺も深春もクラス内では影が薄い。
この2つの利点を使って……深春は誰にもバレないように、こっそり俺とイチャイチャしようとしてくるのだ。
◇
その日のイチャイチャは、物理の授業中に仕掛けられた。
授業が始まるなり、深春は「あっ」と小さく声を漏らす。
「どうかしたのか?」
「うん。実は……教科書忘れちゃった」
「お前が忘れ物なんて、珍しいこともあるもんだな」
「人間は完璧な生き物じゃないからね。勿論、私も例外じゃなく。……というわけで、春輝! 教科書見せて下さい!」
拒否するする理由はないし、初めからそんなつもりもない。
俺は自身の机を深春のそれとくっつけると、二人の机の接点で教科書を広げた。
すると、
「よいしょっと」
深春は机だけでなく、椅子も近付けてくる。
こういう無意識のアピールが、1番グッとくるんだよな。
それから二人で一冊の教科書を使い、授業を聞くことおよそ20分。
話を聞くだけの授業に飽きてきたのか、深春が「ねぇ」と話しかけてきた。
「どうせバレないだろうし、手、繋ごっか」
「……はあ?」
いくら影が薄い二人だからって、流石に授業中に手を繋いでいたらバレるだろ。
深春に至っては、教科書を忘れているので教師からの印象最悪だ。
「なにも机の上で堂々と繋ごうとは思ってないよ。机の下でこっそりと。ね?」
「……まぁ、それなら」
深春と手を繋ぎたいかと聞かれれば、そりゃあ繋ぎたいに決まっている。
俺たちは1番後ろの席だし、机の下でなら確かにバレることもないだろう。
俺が手を差し出すと、すかさず深春がその手を握ってきた。
「あっ、因みに」
深春がニヤッと笑う。
こういう笑みを浮かべるのは、決まって良からぬことを企んでいる時だ。
「先に手を離した方が、負けね。負けたら罰ゲームだから」
「罰ゲームって?」
「そんなの、決まってるでしょ?」
言うまでもなく、放課後のデート費用を全部出すということだ。
……おいおい、ちょっと待てよ。
罰ゲームがあるんなら、普通手を繋ぐ前に言わないか?
不満はあるものの、手を繋いでしまった以上今更どうしようもない。
深春が飽きて手を離すのを気長に待つとしよう。
そう思っていたのだけれども、
「因みに私は、絶対に離さないから」
……勝負が始まって30秒弱、既に詰んでませんかね、これ?
デート代を捻出出来ない俺は、彼女より先に手を離すわけにはいかない。
(色んな意味で)ドキドキしている鼓動を必死で抑えて、ポーカーフェイスを保ち続けていた。
一方深春はというと、有言実行と言わんばかりに俺の手を握っている。というか、握る力が段々強くなっている。
こいつ、どういう思考回路しているんだよ?
ピンチは突然訪れた。
「それじゃあこの問題を……三沢、答えてみろ」
物理教師に指された以上、俺は立ち上がって答えを口にしなければならない。
机の下だから手を繋いでもバレずにいたが、立ち上がるとなるとそうはいかない。
机という遮蔽物がなくなり、確実にイチャイチャしていることが露呈してしまう。
ここは一時休戦だ。俺は深春に視線で訴えかけた。
しかし……
(絶対離さないからね)
深春とまた、視線で即答する。
冗談で言っているわけじゃない。深春は、本気だ。
手を離すことも出来ず、それ故に立ち上がることも出来ず。
俺がその場で固まっていると、物理教師から「早く答えろー」と催促される。
悩んだ末に俺は……深春と手を離し、そして立ち上がった。
「……答えは2番です」
「正解だ。わかっているなら、さっさと答えろ」
正解、ね。
果たして俺の選択は、本当に正解だったのだろうか?
俺は席に着く。
恐る恐る隣を見ると、案の定深春はニンマリ笑っていた。
「……デート代は、勘弁してくれませんか?」
「えー? どーしよっかなーっ」
それから深春は、代替案を考えるフリをする。
「デート費用を出せないんなら、代わりにに好き」って言って貰おうかな」
……やっぱり、そうきたか。
恐らくこの代替案は、事前に考えていたものだろう。無論、自分が勝つことを見越して。
「10回言えば良いのか?」
「ううん。今度は30回」
30回って、前の3倍じゃねーか。
今回もアンコールをさせられて、合計60回「好き」と口にすることになった。
深春は「大好き」と返したのかだって?
いいや。深春は「大好き」ではなく、たった1回「愛してる」と言ってきた。
それなのに、俺は耳まで真っ赤にさせられて。
「本当、深春はズルい女だよ」
誰にも気付かれないよう窓の外を向きながら、俺はポツリと呟くのだった。




