5 アダリア (挿絵有)
少ない私物を収納袋に入れると、私は朽ちかけた雑魚寝部屋を後にした。
もう、この部屋に住み続ける金すら私にはない。
では金を稼げばいいかもしれないが、それも無理だ。
こんな魔法の使えない・・・、しかも黒い肌をした私のような老婆を雇う酔狂な者は存在しない。
「・・・これから・・・どうしよぅ・・・」
そんな私の呟きに耳を傾ける者など居ないことは理解している。
しかし、小さくとも声に出して私の苦悩を吐き出したかった。
空を見上げると木々が枝を広げ、厳しい太陽光を遮っている。
そんな木が並ぶ街の中心部には優しい木漏れ日が降り注ぎ、心地の良い風が吹いている。
一度も入ったことのない立派な教会からは綺麗な歌声が、そして大通りからは活気のある声も聞こえてくる。
だが、もう私には全く関係の無い事だ。
この街の中に私の居場所なんて存在しないのだから。
その時、私はふと思いついた。
「・・・そうだ。故郷に戻ろう」
もちろん、既に故郷が滅んでいることは知っている。
私の愛する故郷は、私が幼い時に目の前で滅んでしまったのだから。
・・・だが、今の私には滅んだ故郷以外に行く場所なんて存在していない。
「どうせ死ぬなら、母様と父様が眠る土地で死ぬことにしよう・・・。
大丈夫、楽に死ぬことはできる。
自殺用の魔力だけは残しておいたのだから」
この決断とも言えない決断を下した私の足は、遠い遠い故郷を目指して歩み始めた。
私が街を出て数日後。
魔力の殆どない私は肉体強化の魔法すら使えず、人気のない山道を己の体力のみで進み続けている。
「・・・」
無言だ。
私は街に居た時とは打って変わって、ただただ無言で進み続ける。
「疲れた」とも「寂しい」とも言葉を発することなく、私は無言を貫き続ける。
ある意味で、私は理不尽な世界に対して不貞腐れていたのかもしれない。
だが、この無言のお陰で私は小さな音に気が付くことが出来た。
<・・・ピィィィィィー・・・ピィィィィィー・・・>
「?」
<・・・ピィィィィィー・・・ピィィィィィー・・・>
私は立ち止まり、音に耳を傾ける。
「鳥のさえずり・・・、とは違う。これは笛の音?」
<・・・ピィィィィィー・・・ピィィィィィー・・・>
明らかに人為的な笛の音は鳴り続けている。
私は長い耳を澄まし、ジッと音に集中した。
どうやら音源は少し離れた場所にあるようだ。
(こんな人気のない山奥で笛を吹き続けるなんて、・・・もしかして遭難者?)
この考えに至り、私の足は音源へと向けて歩き出した。
それと同時に、私は自虐的に苦笑する。
(しかし、自殺しようと故郷を目指す最中に人助けを考えるなんて。
人生は何が起こるか分からないね)
正しく何が起こるか分からないのが人生なのだろう。
私は尾根を越えた直後、驚きのあまり足が止まった。
どうやら音源は目の前の山の中腹らしい。
時折、太陽光を反射する光りがチラチラと見えるので間違いなく遭難者はそこに居るのだろう。
だが、私が驚いたのはそんな事ではない。
私の足が止まった理由、それは信じられないほど膨大な魔力が音源らしき場所から発せられていたからだ。
「あの魔力は一体・・・?」
私の視線の先には魔力に溢れる若者でも数十人、いや数百人分の魔力が立ち上っている。
「・・・あそこにいるのは、本当に一人なの?」
もし大勢の人間が居るのであれば、立ち上る魔力の色合いで判断することは容易にできる。
それ程までに魔力は個性豊かな存在で、本人の個性に合わせた様々な色合いをしているのは常識だ。
だからこそ目の前の膨大な魔力が、たった一人から発せられているという事が遠目でも理解できる。
更に言えば野生の肉食動物も膨大な魔力を持っていることが多い。
だが、いくらなんでも肉食動物が笛を吹き、道具を使って太陽光を反射するはずもない。
この事実を前に、私の足は止まってしまった。
(おかしい。あれほどの魔力があれば、どんな魔法だって使えるはず。
ならば何故、あそこで笛を吹いている人は魔法を使わないのだろう。
・・・もしかして、何かのワナだろうか?
しかし、こんな人気のない場所でワナを張るだろうか?
・・・では、未知の魔物が音や光り魔法で獲物を集めて狩りでもしているのだろうか?
しかし、あれほどの魔力があるなら、そんな面倒なことをする必要もないだろう。
・・・では、アレは一体何?)
私は尾根に立ち尽くし、音源に視線を向ける。
その間も、笛はなり続ける。
<ピィィィィィピィィィィィピィィィィィピィィィィィ>
尾根に立つ私には、笛の音が良く聞こえた。
恐らく手鏡でも利用しているのだろう、反射した太陽光がチラチラと輝き続けている。
そこで私は「ふぅーーーー」と息を吐き出し、決断する。
(そうだ、何を悩むというのだろう。
私は自殺する為に街を出た身、例え何があろうとも問題はないじゃないか。
私は殺されたとしても、この世に未練はない。
私が死んだところで、誰が悲しむわけでもない。
ならば好奇心に任せてみよう。
人生は何が起こるのか分からないのだから)
そして私は笛の音を目指して進み始めた。