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前編

大変お待たせ致しました、ようやく投稿することができました。

前作『若き伯爵と悪魔の令嬢』の続編というか、ちょっと未来でのお話になります。



 昔々、あるところに、とても大きな森がありました。


 国一番の大きな街よりも広く、大きな森です。


 その森の一番深い場所に、一軒の大きな屋敷がありました。


 その屋敷には、黄金の髪とエメラルドのような翠の瞳を持つ、一匹の悪魔が住んでいました。


 その悪魔は、魔法の契約書を使い、どんな人の、どんな願いも叶えてくれます。


 けれど頭の悪い者、身に過ぎた欲を持つ者からは容赦なく対価を奪っていきます。


 悪魔の名はオルド・フランデレン、人々からは『契りの悪魔』と呼ばれていました。


 しかし、この悪魔、長生きする内に欲にまみれた人間の悪意に晒され続け、少し歪んでひねくれた性格になってしまいましたが、根っこの部分は寂しがりやです。


 願いを叶える魔法を作った最初の理由だって、誰かと仲良くなる切っ掛けが欲しかったからです。


 その寂しがりやの悪魔なんですが、噂によると遂に伴侶を得たとか。


 お相手は真紅の髪と瞳を持った、とてもとても美しく、心優しい御方。


 互いに愛し合い、支え合うことを対価に、幸せな人生を契約やくそくした悪魔は彼女のことを溺愛し、とても大切にしました。


 伴侶となった彼女も、悪魔のことを心から愛し、身も心も支え続けました。


 そんな二人の姿を見て、わざわざ悪魔の森にまで引っ越してきた彼女の家族も二人のことを認め、祝福しました。


 悪魔は伴侶の家族に関係を認めて貰い、その家族との付き合いも改めて始まって、義理とは言え生まれて初めて父と母、そして兄と弟ができたと心底喜びました。



 やがて、二人の間に息子が生まれました。



 両親の特徴をしっかり受け継いだ、とても可愛い男の子でした。


 悪魔はその日、いつものニコニコ笑顔が完全に剥がれ落ち、ボロボロと涙を流しながら、彼女と共に我が子の誕生を喜びました。


 そして、それからも契約やくそく通り、彼らの幸せな日々は続きました。


 義理の家族達…主に兄や弟たちも、森の外で運命の人を見つけ、そのまま連れ帰ってきたりしました。


 森に迷いこんで彼らと出会い、そのまま住み始めたりする人もいました。


 家族が増え、友達が増え、広くて静かだった森は、いつの間にか随分と狭くて賑やかになりました。


 悪魔はもう、寂しくありませんでした。





 とある王国の西部地方にある、どこにでもありそうな農村にて。村人達の住む家々が並ぶ場所から少し離れた場所に、小綺麗で小さな小屋があった。

 小屋の中にはテーブルに椅子、簡易的な台所や物置、更には本棚にふかふかのベッドまで置かれ、人一人が生活するには充分過ぎる充実っぷりだった。


「実に清々しい、良い朝です」


 村人どころか、村長よりも良い暮らしをしていそうなこの小屋の持ち主は、若い少女だった。年は十代半ば、少々のそばかすとブラウンの瞳、そして瞳と同じ色のショートボブカットが印象的である。

 朝食を済ませた直後なのか、テーブルには空の皿、手にはモーニングコーヒー。窓から射し込む朝日を浴びながら、とても優雅な一時を堪能していた。その所作はどこか美しく、コーヒーカップに口を付けるだけの動きでさえ、とても絵になっていた。


「うぇ苦っが…!!」


 しかし生まれて始めて飲んだブラックコーヒーは、舌に合わなかったようだ。テーブルに置いてあった牛乳瓶の蓋を即行で開けると、口直しと言わんばかりに一気に飲み干した。


「ぐぬぬ…なぁにが『大人の味』ですか、こんなのただの苦い汁、文字通り苦汁を舐めさせられただけじゃないですか……」


 彼女はブツブツと文句を溢しながらも、取り合えず残った分は水筒へ避難させた。そしてチラリと台所に視線をやると、パンパンに膨らんだ袋が鎮座しているのが嫌でも目に入った。口の回る商人にのせられ、結構な量のコーヒー豆を買ってしまった訳だが、こんな苦いもんどうすりゃ良いんだと、彼女は項垂れるしかなかった。


「……さて、と…」


 ふと何かの気配を察知した彼女は、コーヒーを飲んだ時以上に苦い顔を浮かべ、何故か床に置いていたバケツを手に取り、どういう訳か玄関の前に立った。因みに、バケツの中には水が並々と注がれていた。

 そして、その中身入りのバケツを持った彼女が玄関に立った瞬間、扉がノックも無しに勢いよく開け放たれた。


「クラリス嬢、今日こそ君の力を俺に貸してうごおぁッ…!!」


 朝っぱらから喧しい金髪野郎の顔面に、キンキンに冷やされた水がぶちまけられた。





「どうして俺の手を取ってくれないんだ、クラリス嬢!?」

「もう一発いっときますか?」


 顔面に冷水で怯んだところをヤクザキックで外に蹴り出されたのは小綺麗な旅装に身を包み、金髪に紫の瞳を持った優男。年は小屋の主…クラリスと呼ばれた少女よりも少し上のようで、イケメンと言っても差し支えのない顔面偏差値だった。

 そのイケメンは今、全身ずぶ濡れ&泥まみれの酷い状態になりながらも、近所迷惑極まりない大声で彼女を必死に口説いていた。

 彼の名前はシャルル、最近になってこの村を訪れた自称旅人だ。どこでどんな話を吹き込まれたのか、ある日を境にクラリスの小屋に足を運んでは『力を貸して欲しい』だの、『旅の仲間になって欲しい』だの、非常にしつこく付きまとってくるので、非常にうんざりしていた。


「君の力はこんな辺鄙な田舎で腐らせるには勿体無さ過ぎる!!悪いようにはしない、絶対に後悔させない、なんなら俺自ら君を幸せにしてみせよう、契りの悪魔に誓ってでも!!だから、どうか俺の手を取ってくれ!!」


 因みに、この国において『契りの悪魔に誓う』とは、『自分の魂と命を懸けるつもりで約束を守る』という意味だ。悪魔との契約やくそくを破った者達の末路が御伽噺や戒めの物語として人々に伝わった結果、『悪魔との契約』=『反故にしてはならない約束』として認識されるようになったのである。

 そして、この国の人々は『約束を破ると契りの悪魔が罰を与えにくる』と言われながら育つので、大切な約束を結ぶ際は神よりも契りの悪魔に誓う人が多い。

 それだけ真剣に誘っている、というシャルルなりの意思表示なのだが、やはりクラリスの返事は決まっている。


「寝言は寝て言って下さい」

「何故だ!?」

「そんな軽々しく契りの悪魔の名を出す人は、信用しないことにしてるんです。そもそも、貴方…」


 最初こそクラリスも社交辞令も混ぜつつ、常識の範疇でやんわりと断っていた。しかしシャルルは微塵も諦めず、最初の断りを入れた翌朝にはバカでかい声で挨拶をかましてきて、昨日のやり取りなんて無かったかのように再び勧誘をしてきたのだ。その翌日も、そのまた翌日も、何度も何度も鬱陶しいくらい毎日やってきては仲間に加われと言ってくる。そして、この迷惑極まりない勧誘が始まってから今日で一週間、クラリスの堪忍袋もそろそろ限界だった。

 それに何より、クラリスが見た限り、このシャルルという男は…


「人を勧誘する際、わざわざ道化を演じるような胡散臭い人を、どうして信じられると言うのです」


 その言葉にピシリと固まるシャルルの顔。どう見ても図星です、と言わんばかりの反応だった。


「……いつから気付いてた…?」

「一週間前からです」


 即座に返ってきた答えに、顔をピシャリと叩くように抑え、天を仰ぎながら『初対面からじゃん』と呻くシャルル。そんな姿を見ても、クラリスの視線は冷やかなままだった。

 結局のところ、クラリスが彼の誘いを断り続ける一番の理由がこれだ。百歩譲って、自分に目をつけた理由は分かる。その理由を考えれば、旅に同行して欲しいというのも分かる。だが自身の性格を偽ってまでとなると、途端に胡散臭さが増す。そもそも旅の目的も教えてくれないのに、力を貸せとか論外だ。

そんなことを思いながらジトーっとした目線を送っていたら、シャルルがそれに気付き、バツが悪そうにしながら口を開いた。


「そのぉ、置かれた環境と言うか生まれの問題と言うか、諸事情によりバカを演じていた方が何かと楽でな。初対面の相手にはついこんな風に接しちまうんだ、気を悪くしたなら謝る」

「なんか今の方が胡散臭いですね」

「酷ぇなオイ」


 釈明なのか謝罪なのか良く分からない言葉もバッサリやられ、シャルルはうなだれた。

 とは言え、今の喋り方と雰囲気が素であることに嘘は無さそうだ。クラリスとしては最初からその状態で来てくれた方がまだ良かったのだが、今となってはタラレバ。彼女の中では既に、シャルルは『胡散臭くて怪しい勧誘業者の回し者』として認識されてしまった。


「初見で俺の本性見破ったことだけじゃなくて、感想までアイツと一緒とは……もしかすると…」


 何やらブツブツと独り言まで言い出したので、肩書きに『危ない奴』も追加された。それを知ってか知らずか、シャルルは突如顔上げ、彼女をビシッと指さしながら宣言する。


「しかしクラリス嬢、君の力を貸して欲しいのは本心だ。こうなれば首を縦に振って貰うまで意地でも諦めないからな、覚悟することだ!!」


 深い溜め息を溢しながら、クラリスは拒絶の意思を籠めながら、勢いよく玄関の扉を閉めた。そしたら突き出した指が扉に擦ったらしく、扉越しにシャルルの痛そうな悲鳴が聴こえた。


 ちょっとスッキリした。





「と言う訳で、そろそろ直接〆ても良いですかね?」

「落ち着けい」


 昼の買い出しついでに立ち寄った村長の家にて、クラリスは開口一番にそう言った。椅子にどかりと腰を降ろし、お茶請けに出された焼き菓子を苛立たしげにバリボリと頬張りながらそんなことをのたまう彼女を、テーブルを挟んで向き合う老年の村長は深い溜め息を溢しながら、どうにか宥めようと試みた。


「とは言っても、まだ実害が出た訳じゃなかろう」

「こんな可弱い女の子に付きまとう変態野郎な時点で有罪です、万死です、極刑です。情状酌量の余地なんてありません」

「可弱い女の子?」


 真顔で放たれた言葉にクラリスの身体が固まる。そして、やや不貞腐れた表情を浮かべ…


「実の孫が可愛くないんですか?」


 この村長の孫である彼女は、そう言った。


「可愛いとは思っとるが、逞し過ぎるとも思っとる。ほんに良いとこも悪いとこも母親そっくりに育ちおってからに、あのやんちゃ娘が増えたようじゃわい…」


 クラリスの母はこの村で生まれ育ち、そして先祖代々続くザ・平民の家系に生まれたとは思えない数々の武勇伝を残してきた元ガキ大将だ。物心ついた時点で始まったそのやんちゃっぷりは良くも悪くも村人たちの記憶に残り、そして語り継がれ、今やこの村では幼い子供も含め、クラリスの母のことを知らぬ者は一人も居ない。


 曰く、一晩で村の同世代の男共を全員はり倒し、女だてらに腕っ節でガキ大将の座についたとか。


 曰く、村の牧場から逃げ出した暴れ牛でロデオ遊びをしていたとか。


 曰く、かくれんぼで遊んだら誰も彼女を見つけられず、行方不明騒ぎになって村人総出で探しても見つけられなかったが、翌朝になったら自宅の自分の部屋でスヤスヤ寝てたとか。


 曰く、『かくれんぼする時は屋根の上がベストポジ』と抜かしたとか。


 曰く、山に現れた魔物を子分たちと一緒に撃退したとか。


 お転婆なんて可愛い言葉では済まないそのじゃじゃ馬っぷりに、実の親である村長は毎日のように胃を痛めた。正直な話、嫁の貰い手が見つかり、尚且つ孫まで生まれたことが奇跡のように思えて仕方ない。最初に男を紹介された時は、本気で詐欺なのではと疑った。

 その悪ガキ娘も物好きな夫の元に嫁いでいき、そして夫の故郷でクラリスを生み母となった。時折やんちゃ時代の癖が出て姑に雷を落とされるらしいが、何だかんだ言って夫の家族とも上手くやっているようだ。ときたま家族ぐるみで里帰りをしてくる際に見せる表情はとても明るいし、気付けば夫に対する愚痴と見せかけた惚気を垂れ流し続けるあたり、彼女なりに充実した毎日を送っているのだろう。


「それはさておき、独り暮らしには慣れたか?」

「お陰様で少しは」


 そんな母と、その母を妻に選んだ父に育てられたクラリスも随分と逞しく育った。父の家族に影響されて比較的お行儀は良いが、やはり母の血を完全に打ち消すことはできなかったようだ。父方の家族が居なかったら、間違いなく二代目やんちゃ娘が生まれていたことだろう。

 そのクラリスも今年で16歳と良い年頃だ、そろそろ将来について考えた方が良いと家族は考えた。そして幸いなことに、家庭環境に恵まれた彼女には多くの選択肢が用意された。家に残ってお見合い相手を探すも良し、家業を継ぐも良し、故郷を出て独立するも良し、気ままに世界を旅するも良し。しかも本気でやりたいと思ったことなら応援するし、多少は手伝ってくれるとまで約束してくれた。

 しかし、将来のことなんてすぐに決められる訳も無く、当時のクラリスは戸惑い、そして頭を悩ませるしかなかった。だが、そうなることはクラリスの家族も分かっていたので、そこで彼女に一つの提案をした。その提案こそが、『慣れ親しんだ故郷とは少し離れた場所で、独り暮らしをしてみる』ことだったのだ。


「とは言え、まだおじい様達の助けがあってやっとですが…」

「そんな言うほど手ぇ借りとらんじゃろ。他の村や街に行くなら話は変わるが、この村で暮らす分にはとっくに及第点じゃよ。むしろ、こっちも色々助けられとるしの…」


 曰く故郷に残るのか、それとも旅立つのか、まだ決められないと言うのなら、後者を選ぶ日がきた時の為に色々と学んでおいた方が良いとのこと。クラリス自身も確かにと思ったし、恵まれた家庭環境で育った彼女は孤独とは無縁で、それ故『独り暮らし』という未知の環境に密かな憧れを抱いていた。そして将来のことはその間に考えて決めれば良いとも言われたこともあり、クラリスはその提案にノリノリで乗ることに決めたのだった。

 流石に初っ端から見ず知らずの土地に放り出すのはハードルが高く、安全面にも不安があるので場所は母の生まれ育った村に決定。話を聴いた母方の祖父、そして村の人達が過保護にならない程度に手助けしてくれることもあり、最近では自分のやりたいことも朧気ながら定まってきたし、村長の御墨付きも貰えた。シャルルの件を含めたトラブルも幾つかあったが、それなりに上手くやっていると言えるだろう。


「じゃから助けを借りるのを遠慮するな、何でもかんでも自分でやろうとするな、もう少し周りの大人を頼れ。剣も魔法も使えんが儂とてお前の祖父、あんな若造ぐらいどうにかしてやる」

「……ありがとうございます…」


 祖父に頭をワシワシされながら、つくづく自分は家族に恵まれているなぁと、改めて感じるクラリスだった。





 祖父の家を出た後、村の人に頼まれていた仕事を片付け、村唯一の飲食店で昼食を済ませ、日用品の買い出しを終わらせた彼女は帰宅。そして居間に荷物を置いて片付け終えると、眉間に皺を寄せながら玄関を睨み付けた。


「まさか、もう来るとは…」


 おくつろぎタイムと洒落込もうかと思った矢先、扉の向こうから覚えのある気配がした。十中八九、シャルルだろう。流石にこんなに早く出直してくるとはクラリスも、ましてや村長である祖父も思わなかったので、まだ何も対策の準備が出来ていない、故に今回もクラリス自身が対応するしかない。その時点でクラリスの苛立ちは頂点に達し、あのしつこいボケナスを盛大に出迎える決意をさせた。

 家の中でクラウチングスタートの姿勢を取ったクラリスは、気配が扉の前に立った瞬間に扉目掛けて駆け出した。


「せいやぁ!!」


 そしてクラリスは気合いの咆哮と共に、母直伝のドロップキックを放った。数多くの不届き者を沈めてきたこの必殺技、その威力が直撃した扉は勢いよく開け放たれ、扉の前に立っていたシャルルを吹き飛ばす…筈だった。


 ガンッ!!


 ドサッ!!


 ゴッ!!


「痛ったあああぁぁぁ!?」


 上から、扉にドロップキックが命中した音、何故かビクともしなかった扉に跳ね返され床に背中から落ちた音、その拍子に後頭部を床に打ち付けた音、その痛みに思わず悶絶するクラリスの悲鳴である。痛む頭を押さえながらゴロゴロと転がり悶える彼女の姿は、本人には悪いがいっそ滑稽だった。


「えっと…」


 そんな時に頭上から降ってきたのは、聞き覚えの無い若い男の声。思わずクラリスは硬直し、床に倒れたまま、そっと視線を上に向けた。すると視線の先には、玄関扉の隙間からこちらの様子を窺うように覗き混む二対の蒼が見えた。


「大丈夫?」


 声は男のもので、けれど思いのほか若々しく、もしかするとクラリスと同年代かもしれない。しかし、その出で立ちはマントと皮鎧をベースにした旅装、フードを深く被って更に口元を布で覆っているという、絵に描いたような不審者だった。

 普通、こんなのが玄関前に居たら即通報、あるいは反射的に殴り飛ばしても仕方ないと思うが、不思議とクラリスはそう言ったことをする気が湧かなかった。恥ずかしい姿を見られたというのもあるが、彼の顔で唯一布で覆われていない部分、そこから向けられる二対の蒼…サファイアのような瞳から向けられる視線に、一切の悪意を感じなかったのだ。むしろ言葉の通り、純粋にこちらを心配しているようだった。


「……えぇ、大丈夫です。すいません大変お見苦しいものを…」


 一先ず床から起き上がり、埃を払って咳払いをひとつするとクラリスはそう言った。取り合えず、悪意も敵意も感じられないのなら普通の人として対応することに決めたようだ。


「あ、いや、むしろゴメン。多分、俺が扉を抑えたせいだし…」

「尚更すいません」


 扉がビクともしなかったのは彼が原因のようだが、悪いのは完全に自分だったので気不味くなり、思わず相手から目を逸らすクラリス。幾らシャルルの件があったとは言え、危うく無関係な人に怪我をさせるところだったと思うと胆が冷えた。そんな彼女の様子に目の前の男は、口を覆う布の下で苦笑を浮かべた。


「いやいや気にしないで、どうせコレのせいでしょ?」


 そう言って彼は扉の陰になって見えなかったところから、何やら大きなものを差し出してきた。まるで首根っこを掴まれて吊るされた猫のような状態で差し出されたそれを見て、クラリスは思わず絶句した。何故なら…


「……ぐふぅ…」


 彼が差し出してきたのは、白目を剥いて気絶したシャルルだったのである。





「改めまして、俺の名前はレオン、因みに名字は無い」


 ここ最近のストレスの元凶の成れの果てをクラリスは意識の外に追いやり、ひとまず立ち話も何なので中にどうぞと、結局二人を家の中に招き入れた。家の中に入ってもレオンはフードも口布も外さず、しかもシャルルを部屋の片隅に放り捨てたことに関してクラリスは色々と言いたいことがあったが、結局口に出す前に飲み込んだ。

 そして互いに席につき、一応出してみた粗茶をレオンが口布を外さないまま器用に飲む姿に目を丸くしながらも、クラリスは彼の話に耳を傾けることにした。


「この度はシャルルが…うちの連れが迷惑をかけたようで、本当にごめん」


 謝罪から始まったレオンの話によれば、この村を彼らが訪れたのは旅の途中に通り掛かっただけで、最初は休息と物資の補充が済めば長居するつもりは無かったとか。

 しかし、どこかで村人の会話を耳にしたのか、クラリスの存在を知ったシャルルが彼女を仲間に加えることを決意。クラリスからしたら迷惑極まりない話だがシャルルの決意は固く、何を言っても『俺に任せろ』の一点張りで、そこまで言うならとレオンは結局シャルルにクラリスの勧誘を任せ、自分は村の宿で適当に時間を潰しながら待つこと決めた。

 ところが、待てども待てどもシャルルがクラリスの勧誘に成功する日は来なかった。『上手くいきそうかい?』と問えば『余裕余裕、あとちょっとで口説き落とせる』と返し、『本人が嫌がってるなら、もう諦めたら?』と言えば『いーやアレは絶対にツンデレだ、もう一押しで素直になってくれる筈だ』と返してきた。三日目辺りで既に疑ってはいたが、本人が大丈夫と言い張るので一応は信じたのだが…


「今日、ついに村長から釘を刺されてね…」


 宿でのんびりしてたレオンの元に村の男衆を引き連れた村長が訪れ、大分丁寧且つ穏便な言葉を選んではいたが要約すると『これ以上うちの孫を困らせるような真似すんなら黙ってねぇぞ』と言う趣旨の警告をされた。間の悪いことに元凶のシャルルは所用で離れており、彼らの敵意と怒気と嫌味を一人で全部受け止める羽目になったレオンは、彼らが帰るや否や余裕だのツンデレだの抜かしていたバカ野郎を即座に探した。

 そして何をとち狂ったのか、バラの花束と菓子折りを手にクラリスの家と向かうシャルルの姿を発見。既に今朝の時点でこっ酷く断られたにも関わらず、そして村の人達が敵に回りかけてるこの状況でマジ何してんのと、レオンはついにキレた。


「どう考えても火に油を注ぐ未来しか見えなかったから、取り合えず止めといた」

「息の根をですか?」


 クラリスの視線の先には、未だに白目を剥いて沈黙を貫き、床に転がるシャルルの姿が。確かに胸が一定のリズムで上下に動いているので、ちゃんと息はあるようだ。

 レオン曰くシャルルがドアをノックする前にノックアウトしただけとのことだが、ぶっちゃけ最初に見た時は本気で死んでいるかと思った。おまけに扉の隙間から外に散らばった花束とぐしゃぐしゃになった菓子折りの残骸が見えたし、そのシャルルを抱えているレオンの格好は絵に描いたような不審者、どっからどう見ても事案だった。

 多分、クラリスがレオンの瞳に何も感じなかったら、もう一悶着起きていたかもしれない。


「それで大分迷惑だったろうから、せめてお詫びをと思ったんだけど…」


 左腕に気絶したシャルルを抱え玄関の前に立ち、ノックしようとした瞬間に扉が勢いよく開かれ、咄嗟に出してしまった右腕。結構な手応えを扉越しに感じながらも踏ん張り切ったが、それと同時に扉の向こうから何かが落ちる音、そして家主の悶絶する声が聴こえてきて今に至る訳だ。


「申し訳ありません」

「ううん気にしないで、今の今まで彼を止めなかった俺にも非があるから」


 レオンはそう言ってくれるが、流石のクラリスも詫びに来た、しかも初対面の相手を迸りで怪我をさせるような奴は非常識だと分かる。そうなりかけた申し訳なさと、追加で晒したあの醜態による羞恥心で、クラリスは穴があったら入りたいと本気で思った。

 そんなクラリスの様子に苦笑いを浮かべ、『本当に気にしなくて良いよ』とレオンは話を続けた。


「それで、これまでの迷惑料ってことで、どうかコレを受け取って欲しい」


 そう言って彼は懐から何かを取り出し、テーブルに置いた。ゴトンとそこそこ重そうな音を立てながら置かれたそれは、何かの骨…いや牙だった。ただこの牙、些かデカい。長さはざっと見て30㎝程で、太さもそれなりにあり、最初はナイフか何かかと思った。

 この大きさ、さぞかし本来の持ち主も相当な巨体…と思ったところでクラリスの様子が豹変した。


「少々お待ちを」


 それだけ言うと、彼女は席を立ち本棚へと向かった。そしてその内の一冊を引っ張り出して開くと、どこかのページを探してパラパラとめくり始める。そして、お目当てのページを見つけた瞬間、驚愕に目を見開いた。


「ちょっと貴方!!」

「うぇい」


 半ば叩きつけるように本をテーブルに置いて、レオンが思わず仰け反る程の気迫で詰め寄るクラリス。しかし、どちらかと言うと動揺していたのは彼女の方で、それを証明するかのようにテーブルの上に鎮座する牙を指差した腕がぷるぷると震えていた。


「こ、これ、ギガントラプターの牙…しかも超大物じゃないですか!!」


 『ギカントラプター』…それは、この大陸に生息する魔物達の中で、トップクラスの体格と凶暴性を併せ持つ存在だ。その外見は牙がびっしりの嘴を持つ羽毛の生えた二足歩行のトカゲ、あるいは腕と尻尾の生えた鳥と称され、その気性は己以外の生物を全て餌と見なし、時には竜種すら襲う程に獰猛。その気性の荒さに見合うだけの強さと生命力を持ち、それを支える羽毛や骨、爪や牙などは素材として様々な用途に利用できる為、人々からは歩く災害として恐れられる半面、その筋の人間の間では常に高値で取引されている。


「いやいやいやいや幾らなんでも迷惑料なんかには釣り合わないにも程がありますって!!」

「うーん、やっぱり鳥ごときの牙一個じゃ足りないよね」

「逆です足り過ぎですむしろ私の方がお釣り無さ過ぎて泣きそうなぐらいですて言うかギガントラプターを鳥呼ばわり!?」


 因みにギカントラプターは成体になると、全長が20mを余裕で越える。15m越えの個体も珍しくなく、これまでの公式記録によれば20m越えの個体も確認されたことがあるとか。その巨体に加え先述の凶暴っぷりを持つが故に人々は狙われたら死、人里に出没すれば壊滅を覚悟するのが常である。

間違っても『鳥』呼ばわりできるような可愛い存在では無い。


「別にそんな大したものじゃないと思うんだけどなぁ…」


 が、レオンにとってはそうでは無いらしい。取り乱すクラリスとは逆に、首を傾げて心底不思議そうにしているぐらいだ。


「何言ってるんですか、ギガントラプターは大型且つ凶暴で危険極まりない魔物、騎士団でさえ討伐に手子摺るんですよ。おまけに生息域が限られているため、商業ギルドでも素材が入荷すること自体が稀で、一般の市場に至っては殆ど流通することのない超レア物。ましてやこのサイズ、持ち主は確実に15m越えの大物、この一本で最低でも金の延べ棒一本分はしますよ!?」

「え、アイツってそんな凄いの? うーん、地元では三日に一度は遭遇したし、その度に命ごと頂いてたんだけど…」


 そんなレオンの言葉にクラリスは眩暈がしそうだった。歩く災害と名高いギカントラプターと三日に一度のペースで遭遇するような場所ってどこ、そもそも貴方どんな生活してんの等々、色々と問い詰めたいところだ。が、それらの言葉が口から出掛かった瞬間、ふと彼女の脳裏にある可能性が過った。

 クラリスの知識と記憶の中で一つだけ、レオンの言動に相応しい存在を思い出したのだ。騎士団ですら脅威に感じる魔物達に嬉々として自ら立ち向かっていき、商業ギルドですら仕入れが困難な素材を大量に入手できる存在、それは…


「もしかしてレオンさん、冒険者だったりします?」

「うん」


 冒険者…違法行為で無い限り報酬さえ用意すれば、一般人では足を踏み入れることさえ困難な土地へと赴き、薬草集めから魔物退治まで、あらゆる仕事をこなす何でも屋集団である。

 主に騎士団の手が回らなかったり、自警団の手に終えない問題を主な依頼として受け付けている為か、仕事内容は危険と隣り合わせなものが多い。故に腕利きの条件として純粋な腕っぷしが求められ、一流の肩書きを持つ冒険者達は騎士団以上の猛者揃いとなっている。


「ちょっと前にね、そこで白目剥いてる奴に長期依頼の形で長旅の護衛を頼まれてさ。今は地元を離れて、用心棒の真似事をしてるんだ」


 冒険者は依頼として、護衛や道案内を引き受けることも珍しくない。

 人里から少し離れると、この地は魔物や野盗などで溢れ返る危険地帯と化す。そんな場所を進まなければならない旅人や隊商にとって、護衛の存在は必須だ。騎士団は王家か貴族の指示がなければ動かず、自警団は拠点にしている街しか護らないが、傭兵と冒険者は報酬さえ用意すれば護衛を引き受けてくれる。特に冒険者達は、日頃からその危険地帯を活動の場としているため、案内役としては傭兵達よりも頼りになるので、大抵の者は旅や長距離の移動をする際、多少高くついても冒険者を雇おうとする。

 そこで白目剥いてる奴…もとい、シャルルも旅をしている途中と言っていたので、レオンもそう言った形で雇われた口だろう。しかし、そうなると…


「良く引き受けましたね」


 一流の冒険者なら高額な報酬だけでなく、依頼主を選ぶ自由も約束される。ましてやギガントラプターを狩れる腕前なら、名のある貴族や商人の専属にだってなれた筈だ。にも関わらず、レオンはこの変態…いや迷惑野郎…じゃなくて変人に雇われることを選んだ。そのことが、クラリスは不思議で仕方なかった。そんな彼女の感情を悟ったのか、レオンは口布越しに苦笑を浮かべた。


「正直な話、ちょっと早まったかなと思う日が多々あるよ。とは言え一応、もう少しだけ彼の口車に乗り続けてみようかな、なぁんて思えるくらいには信じてるのさ、一応ね」

「なんで『一応』を二度言った」


 ふと聴こえてきた聞き覚えのある声。目を向けると、意識を取り戻したシャルルが床の上に座り込んでいた。殴られた部分が痛むのか頭を抑え、しかめっ面を浮かべながらレオンに色々と物言いたげな視線を送っている。


「おはよう、良く寝てたね」

「おはよう、じゃないだろうが。お前の辞書に手加減という文字はないのか?」

「手加減はしたさ、生きてるのがその証拠さ」

「……お前が言うと冗談に聞こえないんだが…」

「冗談じゃないもん」


 しかし、当の本人はどこ吹く風で、その後もシャルルが幾つか文句を並べるも全て軽く受け流してしまった。それにしても迷惑行為を止める為だったとは言え、躊躇なく殴って気絶させたり、そのまま床に捨て置いたりと、雇い雇われの関係の割には、雇い主の扱いが雑過ぎではなかろうか。

 なんてクラリスが思っていたら、色々と諦めたらしいシャルルが大きなため息をひとつ溢した。そして、唐突にレオンから彼女に向き直った。


「すまなかったな、クラリス嬢。今更だが流石に度が過ぎていた、どうか許して欲しい」


 背筋を正し、真剣な声音と眼差しで、シャルルは謝罪の言葉と共に頭を下げた。これまでの態度からは想像もできない彼のその姿に、クラリスは考えるよりも先に言葉が出た。


「気持ち悪っ」

「自業自得とは言え酷くないか」


 因みに、ガチトーンだった。


「それはともかく、結局コレどうする?」


 何とも微妙な空気になってしまったが、レオンの言葉と、彼が指差したもの…ギガントラプターの牙に再び意識が向く。

 クラリスとしては、この牙は迷惑料としては高過ぎるので、とてもではないが受け取れない。それにギャップが酷くて気持ち悪いと言ってしまったが、一応謝罪もして貰ったのでそれで手打ちにしても構わなかった。

 その旨を目の前の冒険者(レオン)に伝えようとしたクラリスだったが、その直前になってふとある事を思い出した。そう、彼は冒険者だ。しかもギガントラプターを仕留められる程の実力者、明日に予定していた自分の用事に、まさにうってつけの人物。これを逃す手は、どう考えても無い。

そう結論付けたクラリスは咳払いを一つ、そして口を開いてこう言った。


「では代わりに一つ、頼まれて欲しいことがあります。それでお互い今までのことは水に流しましょう」






 そう言ってシャルルとレオンを一度帰らせたのが昨晩の話で、村人総出で二人を〆ようとしていた祖父に昨晩の話を説明して落ち着かせたのが今朝の話。そして現在、クラリスの案内のもと、シャルルとレオンを含めた三人は村から少し離れた山道を進んでいた。


「自分で言うのもなんだが、クラリス嬢は俺達のこと警戒していないのか?」

「と、言いますと?」


 その途中、ふとシャルルがそんなことを言い出した。クラリスは足は止めずに視線だけを後ろに向け、続きを促す。


「こんな怪しげな男二人に対し、女性が一人。ちゃんと頼みごとを済ませてくるのか信用できないと言うのなら尚更ダメだろう、そんな相手とこんなひと気の少ない場所に来ちゃ…」


 シャルルが言うだけあって、今日の二人は身なりが昨日よりも物騒だった。シャルルは腰に細身のサーベルをぶら下げており、背中には揺れる度にやたらガチャガチャと金属音の鳴る背嚢が。そしてレオンの方はと言うと、彼も腰に剣を下げていたがシャルルのものと違い、まるで大鉈のような刃に厚みのある片手剣だった。それに加え、背中には大きな弓と矢筒が背負われている。

 冒険者であるレオンは当然の装いとして、シャルルも旅人の護身用としてはありふれたものだが、そんな臨戦態勢な男二人に手ぶらの女が一人。成る程、確かに客観的に見ても誉められた状況では無い。


「そんな風に気を使えるのに、どうしてあんな迷惑極まりない誘い方しかできなかったんですか?」


 因みに、なんでクラリスを訪ねに来た時は持っていなかったのか訊いてみたところ、流石に武器を持って独り暮らしの女性の家に訪ねるのは非常識だと思ったから宿に置いといた、とのことである。クラリスの祖父である村長がわざわざ大勢を連れて釘を刺しに行ったのも、彼等が武器を持っていることを宿の主人が彼に伝えたからなのだろう。

 そう言う常識はあるのに、なんであんなバカの演技までして非常識な真似をしたのか、それが今となっては不思議で仕方ない。クラリスがそう問うと、シャルルは気まずそうに彼女から視線を逸らすと、ボソリと呟くように答えた。


「……俺、人見知りなんだよ…」

「は?」

「嘘ですごめんなさいでも半分くらいは本当のことなんです信じて下さい!!」


 クラリスの口から凄く低い声が出たせいか、シャルルは『いや、マジなんだよ!!』と顔を青くしながら説明を始めた。

 彼曰く、子供の頃から周りに録な人間が居らず、腹黒同士による腹の探り合いが身近で日常的に行われていた上、そのゴタゴタに直接巻き込まれることも頻繁にあったとか。そんな環境で育った結果、軽く人間不信に陥りつつ、トラブル回避の為に自然と身に付いたのは『初対面の相手を初っ端から信用しない』こと、そして『関わる価値も無い程のバカのフリ』だった。この二つは最早シャルルにとって癖のようなもので、今でも初対面の相手には苛つかせるの覚悟であんな態度になるらしい。


「ただ、たまにバカになりきり過ぎて、本当にバカな真似をする時もあってさ、今回はそのパターンだな」

「いやそれただのバカでしょう?」


 なんかもう色々とアホらしくなってきてしまい、思わずため息を溢すクラリス。たが一先ず質問には答えて貰ったので、彼女も『俺達を警戒してないのか?』という先程の質問に答えることにした。


「まぁ単純な話これでも人を見る目はあるつもりでして、お二人は悪い人には見えないんですよね」


 実際のところ、クラリスは既に二人に対する警戒心を解き始めていた。レオンは昨日の初対面の時から特に悪意の類は感じ取れなかったし、胡散臭いのは相変わらずだが、ある程度会話してみた結果、シャルルも何だかんだ言って悪い人では無いと感じている。それに何より…


「あぁ、それとシャルルさん」


 『なんだ?』とシャルルが返すよりも早く、一筋の閃光が彼の頬をかするように飛んでいった。

頬に残った閃光の熱とは対照的に背筋が凍るような感覚に苛まれつつ、シャルルが恐る恐る後ろを振り返ると、背後にあった木々が何本も、まるで大砲の弾でも飛んできたかの如く、真っ直ぐ貫くように薙ぎ倒されていた。その光景を前に流石のシャルルも言葉を失い、あんぐりと口を開いてアホ面を晒していた。


「私を勧誘する理由、自分で忘れたんですか?」


 声を掛けられて我に返り、咄嗟に前を向いたシャルルは再び息を呑んだ。彼の視線の先には、シャルルの方へ…正確には、彼の背後に並んでいた木々に指を向けたクラリスが、そして彼女の周りを漂うように、魔法で作られた無数の文字が光り輝いていた。

 唖然とするシャルルを余所に、クラリスが指を上に向けて自身の口元に近付けると、その動きに合わせるようにして魔法の文字達は彼女の指先に集まり、小さく縮んでいった。そして、元の大きさが分からなくなるぐらい圧縮されたのを見計らい、クラリスがフッと息を吹き掛けると、煙のように消えた。

 その直後、ピューっと、まるで感心したとでも言いたげな口笛が聴こえてきた。音の出所は、レオンだった。


「それが例の古代魔法…確か、ルーン文字だっけ?」


 ルーン文字…それは神世の時代に存在したと言われる、限界まで縮小化された魔法陣による古代魔法。本来なら巨大な魔法陣や膨大な魔力を必要とする大規模な魔法を、ルーン魔法は魔力を込めた文字一つで発動させる。しかも残された伝承や記録によれば、一度書かれたルーン文字はその効果を半永久的に継続させるため、魔力を持たない者でもルーン魔法の施されたものを手にすれば、限定的とは言え魔法を行使できたと言われる。

 魔力を込めただけのたった一文字に、どうすれば幾何学的で複雑怪奇な魔方陣と同等な効果を持たせられるのか、どうすれば魔力を持たない人間が手にしても発動するのか、そもそも本来なら発動に必要となる莫大な魔力をどうしているのか。数多くの魔法使い達がその研究に挑み、そして心を折られていった。あまりの不可能っぷりに『御伽噺の夢物語』とさえ称され、ルーン魔法の研究を続けている者は、今となっては王国全土でもほんの一握りと言われる。


「その成り損ないみたいなものです。従来の魔法陣よりコンパクトで、発動に必要な魔力量も減ってはいますが、本物はこんなものじゃありません」


 その一握りの内の一人であり、最も先を進んでいたのがクラリスである。そしてシャルルが彼女を勧誘する一番の理由でもあった。

 本人は満足していない上に自覚もしていないようだが、それなりに知識を持つ者が見れば、先程の魔法は常識外れも良いとこだ。少なくともシャルルの知る魔法に、あのようなものは存在しない。もしも従来の魔法で先程のクラリスが放った魔法と同等の威力を放とうとすれば、数倍の時間と魔力、そして相当なサイズの魔法陣が必要になるだろう。

 まさにあれは、伝承にあったそれに限りなく近いものだ。国中の魔法使い達が匙を投げたルーン魔法を、ただの村娘の筈である彼女は独自に研究、解明し、ここまで漕ぎ着けてみせた。本来なら直接王宮で召し抱えられるレベルの才能と成果だが、幸か不幸か彼女の存在を知る者は未だ極僅か。だからこそ自身の目的を果たす為にも、彼女の成果と噂が出回る前に仲間に引き入れてしまおうと、シャルルは躍起になっていた訳なのだ。

 まぁ、結果は御覧の通りだったが…


「ふーん」

「……どうした、レオン…?」

「いーや、別にぃ?」





 それがら更に暫く


「それで、あれが言ってた奴か?」

「はい、そうです」


 雑談を交え、休憩を挟みつつ一時間後、見晴らしの良い丘に登ったところで、三人はついに目的のものを視界に収めた。三人が立っている丘から500mくらい離れた場所に小規模な森があるのだが、その森を押し潰すような形で巨大な土色の塊が聳え立っていた。そして、その塊の周りを無数の影が蠢いてた。


「いっそ気持ち悪い大きさだな…」


 思わずシャルルがそう呟いてしまったのは城並に巨大な塊に対してか、それとも、その塊を守るように蠢ている何か…人間大の巨大蜂に対してだったのか。


「ゼネラルホーネットです。最近この辺りに流れ着いたようで、困っているんですよ」


 いずれにせよ顔色が優れない彼とは逆に淡々と、そして少しばかり面倒くさそうにしながら、クラリスはそう言った。

 ゼネラルホーネットは数多く存在する蟲型の魔物の一種だ。見た目こそスズメバチそのものだが、一匹一匹が人間並に大きく、それに比例して作る巣も餌になる対象ものきなみ大きくなっている。ただ身体が大き過ぎるのか動きはやや鈍く、飛ばれても全力疾走すれば人間の足でも逃げ切れる程度。とは言えそれ以外は、普通のスズメバチがその能力と習性、そして凶悪さをそのまま巨大化させたような魔物なので、非常に危険な存在であることに変わりはなく、実際にゼネラルホーネットの群れに襲われ壊滅した村も少なくない。


「まだ被害は出てませんが、近くの村に影響が出るのも時間の問題ですから…」

「俺達に手伝って欲しい、と」


 そんな魔物の巣が、半日歩く程度で辿り着けるような場所にある。普通なら騎士団や冒険者を呼ぶような案件だが、それには時間も金も掛かる。それだったらクラリスが出向いてやった方が速いし、何より安上がりだ。祖父は怒るかもしれないが、ゼネラルホーネット程度なら数が多くて面倒なだけで、彼女にとってそう難しい相手ではない。少なくとも、冒険ギルドでのギガントラプター討伐依頼の相場は最低でもAランク以上、ゼネラルホーネットの駆除は巣丸ごとだったとしてもCランク、良くてBランクだ。

 なのでクラリスは件の迷惑料として、ゼネラルホーネットの駆除の補助を二人に頼むことにした。


「と言う訳で、お願いできます?」

「任せたまえ」


 クラリスのその言葉に、何故かシャルルが自信満々に応えた。そして、威風堂々とした歩みでクラリスたちの前に出て、遥か向こうのゼネラルホーネットの巣を見据えるように仁王立ちすると…


「さぁ仕事の時間だ、我が用心棒よ!!」

「なら射線上からどいてよ雇い主様」

「ゴメンナサイ」


 シャルルがそそくさとその場から下がると、背後にいたレオンが入れ替わるようにしてゼネラルホーネットの巣と向かい合う。その彼の手には、やや大型で武骨な弓が握られていた。クラリスが『え、まさか…』と思う目の前で、彼は弓に矢をつがえ、そのままゼネラルホーネットの巣に狙いを定めて弦を引き絞った。


「ちょっと待って下さい、まさかその弓矢でやるつも…」


 そんな小さな矢でどうする気なのか、そもそも500mは離れてるこの場所から撃って届くのか。色々と言いたいことはあった、けれど何も言えなかった。


ドガァン!!

 

 矢の放たれた音なのか、矢が空気の壁を貫いた音なのか、それとも矢が標的に直撃した音だったのか。いずれにしても、弓矢から鳴ってはいけない音だった。弓矢から出てはいけない大きさの余波と風だった。クラリスの言葉を遮るには、充分過ぎた。


「へ?」


 とんでもない勢いでレオンの弓から放たれた矢は、巣の周りを飛び回っていた一匹を粉砕しながら貫き、そのまま表面に纏わり付いていた一匹を粉砕しながら貫き、最後には巣そのものに大きな音を立てながら大穴を空けた。

 その光景はまるで砲撃そのもの、しかしそれを成したのは一本の矢。一部始終を見ていた筈のクラリスでさえそれが信じられず、口をあんぐり開けて固まってしまう程だった。


『『『『『Beeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!!』』』』


 だが今の一撃に怒り狂ったのか、ゼネラルホーネット達が耳障りな鳴き声を上げ、巣に空けられた穴から続々と這い出してきてた。そして羽を羽ばたかせて飛翔すると、自分達を脅かす存在を見つけ、一斉に襲い掛かってきた。そんな恐ろしい光景を前に、『魔物狩りは専門外』を自称するシャルルはその場から一目散に逃げ出した。

 それに構わずレオンは次々に矢を弓につがえては放ち、その全てを自らに向かってくるゼネラルホーネットに命中させていく。放たれた矢は先程と同様、常識外れの速度と勢いで飛んでいき、一撃でゼネラルホーネットをバラバラに粉砕し、時には貫通させた一本の矢で複数を仕留めてみせた。

 しかし、やはり巣を丸ごと相手にするとなると、それでも足りない。次々と放たれる砲弾のような矢に続々と数を減らしながらも、遂に数匹のゼネラルホーネットが距離を詰め、レオンに襲い掛かろうとした。


「っ、させません!!」


 その瞬間、放たれた二発の閃光。今まさにレオンに襲い掛かろうとしたゼネラルホーネットは一瞬で火達磨にされ、即座に絶命した。それでも次々と襲い来る巨大蜂の群れを相手に、クラリスは自身の周りに無数のルーン文字を展開する。そして、浮かび上がったルーン文字が一際強く光り輝くと再び閃光が放たれ、追加で迫ってきた三匹のゼネラルホーネットが消し炭と化した。


「やるねぇ」


 矢を三本同時射ちして迫ってきた群れを蹴散らすと、レオンは一度その場から飛び退くようにして下がり、クラリスの隣に立つ。そして、彼に追い縋ってきた残りのゼネラルホーネットがクラリスの魔法に撃ち抜かれて消し飛び、ようやく群れの第一波が全滅した。そう、まだ『第一波』なのだ。あの巨大な巣には、まだまだ多くの蜂共が蠢いている。それを証明するかのように、巣から『第二波』の群れがわらわらと這い出してきた。


「撃ち漏らしの処分は任せても良い?」

「構いません」


 しかし、二人に焦りは微塵も無い。レオンは再び矢を弓につがえ、クラリスは更に追加でルーン文字を展開した。


「んじゃ、お願いね」


 そして言葉と共に放たれた矢が、ゼネラルホーネットの巣に二つ目の大穴を空けた。



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