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最後の花が散るまでは  作者: 佐倉杏
盗人
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3

「戻ったか、鬼一郎」

 鬼一郎に連れられ、晴彦と伊之助は拝殿の中へと足を踏み入れた。


 拝殿の中央には他よりも一回り高くなった御座があり、そこに煌びやかな衣装を着た女が、脇息(きょうそく)にもたれかかるようにして座っている。彼女が山の神の娘なのだろう。てっきり、女性は御簾(みす)の中にいるのだろうと思っていた晴彦は少し驚いた。


 先ほどの東の対が、本当に東側にあると想定しよう。すると、北側の廂にだけ人がいない。南、東、西の廂にはそれぞれ何人もの殿上人が座っていて、晴彦たちに注目していた。じっと観察する者、露骨に顔をしかめる者、隣とこそこそ話している者など反応は様々だが、友好的であると判断できるような視線が一つもない。


 緊張して唾を飲み込もうとしたが、口の中が乾いていて、唾液さえも出てこなかった。

(そういえば、姫は一柱だけなのか)

 阿行は、山の神には娘が二柱いると言っていた。なのにこの場にいるのは一柱だけで、彼女の隣には、誰もいない御座が寂しそうに佇んでいるだけだ。


 鬼一郎は真っ先に口を開いた女に対し、深々と頭を下げた。

「会議の進行を妨げたこと、深くお詫び申し上げます」

「良い、構わぬ。そんなことでいちいち目くじらを立てるほど、私の気は短くないわ」

「佐久夜姫様の寛大な御心に、感謝いたします」

「そんなことよりも」

 佐久夜は手にした扇子で口元を隠し、妖艶に笑った。

「そこな人間は、何者か。説明してくれるのだろうな?」


 鬼一郎から晴彦に、皆の視線が移る。晴彦は顔がかっと熱くなるのを感じた。佐久夜はそんな晴彦の様子を、むしろ面白がる風に見つめている。それに気付くと、晴彦の頰はますます熱を帯びる。何しろ目の前にいる佐久夜という女神は、この世の者とは思えないほどに美しかったのだ。


(いや、神様だから、実際にこの世の者じゃないのか? でも目の前に存在してるってことは、この世の者なのかな)

 考えれば考えるほど、よく分からなくなってくる。


 とにかく、晴彦の感覚で言えば長すぎる黒髪も、古風な物言いも、もはや彼女の長所に思えた。肌理の細かい白い肌や、桃色に染まった頰は、まるで雛人形のようだ。目の上にさっと引かれた朱色が、気の強そうな彼女によく似合っている。

 十二単と思しき着物には、絞り染めと金糸の刺繍で模様が描いてあり、重ねられた着物が見事なグラデーションを演出する。内側から紫、臙脂、赤、桃色、桃色、桃色と続いており、外に行くほど淡くなっていくようだ。後で聞いたのだが、この姫は花の色のような可愛らしい配色を好むのだそうだ。


「え……と」

 何か話さなくてはと思い、口が勝手に開く。しかし飛び出す言葉は、晴彦の意思を反映したものではなく、意味を成さない音だけを残して地面に落ちた。頭の中が真っ白になる。

 それにいち早く気付いた鬼一郎が、自らの背後に隠れるようにして平伏している伊之助を前へ押した。


「この人間は、伊之助が連れてきたのです。伊之助から少しご説明させていただきます」

 伊之助は、本来なら会うことのできないはずの姫に相対する緊張か誉れか、あるいはその両方で小刻みに震えていた。足元に敷かれた畳の縁を見つめながら口を開く。


「畏れながら申し上げます。

 この人間は、畏れ多くも姫神様の領域である神域の敷地内にて、発見されました。初めに見つけたのは、狛犬の阿行殿です。

 本人曰く、いつの間にかここにいて、一体どうやって神域へ侵入したのかも分からないとのことで。怪しいことこの上なく、また不動石の一件のことも含めて考えますと、無関係であるとは到底思えません。そこで姫神様のご意見を伺いたく、こちらへと連れて参った次第でございます」


「ほう」

 佐久夜は感情の読み取れない声で呟くと、値踏みをするような目で、晴彦の頭のてっぺんから足の先までを順に見つめた。

「人間、伊之助の申したことに異論はないか?」

「はい。あ、いや。えっと…………いいえ」

 反射的に肯定して、その後で気になる点があることに気付いたので、否定した。はっきりしない様子の晴彦に、佐久夜は眉根を寄せた。


「どっちだ。曖昧なのは好かぬ」

「その。子細については間違いありません。けど……不動石の一件って、何ですか」


 不動石という名前を聞いたことすらない。だというのに伊之助の言い方では、晴彦が不動石の一件とやらに関与していることが、明らかであるかのように聞こえる。

 一件というからには、きっと穏やかな内容ではないのだろう。適当な返事をして、変な疑いを持たれたくない。


「不動石とは、姉様がお作りになった神の秘宝だ」

 姉である石長自身が張った結界に、守られているはずの不動石が、一ヶ月ほど前に、何者かによって盗まれたという。

 佐久夜は脇息から体を起こすと、至極真面目な顔をして晴彦を見下ろした。悔しげに唇を噛んで、開いていた扇子をばちんと閉じた。握る手に力がこもったのか、扇子がみしりと音を立てた。


「かれこれ何世紀になるか……父神がこの地に神域を創られてから、一度だってこのような失態はなかった。あれは姉様の力の結晶。永久を司る宝玉。神以外の手に渡って良い代物ではないのだ」


 非常事態、というのはそういうことか。会う人会う人が神経を尖らせていた理由も分かる。だがそれと晴彦に、一体何の繋がりがあるというのだろう。ここには鬼などの不思議な種族が暮らしているようだし、ただの人間にすぎない自分に、何ができたというのか。


「いや。ただの人間であることが問題なのだ」

 晴彦の疑問に、佐久夜は陰りを帯びた瞳を揺らして答えた。


 この世界に住むのは、神である佐久夜たちと、その神に仕える妖だけだという。その中でもこの神殿に出入りするのは、ほとんどが鬼族(きぞく)狐族(こぞく)付喪族(つくもぞく)である。持つ力の大きさに大小はあれど、妖は例外なく妖力を持ち、人間をはるかに凌ぐ能力を持つ。


「だからこの世界の結界は基本的に、妖力を察知する仕組みなのだ。

 これがどういうことか、分かるな? 人間のお前であれば、問題なく宝物殿に忍び込み、不動石を盗み出すことができるということだ」


 ぞくりと、背筋に寒気が走る。佐久夜の冷たい瞳が、周囲の妖の疑わしげな表情が、晴彦を貫いた。丸裸にされたような居心地の悪さに加え、完全に孤立した状況が晴彦をどんどん追い詰める。

 唾を飲み込もうとして、口内が乾いていたことを思い出す。やっとのことで出てきた言葉は、あまりにも陳腐なものであった。


「で……でも、俺は、何も知らない……!」

「だろうな」

 晴彦の決死の言い分を、佐久夜はあっさりと肯定した。拍子抜けした晴彦のほうを見もしないで、つまらなさそうに右手で髪をいじっている。


「お前のような青二才が、姉様を出し抜いて不動石を盗み出せるはずもなし。いくら年若く経験も足らぬとはいえ、己の主張も満足にできぬほど情けないとは思わなんだ。

 私が疑っているのは、お前を利用した何者かがおらんかという、その一点のみよ」


 佐久夜は手を叩いて、側に仕えていた男を呼んだ。男は鬼族のように角も生えていなければ、尾も耳も生えていない。

 あのふさふさした耳や尾は、たぶん狐族のものだと思う。であれば人間にしか見えないその男は、おそらく付喪族と呼ばれる種なのだろう。


真経津(まふつ)、適当な者を選んでこの人間に付かせよ。何者かが接触して来ないとも限らん」

「かしこまりました。では……煌哉(こうや)でいかがでしょう。あいつはまだ未熟な点もありますが、熱意ある将来有望な若者です」

「任せる」

 佐久夜は面倒臭そうに手を振って、真経津を追い払った。真経津は背後に控えていた部下に、煌哉に知らせるように指示を出した。


 真経津の指示を受けた男が拝殿を出て行くと、佐久夜が晴彦に向き直った。初めて、佐久夜の声色に晴彦を哀れむような色が混じる。


「さて。残念だが、今すぐにお前を、人間の世界へ返すことはできない。お前がここに来るに至った経緯、原因など、明らかにしなければならないことも多い。

 そもそも神域への侵入が大罪であるしな。もしお前自身に悪意があれば、それなりの罰を与える必要も生じる。

 この一件が明らかになるまで、お前には東北の対の渡殿に部屋を与える。不便があれば煌哉に申せ。それなりの対応はしよう。では……伊之助。連れて行け」


 伊之助に合わせて礼をすると、晴彦は拝殿を出た。入ってきた情報が多すぎて、なんだか頭がぼうっとしている。

「おい、行くぞ」


 小声で伊之助に小突かれて、はっとした。放心していると置いて行かれてしまう。足音も立てず滑るように進む伊之助の後を追って、晴彦はぱたぱたと音を鳴らしながら、東北の対へ足を向けた。


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