表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最後の花が散るまでは  作者: 佐倉杏
盗人
4/28

 二匹揃って持ち場を離れるわけにはいかない。だから晴彦を連れて行くのは、阿形の役目になった。阿形は晴彦に「付いて来い」と言うと、返事も待たずに建物のある方向へと進み始めた。しかしすぐに右に曲がると、正面に見える建物からどんどん遠ざかる。


「あの建物に向かうんじゃ、ないんですか?」

「阿呆。すぐさま拝殿に向かう奴があるか」

 呆れ顔で阿形が晴彦を振り返った。


「東の対の向こうに車宿(くるまやどり)がある。お前は不法侵入者であるわけだし、きちんと玄関口から入るのが良かろうよ」

 まあ、すでに中に入っているがな、と言って阿形は笑う。大きく口を開けるたびに、吽形よりもいくらか小ぶりの尖った牙が見え隠れする。晴彦は相槌を打とうとしたが、阿形が何を言っているのか、さっぱり分からなくて、つい気のない返事になってしまう。


「はあ、そうですか」

 車宿って何だろう。ニュアンスから考えると、駐車場のような所に思える。

 そもそも晴彦はきちんと鳥居を潜って来たのだが、あれは正面口ではなかったのか。


 阿形が横目でちらりと晴彦を見ると、一つ溜め息をついた。

「向こうに、拝殿と似た建物が見えるだろう」

「あ、はい。見えます」


 正面に見えていた建物は横長だった。それをそのまま九十度回転させたような建物が、確かにある。


「あれが東の対だ。そこから伸びている廊に、門がついているだろう? 見えるか? そう、それだ。その奥が車宿。車を止めておく場所だ」

「山の上なのに、自動車を使う人がいるんですか?」

 晴彦が登ってきた山は険しく、とてもじゃないが自動車で登れるような傾斜ではなかった。驚いた晴彦が問うと、阿形は片方の眉をぴくりと上げて、石の額に皺を寄せた。


「じどうしゃ? 何だ、それは」

「えっ。だって、車って」

「……ああ」


 戸惑う晴彦の様子を見て、阿形はようやく得心がいったらしい。怪訝な表情の晴彦から目を逸らして、東の対のさらに向こう、遥か遠くの空を見つめた。現世を離れて久しいからな、との呟きが聞こえた。


「なるほど、今の世では、じどうしゃという車を使っておるのか」

「……ここで言う車は、違うのですか?」

「違う」

 遠い空を見つめたまま、阿形はきっぱりと言い切った。


網代車(あじろぐるま)がほとんどだ。無論、それを引くのはただの牛ではないぞ。空を飛ぶからな」

「牛……が、飛ぶのですか」

「飛ぶ」

「鳥じゃなくて?」

「牛だ。網代車は牛車だからな。

 もしや、そのじどうしゃとやらは、鳥に引かせるのか?」


 阿形は素で言っている様子で、それがなんとも恐ろしい。

「違いますよ……」


 素直に阿形の言うことを信じるなら、牛車は空飛ぶ牛に引かれるから、山の上でも問題なく使うことができるということか。空を飛ぶ獣を、果たして牛と呼べるのかということは別問題として。

 阿形は喋りながらも、歩く速度は落とさない。それでもこの神社の敷地は恐ろしく広く、晴彦たちはまだ池の端にも辿り着いていなかった。


 足元を、細く澄んだ流れが通り過ぎていく。流れは涼やかな水音を立てて、先ほどの大きな池に流れ込む。錦鯉が遠くで跳ねた。小さな橋を渡りながらそれを眺めていると、阿形が得意げに鼻息を荒くした。

「美しかろう。しかし、こんなもんじゃあないぞ。この遣水には、夜になれば鬼火が飛び交うのだ」

「鬼火……」


 晴彦は鸚鵡返しに呟いて、この不思議な場所では、もう何を言われても驚くまいと思った。

 点滅を繰り返す求婚の光が、多様な花の間を飛び交う様は、それはそれは美しい光景なのだと、阿形は目を細める。阿形の口ぶりから察するに、どうやら鬼火とは、蛍のようなものであるらしい。


 遣水を自慢する阿形だったが、晴彦の関心は別のところにあった。……阿形は今、多様な花と言った。

「阿形、さん」

「何だ」

「どうしてここには、四季全ての花が咲くのですか?」


 参道と同様に、この庭に咲く花も季節を問わず咲いている。問われた阿形はぴたりと立ち止まって晴彦を見上げた。そのまま進んでいた晴彦は、つい阿形を追い抜きそうになって慌てて止まる。


「お前……本当に何も知らんのだな」

 その眉尻が下げられ、瞳に哀れむような色が混じる。尾までが力なく垂れ下がった。

「今確信したわ。お前は、己の意思とは無関係に、ここに連れて来られたのだと」

 もし何らかの陰謀を抱えてこの世界へ来たのなら、それほど無知で無邪気ではなかろうと、阿形は言った。


「石長姫様と、佐久夜姫様を存じておるか?」

 晴彦は目を瞑ってかぶりを振る。阿形は「やはり、そうか」と独り言のように呟くと、歩きながら話そうと言って、車宿へ歩を向けた。


「先ほども少し言ったが、二柱は大山津見神の娘御だ」

 山の神の娘である二柱も当然のことながら、神であるという。ここは神の社。大山津見神の家族が暮らす、神域なのだと。


 つい眉を顰める晴彦であったが、阿形は気付かないのか、気にしていないのか、遠慮なく話を続けた。

「姉である石長姫様は、永遠を司る神でな」

 岩のように、永き時を経ても変わらぬ姿を保つ加護を、与えることができる。そして妹の佐久夜姫は、花開くような繁栄を約束する神であった。


 父神である大山津見神はこの社を留守にすることが多いが、二柱の姉妹はほとんど外に出ることがない。


「もう何世紀もの長きに渡り、この世界は二柱の加護を受けた。

 その結果、佐久夜姫様の力によって庭の花は例外なく咲き乱れ、石長姫様の加護によって、その花は散ることを知らぬ……そんな庭ができあがったのだ」

 阿形は晴彦を見上げ、口の端を歪めて笑った。

「信じられんか?」


「えっ? あ、その……えっと」

 晴彦は「はい」とも「いいえ」とも言えなくて、なんとも情けない声を出した。しかし阿形は気を悪くした様子など微塵も見せずに、ぽつりとこぼした。


「致し方のない話だのう。人の子の信仰が薄れて、もう百年にもなる。まして、人の子は薄命。年若いお前に、神の逸話を信じろというのは、酷なのであろうなぁ」


 笑っているはずの阿形の瞳は、ひどく寂しそうに見えた。何か声をかけたくなって言葉を探すが、何を言っても空虚に響く気がして、晴彦はただ黙っていた。

 そのままどちらも何も喋らずに、車宿のある中門まで辿り着いてしまった。中門の外には人がいるようで、晴彦の耳までざわめきが聞こえてくる。


「おぅい。誰か、おらんか」

 久方ぶりに阿形が声を張り上げる。すると中門のすぐそばの建物から足音が聞こえた。そちらに目をやると、黒い格子窓のようなものが開け放たれているのが見える。格子窓は外側に折りたたむようにして、下から上に持ち上げられていた。


 その中からひょっこりと顔を出した生き物は、どこからどう見ても鬼そのものだった。

 鬼の頭部には、意外と可愛らしいサイズの角が二本、ちょこんと乗っている。しかし鬼の体格そのものは人間にかなり近い。筋骨隆々のプロレスラーが平安装束のコスプレをしたら、きっとこんな感じになるのだろう。


「阿形のじいさんじゃないか。どうしたんだよ、持ち場を離れるなんて」

「非常事態だ。人の子が紛れ込んでおった」


 阿形の言葉を聞いて、鬼は初めて晴彦に気付いた様子だった。晴彦は鬼と目が合ったので、内心ではひやりとしながらも、とりあえず友好的に笑いかけた。笑顔は万国共通の挨拶だと、小学生の頃に道徳の授業で習った。

 しかし鬼は血相を変えて晴彦を指差した。ただでさえ赤らんだ顔をしているから、ものすごい顔色になっている。どう見ても歓迎などされていない。


「に、に……人間!」

 まるで幽霊でも見たかのように、その顔が引きつっていた。一方で晴彦のほうはというと、ここに来るまでに色々とありすぎたからか、自分でも驚くほどに平然としたものであった。


「ちょっと、じいさん。どういうことだよ。なんで人間がいるんだ!」

「まあ、落ち着け」

「これが落ち着いていられるか! まずいよ、こんなときに人間が忍び込んでいるなんて!」

「こんなときだからこそ、焦るなと言うておるのだ」


 繰り返し繰り返し、阿形は鬼を宥めた。やがて鬼も多少は落ち着きを取り戻したようで、むやみに晴彦を指差したり、叫んだりすることはなくなった。


「……でも、どうするんだ、そいつ」

 とても厄介な仕事を押し付けられた。そう主張するような目で鬼は晴彦を睨みつける。わざとだろうが、対する阿形はぱたぱたと尾を振り、なんとも気楽そうに振舞っている。


「なに、ちょいと石長姫様か佐久夜姫様にご報告できれば良いのだ。

 ああ……無論、お前は鬼一郎(きいちろう)にでも頼めば良い」


 孫にお使いでも頼むような気軽さで、阿形は「頼めるな?」と聞いた。

 鬼は濡れた新聞紙よりも皺の寄った顔を晴彦に向けて、やや躊躇った後に、しぶしぶ頷いたのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ