第3話 節水
直樹と千春とで話していると、沙織と麗奈が教室の後ろの扉から中を覗いていた。俺達を確認すると、こっちに向かってやって来た。
「ねえ、先生が今日から節水しろだって」
「なんで節水しないといけないんだ」
「停電でポンプが動かないんだって。麗奈よろしく」
「ええっ、えっと学校の屋上に水槽があって、その水槽から校内の蛇口やトイレに水を流しているんですって。でも、電力で動くポンプが止まってるから屋上の水槽に水を汲み上げられないんですって。だから、水槽の水が空になったら断水しちゃうんで、今日から節水なんですって」
ぱっつん前髪のセミロング、説明が雑だったのが吉田沙織。ふんわり流し前髪のボブ長め、丁寧な説明だったのが中井麗奈。二人とも、俺と直樹と同じキックボクシングジムに通っている。
沙織はダイエットの目的でジムに通い始めたが、最近はジムの人達や直樹を相手に
スパーリングばっかりしている。見た目は直樹と違って筋肉モリモリではないので、初対面の人に沙織の事を格闘技経験者だよって言っても、まず誰も信じない。麗奈は「大きな胸を何とかしたい」と沙織に相談したら「ダイエットしたら縮むんじゃない」と言われジムに通い始めた。沙織は目つきが鋭くて、男っぽい性格。麗奈は少したれ目で、穏やかな性格だ。
沙織と麗奈は俺の右斜め後ろの席に座った。
今の俺達の席順は、俺の隣の席に千春が座っていて、俺の後ろの席に直樹が座っている。そして、千春の後ろの席に麗奈が座って、机に沙織が腰掛けている感じだ。
俺は沙織達の話しが気になったので
「へー、電気が使えないと水も使えなくなるんだ」
「そうみたいよ、節水ってなると色々と困るのよね」
「でも、一軒家とかはポンプを使わないから停電してても大丈夫らしいですよ。学校とかマンションはポンプを使ってるから、断水してしまうみたいです。ただ大規模な
停電で、浄水場の機能が停止していたら地域全体で断水するそうですよ」
「へー、やっぱ電気が使えないと色々と困ったことになるんだな。断水するから節水をしろか。でも今って水が止まって困る事って何かあるか」
千春に目配せすると、ペットボトルのお茶を飲みながら
「飲み物は学校から支給されてるもんね」
「だよな、学校の水は飲まないからなあ。別に節水って言われても特に問題ないよな」
すると、直樹が少し焦った感じで
「まて。レトルト食品を温めるお湯についてはどうなるんだ。節水しているのでお湯は使えませんとなると問題だぞ」
なるほど、食事が乾パンだけになるのは困るな。さすが直樹だ、食べる事に関してはさえているな。何かに気づいたのか千春がこっちを見て
「じゃあ、沸かしたお湯で髪を洗ったり、濡れタオルで体を拭けなくなるのかな」
浮かない表情をしている千春に俺は
「でも二、三日くらいなら風呂入らなくても大丈夫だろ。直樹も俺と同じで風呂くらい入らなくても大丈夫だよな」
直樹に同意を求めてみるが、首を左右に振っている。沙織と麗奈は眉間に皺を寄せていた。
学校が連休とかで、次の日に予定がなくて外に出掛けなかった日とかなら、汚れてないし面倒くさいから、俺は風呂に入らなかったりするけど、みんなは違うのか、汚れてなくても毎日入っているのかな。
千春が顎を引きながら渋い顔をすると
「えー、僕は無理だよ。今の状況でもけっこう我慢してるのに、今日で三日目でしょ、そろそろお風呂に入りたいよ」
直樹は千春と同意見らしく頷いている、沙織と麗奈は大きく頷いている。
へーそうなんだ。みんなけっこう我慢しているんだな。直樹は俺と同じで、ぜんぜん平気かと思っていたけど、分からないもんだな。
すると麗奈が
「でも、そこまで心配しなくても大丈夫だと思いますよ。先生の話ですと、水を無駄遣いしないように気をつけましょうって感じでしたから」
麗奈の話しで先生との会話を思い出したのか、沙織が
「そうね、そんな感じだったわね。お湯を沸かすための水は必要だから、そこまで心配しなくて良いと思うわよ」
節水って言うから、けっこう色々と面倒くさい事を気にしないと駄目なのかと思っていたけど
「ふ~ん。じゃあ、今まで通りで問題なさそうだな。要はジャブジャブ水を使わなければ良いんだもんな」
俺、直樹、千春は高校一年、二年と同じクラスだ。沙織と麗奈とはクラスが一緒になった事はない。五人とも中学校はバラバラで、知り合ったのは高校に進学してからになる。
直樹は体がでかかったので、単純に何をして体を鍛えているのか興味があったから話し掛けた。するとイヤな顔をせずに、色々と質問に答えてくれて「習い始めたばかりだけど、やってみるとキックボクシングは楽しいぞ」と直樹からジムに誘われた。
体を動かす事は好きだったけど、俺はチームプレーや連帯責任ってのが馴染めなかったので、学校の部活には興味がなかった。でも、キックボクシングは個人競技だったので、俺は直樹に連れられてジムに見学しに行ってみた。
ミット打ちやスパーリングとか、色々やってみるとけっこう楽しかった。あっと言う間にキックボクシングにハマって、学校帰りや休日の空いた時間を使って、本格的にジムに通い始めた。
そして、俺と直樹はけっこう性格が似ていた。お互いに人と争う事が苦手で、目立つことも苦手な性格だった。クラスでは自己主張せず、長い物には巻かれろ的な感じで過ごしている。
学校行事に参加するのとか面倒くさいけど、人との協調性に欠けてると思われてクラスでの風当たりが強くなるのは色々と面倒なので、俺と直樹はクラスの和を乱さない程度に行事には参加している。
なので、直樹とは一緒にジムに通っているって事もあるが、性格も似ている事から、学校でも一緒に行動する時間が多くなり、今では何でも話せる関係になっていた。
俺がジムに通い始めて直ぐに、沙織がジムに入会して来た。ダイエットの目的で入会したけど、スパーリングが気に入った様子で、いつも相手を探している。運動神経が良いのか、素質があるのか、プロの選手が真面目に相手しないと苦戦してしまうくらい、あっと言う間に沙織のキックボクシングの技術は上達した。
俺も何度かスパーリングの相手をさせられた。女子を殴ることに抵抗があるので、いつも守りに徹していたら、沙織はなめられていると勘違いして「いつか克也に本気を出させる。それまで首を洗って待ってなさい」と沙織の闘争心に火を着けてしまった。その日から俺は沙織のスパーリングの相手をしていない。たぶん、沙織とスパーリングしたら、俺はあっという間に瞬殺されるだろう。
沙織がスパーリング大好き女子高校生に変貌し始めた頃に、麗奈がジムに入会して来た。人を殴るのはあまり好きではないらしく、運動量を増やす時にスパーリングするくらいで、いつもボクササイズかミット打ちで汗を流している。
そして、誰もが見てしまう立派なお胸の持ち主で、ジムに通い始めた当初は、運動して余分な脂肪を燃焼させて「胸をサイズダウン」させる事が目的だったが、通い始めて半年くらいで、体全体の筋肉が適度に発達し始め、姿勢が良くなりスタイルが良くなった。さらに、大胸筋が鍛えられたことにより、バストアップ効果が表れ「胸はサイズアップ」してしまい、当初の目的は完全に失敗してしまった。今は、適度に運動して汗を流す事が心地良い、との事でジムに通っている。
沙織と麗奈は男子生徒から人気がある。あまり仲良くしていると色々と面倒くさい事に巻き込まれそうなので、学校では見かけても挨拶する程度で、俺達から沙織達に話し掛ける事は滅多にない。
千春は休み時間になると、いつも小説を読んでいた。俺も小説を読むので何を読んでいるのか気になって、声を掛けてからは徐々に会話も増えて行き、お互いの小説を貸し借りしているうちに千春とは仲良くなった。
中性的な容姿のせいで、中学生の時に色々とあったらしいのだが、俺と直樹は容姿に関係なく普通に接してたので、千春は居心地が良かったらしい。仲良くなり始めた頃の千春は、どんな時でもどんな事でも「自分が正しい、相手が間違っている」って感じだった。過去に色々あった時に、自分を守る事に必死で、精神的にも肉体的にも余裕がなかったんだと思う。
俺達と遊んだり、くだらない事でも熱く語り合っているうちに、人それぞれ色んな物の見方や、考え方がある事に気がついてからは、自分本位の考え方から、相手の気持ちを考えて行動出来るようになり、今では明るく前向きで、社交的な性格になっている。良い方向に性格が変わったことで、沙織と麗奈とも上手く付き合って行けている。
「ねえ、克也達はまだ帰らないの」
「電車とバスが動かないからな、雨も降ってるしまだ学校に残るつもりだよ」
「沙織達はどうするの」
「私達も、電車かバスが動くまでは学校にいようって考えてたけど、今日から節水だからね」
「水をジャブジャブ使わなければ良いんだろ」
「大量には使わないけど、それなりに使えないと困るのよ」
何が言いたいのかよく分からないので、俺が首を傾げていると。沙織は眉間に皺を寄せてこめかみを押さえていた。隣で麗奈は困った表情をしていた。直樹に目配せするが首を傾げている。千春にも目配せするが、両手の平を上に向け首を傾げていた。男性陣は、沙織達の節水問題について、答えが分からないみたいだった。答えは分からないけど、あんまり気にはならないから沙織に
「じゃあ、そろそろ下校するのか」
「今日は雨降ってるから、バスが動くか電気が復旧する事を期待しながら、学校で待機するわ」
千春がうんうんと頷き
「雨の中を歩いて帰るのは、やっぱりイヤだよね、面倒くさよね」
と言うと、みんな同意して直樹も麗奈も頷いていた。俺は沙織に
「早く復旧して欲しいよな、でも明日になっても電車やバスが止まってたらどうするんだ」
「駅まで行ってもし電車やバスが動いてなかったら、麗奈が家に泊めてくれるから大丈夫よ」
すると、麗奈が両手を顎に当ててブイサインをしていた。