第2話 始まる
「うっちー、また乾パンもらったからあげるねえ」
「俺は前回もらってるから、直樹にゆずってもいいか」
「ほい、なおっきー」
「助かる、ありがとな」
加藤千春が笑顔で乾パンを手渡すと、直樹も笑顔で受け取った。
千春は身長が低く、細身の体型で中性的な顔立ちだ。制服だと大丈夫だが、私服だと女子と間違えられる事があるそうで、本人はもっと男っぽくなりたいとぼやいている。性格は明るく前向きで社交的な感じだ。
昨日、俺と直樹が腹が減ったとぼやいていると「おっけ~、まかせといて」と言って、千春は教室から出て行った。しばらくすると、両手いっぱいに大量の乾パンを持って戻ってきたので、俺と直樹が乾パンの量に驚いていると、千春は得意げな表情になり
「何気に乾パンて不評だったりするんだよねえ。美味しくないとか食感が嫌いとね。後は、ダイエット中だから食べない生徒もいたりして、けっこう乾パンを持て余してる生徒っているから、そんな生徒達に『いらないなら、ゆずって~』って声を掛けて来たよ~」
と言って、大量の乾パンを俺達に譲ってくれたのだ。そんな感じで、今日も千春は乾パンを持て余している生徒達に、声を掛けてくれたみたいだった。
ちなみに俺の苗字が川内なので、千春からはうっちーと呼ばれている。そして直樹は苗字ではなく、下の名前で呼ばれている。
「いえいえ、どういたしまして。そんで、うっちー達はまだ帰らないの」
「俺はバスか電車が動いたら帰るつもりだぞ」
「ふ~ん、なおっきーはどうするの」
「雨だから諦めた」
「あらら、諦めちゃったんだ。うっちー、残念だけどバスも電車もまだ動いてないって、先生が言ってたよ」
「まあだ動いていないのか。夕方までに復旧してくれないかなあ、このままだと今日も学校に泊まりになるぞ。千春はどうするんだ、まだ帰らないのか」
「僕もバスか電車が使えるまでは学校にいるつもりだよ。歩いて帰りたくは無いからねえ」
俺達は普段から電車とスクールバスを利用して登下校していた。スクールバスとは学校から駅までを直通で運行する生徒専用のバスの事だ。学校からバスが発着する駅までは、片道約三十分くらいの運行時間なので、バスの発着駅までなら歩いても良いかもって思う。でも、バスの発着駅から更に最寄りの駅まで歩いて帰るとなると、さすがに面倒くさい。だから、バスが動かなくてもせめて電車が動き出すまでは、学校で待機していようと思ってしまう。
「それに急いで家に帰る理由が無いからねえ、のんびり学校で過ごすのも良いのかもって思ってるよ。大きな地震で避難中だったら、家族の事が心配で早く帰りたいって思うけど、今って特に心配する事がないからね」
千春の言う通り、地震とか何かの災害で学校に避難している場合だったら、家族の事が心配で歩いてでも急いで家に帰りたい気持ちになると思う。でも、現状は緊急事態って感じじゃないから、今日ものんびり学校の教室で過ごしてしまっている。
「だな、スマホが使えないからやる事がなくって暇なだけで、心配事は無いんだよなあ。急に学校に泊まりってのは驚いたけど、外泊する事ってほとんどないからテンションが上がちゃって、夜はちょっと楽しいんだよな」
「わかる~、お正月とかお盆に田舎に帰るとか、あとは修学旅行とかくらいしか外泊って無いもんね。それと友達の家に誘われたりもするけど、相手の家族に迷惑かけるかもって思っちゃうと、誘われても簡単に泊りには行けないんだよね」
直樹も同意見らしく頷いている。ちなみに、俺は友達の家の風呂を借りるのはなぜか気が引けるので、泊りに誘われても断っている。
「なあ、夜の光るカーテンみたいな、オーロラみたいな現象って何かわかったか」
「ん~、だれも詳しい事は分からないみたいだよ。ただ、みんなオーロラって言ってるね」
「やっぱりあれはオーロラなのかな」
「んにゃ、先生に聞いても分からないって言ってた。んで、専門家に聞いてみないと何とも言えないが、もうオーロラで良いんじゃないかって言ってたよ」
「先生でも分からないのか。やっぱり謎の現象なのか」
確かに、オーロラだろうと新しい何かだろうと、詳細を知ったところで「へーそうなんだ」ってなるだろうし、正式な名称を知ったところで「ふ~んそうだったんだ」って感じになるんだろうな。
「でも、メンバー達はもしもの為に一応準備をし始めてるよ。もちろん僕もだけどね」
「その、もしもってのは何なんだ」
千春はニヤニヤと口元に笑みを浮かべている。直樹に視線を送るが首を振っていた。直樹も「もしも」について分からないみたいだ。
すると、千春は椅子から立ち上がり、口元に笑みを浮かべたまま直樹をチラッと見た。そして、俺の席に近づいて来ると
「なおっきーには難しいかもだけど、うっちーなら分かるんじゃないかな」
千春は窓ガラスに手を当てて、俺を見ると目を細めて
「いや、もしかしたら。うっちーは気づいているんじゃないかな」
すると、千春は目を閉じて
「停電になって外部との連絡が遮断された学校」
そして、ゆっくりと目を開けて窓の外を見ると
「夜には空いっぱいのオーロラ」
と言って、ねっ分かったでしょって感じで俺を見る。俺は本当に分からないので左右に首を振る。千春はまだ分からないのか困ったなあって感じで、鼻で笑うと目を見開き両手を広げて
「始まるんだよ。僕たちの異世界生活が」
「は~じまらねーよ」
目をキラキラさせて興奮気味の千晴の脇をくすぐりまくりながら
「なんで、異世界生活が始まるんだよ」
「にゃぁははははあぁ」
千春は悶えながら
「だってえ、今の僕たちの状況って異世界生活の始まりみたいじゃあん」
俺はくすぐりながら
「停電して車が動かないってだけだろっ」
「にゃははは、だってえ、夜になるとオーロラが見れるじゃん」
「確かにオーロラは謎の現象だけど飛躍しすぎだろ」
くすぐりから解放すると千春が
「分かってるよ僕だって話しが飛躍しすぎって事くらい」
そして千春はくちびるを尖らせながら
「でもさ、やっぱ今の状況ってさ、そう思っちゃうじゃん」
千春は漫画やアニメ、小説とかのファンタジー作品が大好きだ。俺も好きだから千春にお勧め作品を貸してもらったりしている。その中で気に入った作品があれば店やネットで購入したりもする。ちなみに直樹はファンタジーな事に興味は無い。
千春は学校の先輩や同級生達とファンタジー系のゲームで遊んでいて、一緒に遊ぶゲーム仲間の事を千春はメンバーと言っている。そんな千春達は、停電が発生した夜にオーロラを見ていて、もしかしたら学校周辺が異世界に転移したのではないかと、仮説を立てたんだそうだ。でも、翌日駅周辺も停電している事が分かったので、学校周辺が転移したのではなく、地球規模で転移したのではないかと新たに仮説を立て直した。
そこで、千春を含めメンバー達は現実的ではないかもしれないが、もしも仮説が正しかった場合は、今後モンスターが現れたり勇者となって魔王を倒しに、旅立つ時が来るかも知れないので、念のため異世界生活に必要な準備を始める事にしたんだそうだ。ファンタジー作品に馴染みがなかったり、興味のない人が聞いたら苦笑いをするであろう話しだ。
でも、ファンタジー作品に馴染みのある人達ならば、突然外部の情報を遮断され、夜になると今までに見た事のない幻想的な景色が広がっていたら、少しは頭をよぎってしまうと思う。
今の状況って「もしかしたら、異世界に転移しちゃってるかも知れない」と。
俺も物語の世界だったら、モンスターと戦ったり世界の平和の為に魔王を倒すって話とかにワクワクして、寝る間も惜しんで熟読したりもする。だからと言って、もし現実の世界で命を懸けて戦うとか、世界の平和を取り戻す為に旅をするとかって考えると、面倒くさいって感じてしまう。俺は、自分の周りが平和ならそれだけで十分だ、世界の平和はどうでもいい。
それに、高校生活に不満はないし、親に対しても不満はない。つまり、今の生活に満足している。俺は違う世界には行きたくない。まだ未完結の小説や漫画の続きが気になるし、違う世界の生活には魅力を感じない。
だから、俺は異世界になんて転移して欲しくないので、千春達の仮説がただの勘違いであって欲しいと思っている。なので、そろそろ電気が復旧して、バスも動いてスマホも使えるようになってくれ。