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パンケーキ



 柊護に案内され、通された台所は古びた外観とはよそに、最新型のシステムキッチンであった。

 とはいえ使用した形跡も生活感もほとんどなく、取り付けられたオーブンレンジは新品の匂いがした。

「この前改築したばかりなんです」

 そう柊護に説明され、冷蔵庫の中の物も調理器具も勝手に使っていいとのことだった。

「ありがとう。えっと、シュウゴくん?」

「僕は吾妻柊護あがつましゅうごと言います。朱葉さんの、まあ、お世話係ですね」

 どうも朱葉は足が不自由らしく、家の中の日常生活には支障はないものの、出歩くには介添えが必要とのことだそうだ。

(それにしても随分若いのね。もっと大人の男性だったらわかる気がするんだけど)

 歳を訊くと高校二年生だそうだ。

 今は期末考査期間中らしく、昼過ぎに帰宅してきたところに、門の前で立ち止まる石蕗に声をかけたのだそうだ。


***


 ふわふわのメレンゲ生地で作ったパンケーキの焼き加減に満足し、皿に盛り付けようとしていると、玄関の方で元気な少女の声が聞こえた。

「朱葉さーん。おやつ食べに来たよ」

 身内なのだろう。断りもなく家に上がり込み廊下から台所にいた石蕗を確認すると、手伝いのために隣にいた柊護に、

「お兄ちゃん、その人誰?」

 大きな黒い犬の縫いぐるみを抱え、洋服の上に乳白色の羽織を羽織っている。

 真っすぐな黒髪が印象的で、いかにも名家の生まれのような品のいい顔立ちの少女である。

「ああ、新しく入ってくれたお手伝いさんの、石蕗さん」

 ふうん、と少女は値踏みするかのような視線を一瞬だけ向けると、そのまま朱葉の部屋に足を向けていった。

「義理の妹のつばさです」

 突然の告白に驚いたものの、複雑な事情があるのだろう、と興味があったが訊くのは自重した。

 指示されたのは三人分のパンケーキ。ただ、一つは後で焼いて欲しいとのことだった。

 てっきり朱葉、柊護の分だと思っていたのだが、二人分しかできていないうちにつばさがやってきてしまったので、石蕗は慌てた。

 急いでもう一つを焼こうとすると、

「それ朱葉さんとつばさの分だから」

 と先ほどの少女がやってきて、出来上がりのパンケーキを、危なげにトレイに乗せようとするので、

「ほら、つばさ。お兄ちゃんが持って行ってあげるから」

 少女はあからさまに喜び、

「えへへ、お兄ちゃん大好き。そうそう石蕗さん、残りのパンケーキは三十分後ぐらいに焼いてね。あと、プリン作ってほしいんだって」

 後半の石蕗に対する口調が、少しばかり棘があるように聞こえたのは気のせいだろうか。

 それとも言葉や態度で表す様に、大好きな兄を取られまいとした牽制けんせいなのだろうか。

(なんだか複雑な家に来ちゃったかな……)

 とはいえ、これからは雇われの身になるのだ。深入りするのも不躾かと思い、あまり考えないようにした。

 言われた通り、石蕗はプリン作りに取り掛かったのだった。



***


 皿を持ち運ぶたびに不安定に揺れる高さのあるパンケーキを朱葉とつばさの前に置く。

「これこれ! こーゆーのが食べたかったの!」

 あまり外に出かけることがない朱葉にとって、画像で見るカフェでのスイーツは憧れの的だったのだろう。

「つばさ、特別に先に食べていいわよ」

 朱葉がつばさに勧めると、

「あ、うん。いただきます」

 どうやってフォークを刺していいものか、せっかくのふわふわを潰さないように、戸惑いながらも、一口。

「……うん、美味しい」

「そう。それはよかったわね」

 続いて朱葉も一口。

「うーん。美味しい!」

 満面の笑みを浮かべる姿に見惚れているだけだったのだが、

「なぁに、柊護も食べたい?」

 どうやら物欲しそうに見えてしまったのだろう。

「しょうがないなぁ。一口だったらあげてもいいわよ」

 渋るような口調でありながらも、一口にしては大きめのパンケーキの切れ端を柊護の眼の前に差し出す。

「え、ずるい! つばさもお兄ちゃんにあげたい!」

 なぜかつばさも張り合い、断るのもなんだと思い柊護は二人分の一口ずつを食べる羽目になった。

 興味がなかったといえば嘘になるし、店で並ぶには気が引けたので、こういった機会に味わえるのはありがたいとは思う。

「お兄ちゃん、美味しい?」

「うん。うわー口の中で溶ける。こんなにふわふわで美味しいんですね」

 つい語彙力がなくなる。

「そ、よかったわね」

「フーン。お兄ちゃん()美味しいんだね」

「もう一つはみおに持っていきなさい。つばさ」

「え……」

 途端につばさは憂鬱な顔つきになり、傍らにある黒犬の縫いぐるみを抱きしめた。

「うー、だって澪ちゃん怖いんだもん」

 池に囲まれた別邸に住む綾瀬の『次女』は、つばさにだけアタリが強かった。

 挨拶のおり、先代当主が創りだした花のモチーフの銀飾りを渡しに訪問したところ、厄介払いをうけたのだった。

 表面上は穏やかな会話をしながらも、もう二度とウチに来るなと言葉の端々が物語っていたのはついこの間の出来事である。

 そのトラウマもあってか、つばさは澪のことを苦手意識してしまっているのだ。

「それにしても、よく出来てるわね」

 モフモフとつばさが抱いている黒犬の口元をにぎにぎしながら、朱葉は感心気に呟いた。

「でっしょ⁉ 結構うまく出来たんだよ」

 先ほどまでの鬱蒼とした表情はどこへやら、つばさは自慢げに縫いぐるみを見せびらかした。

 持ち上げるとだらりと伸びた足が床にまでついてしまうほどの大きさである。

 最近になってやたらと手芸に興味を持ち出した妹は、初めて作った巾着袋を皮切りに、地の服に刺繍を施したり、組紐や編み物までやるようになった。

 その集大成といわんばかりに、こうしてついには本物そっくりの大型の犬の縫いぐるみまで作るようになってしまった。

「うんうん。まぁ、材料をどこから仕入れたのかは訊かないでいてあげるわ」

「つばさ、もしかして自分のお小遣いで作ったのか? 材料費ぐらいお兄ちゃんが出してあげたのに」

「ありがとうお兄ちゃん。でもこれは趣味で作ってるから大丈夫だよ。でね、朱葉さん。たまにだけどカミサマに言って交換コしてほしいの」

 何を? 何と? ときどきこの二人の間に流れる会話が読み取れない。

「……本物の方がいいから断る、だって」

「そんなこと言わないでよー」

「まぁ、しばらくは留守になるでしょうから、置いて行ってもいいわよ」

「もー素直じゃないなー」

「あの……、二人とも何の話をしてるんですか」

 置いてけぼりになってしまった柊護は申し訳なさそうに横槍を入れるが、見合わせた二人は意地悪そうに、

「これだから柊護《お兄ちゃん》は」

 と揶揄さるだけだった。









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