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しばらくして、くらくらとする視界にぼんやりとしていると、柊護に優しく背後から抱きしめられる。
「その、朱葉さん。わざとでしょ?」
「なにが?」
朝から随分と声を出してしまったせいで、かなり掠れている。
「いや、いいです。その、」
「気持ちよかったわよ」
こういうことはちゃんと素直に伝えてあげよう。
いや実際、充足感で満たされたのだが。
「……そう、ですか」
肩口に顔を埋められ吐息が漏れた。
このまま一緒に寝てしまいたい雰囲気であったが、如何せん、一日の始まりの朝方である。
朱葉はそのまま再び惰眠を貪ってもかまわないが、柊護は学校がある。
それでも布団の中でしばし他愛もなく睦みあっていると、チリン、と鈴の音が聴こえた。
訪問を報せるベルの音とは違い、ご膳を運んできた音だ。
食事はいつも『次女』邸に居る澪の母親の撫子が用意してくれていた。
足の悪い朱葉が外に出る事が難しいのを考慮して、定時玄関先に置かれている。
柊護曰く、急いで取りに行っても運んできた人の姿を見たことがないという。
もちろん摩訶不思議な力が作用しているわけではなく、龍神の眷属である蒼鱗が運んできているのだ。
『清浄の者』である柊護にはすべての異形の気配を跳ねのけてしまうせいで、蒼鱗の姿は一生視ることがないのだろう。
日課になったその音に気づき、反射的に柊護が取りに行こうとするのを朱葉が制した。
「誰も盗りはしないわよ。だから、ねぇ」
頬に口づける。
ねだる様にもう少しだけ柊護を求めると、普段から生真面目な性格の彼には珍しく朱葉を選んだ。
情交の熱が再び燃え上がろうと鈴の音を無視すると、再びチリンと響く。
気のせいかとお互い目くばせをして、聞こえないふりをすると、何度も鳴り響く音にさすがに興が削がれるというものだ。
「……取ってきて」
「そうですね」
脱ぎ捨てた部屋着を整えて柊護が出ていくと、わずかに開いている戸から水の気配がする。
さすがに情交が行われた部屋をのぞくわけにはいかないと思ったのか、蒼鱗の声だけが届いた。
『姐さん、クロの旦那が帰ってきてないようだけど、大丈夫?』
クロガネは昨夜から石蕗の見張りに向かわせたままだ。彼女にはまだ謎の部分が多く、屋敷に向かい入れるには不安要素が高いのだ。
実質、『三姉妹』には影響がないとは思うが、呪術的なものに免疫のない者を危険にさらすわけにもいかない。
特に加護の弱い御影になにかあっては澪から大目玉を喰らうことだろう。
柊護には効かないと思っていたが昨夜の件を鑑みれば用心せねばいけない。
「昼には戻ってくるように言ってあるわよ」
『そう? まぁ何かあってもお嬢と当主さんでどうにかしろっていうんでしょ』
「そりゃまぁね」
あまり熟練の朱葉を頼りされても困るというものだが、若い二人は反対に才能が有りすぎるせいか加減を知らない。無茶をしないようにという意味でも蒼鱗がお目付け役として存在しているのだ。
「まぁ、先代の『長女』も『次女』もはじめは仲が悪かったようだし、通過儀礼なものよね」
台所で物音がするのは、届いたご膳の他に朝から小食の朱葉のために白湯の用意をしてくれているのだろう。
『ま、そーね。ところで姐さん、朝から随分とお盛んな・こ・と!』
「うるさいっ!」
余計なことは吹聴しないとはいえ、昔からの間柄に知られるのは何とも複雑な気分である。
「わっ、びっくりした」
蒼鱗の言葉は聞こえないので柊護はいきなりの朱葉の声に耳を疑ったようだ。
「あ、違う」
訂正するころには蒼鱗の姿はなく、気まずさだけが残ってしまった。
「朱葉さん、食べられますか?」
柊護の見本のような和風の朝食とは違い、昼と兼用で長々と食べる朱葉のために冷めてもよいおかずと白湯が用意されていた。
白湯は柊護が一人で食事をするのに気まずい雰囲気を解消するための、毎朝の日課になった。
それから、と蒸しタオルが朱葉の顔を撫でた。
「身体、洗いましょうか?」
情交の匂いに気遣っての申し出だろうが、朱葉にかまっていると朝の支度に間に合わなくなる。
「……いいわよ、別に」
明るいと気恥ずかしさが上回ってくる。
「帰ってきてから綺麗にしてちょうだい」
布団を頭までかぶり途端に素っ気なくなってしまう。
「それからテスト頑張って」
「! ……はい!」
朱葉の耳に返事が聴こえたのかは定かではなかったが、そのまま再度眠りに落ちていった。
余談ではあるが、その日受けたテストの成績は全教科の中で、一番良かったそうだ。