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石蕗


 

 【コドク】 ひとりであること。

       のろい。



「ふーん。石田路子っていうんだ」

 ――ああ、このシーンどっかで観たことある。

「そうねぇ。呼びにくいし、じゃあ、ここの部分は残してそれから加えて――、」

 ――たしか女の子の両親が豚に変えられて、銭湯で働く物語。

「うん、アナタの名前は今から『石蕗つわぶき』ね」

 ――そして名前を奪われるんだったけ。


「石蕗、返事は?」

「あ、は、はい! これからよろしくお願いします!」

 頭を下げた眼の前の雇い主は、少女のように幼い顔立ちであったが、年女の自分よりも年上なのだと聞いて驚いた。

 梔子色の着物に金糸雀色の帯。銀朱の帯揚げと帯締め。黄色と朱色が彼女の象徴色だ。

 初めてその姿をみた時、黄色い蝶を連想させ、

「私は朱葉あけは。よろしくね」

 それから落ちる紅葉が脳裏に浮かんだ。


 石蕗が朱葉の元で働くことになったのは簡単な理由である。

 以前に働いていた洋菓子店を解雇されたからだ。無職だ。

 子供の頃からお菓子作りが好きで、家族や友人に配っては褒められたのをきっかけにパティシエの資格をとった。留学を経て数々の賞を総なめにしたあとは、いくつかの店を転々とし、小さな洋菓子店に就職したのはつい三か月ほど前のことだ。

 店員も少なく、忙しい時は製造のほかに販売も余儀なくされたが、それでも石蕗のケーキに惚れ込み毎日足しげく通う男性客も増えてきてくれた。

 喜ぶのもつかの間に、小さなトラブルが増え始めたのはその頃だっただろうか。

 平日、人の少ないころを見計らって石蕗を呼び出す客がいたり、ショーケースに入っている商品を全部買い占めていく客。

 一番乗りになるため何時間も前から店の前で並んでいる客や、毎日のように誕生日ケーキを頼んではプレートに石蕗の名前を指定するなど。

 気味が悪いと思いながらも実害はなく、当人である石蕗が少し我慢すればいいことだと思っていた。

 とはいえ小さな洋菓子店である。

 何の因果か、石蕗に好意をもつ男性客が二人かち合ってしまった。

 噂だけはきいていたのだろう、互いを認識すると途端に店内で口論と殴り合いの喧嘩になった。警察沙汰にもなり店の信用はガタ落ちし、店長からは解雇を宣告されてしまった。

 意気消沈のまま帰宅すると、部屋の前で男が待ち伏せをしていた。

 以前から店に通いつめていた客の一人だ。

「お前がっ、お前が全部悪いんだっっっ!」

 狂乱じみた声と共に、手に持った刃物の煌めきだけは覚えている。

 強張った身体はとっさに動くことも出来ず、ああまたくり返すのか(・・・・・・・・・・)とどこか悟りに似た感情が芽生えてた。

 眼の前が真っ暗になった。

 ただ違っていたのは痛みもなく、血の匂い

もない。

「うわぁああああああ!」

 悲鳴を上げているのは男の方で、持っていた刃物は乾いた音を立て地面に落ちた。

「おい」

 低い声のぬしは、男の腕を掴んだまま鋭い眼光を石蕗に向ける。

「警察」

 そう言われ慌てて連絡をすると、すぐに駆けつけてきた警察官に男は身柄を拘束されていった。

 事情聴収に時間がかかったものの、その間も『彼』は側に居てくれた。

 最後に警察官からどういった関係かと問われると、ただの通りすがり、と素っ気ない返答だった。

「あの、ありがとうございました」

 見上げるほどの大きな体は、夜の闇に紛れるかのように全身黒の服でまとめている。

 バンダナを頭に巻き、鋭い眼光はどこから見ても、カタギではない雰囲気を醸し出している。

 お礼に部屋でお茶でも、なんてお決まりな言葉を喉元まで出て飲み込んだ。

 男関係でトラブルがあったのに、これまた男を引き連れてトラブルがあっては笑いぐさだ。

 謝礼金でも渡せばスマートだろうかと思いを巡らせていると、ずいと黒服の男の顔が眼の前にあった。

「お前、菓子は作れるのか?」

「はい?」

「甘い匂いがする」

 毎日作っていたのだ。今日で終わりだけど、と自嘲気味にため息が混じる。

「もし困っているのならここに来い」

 手渡されたのは二つ折りにされたメモ紙。

開けてみると薄く印刷された紅葉と蝶の絵が中央にあり、住所が書いてあった。

「あの、これって?」

「女中を探している。出来れば菓子職人がいいと我儘言いやがって。仕事がないのなら一度来い」

 じゃあな、と去っていく黒衣の男に、

「あの、お名前は」

 なんだこの時代劇に出てくる町娘みたいな訊き方は。

 男は振り返り、

「クロガネ」

 そう応え、夜の闇に消えていった。



 翌日。

 師走の寒さに震えながら、起きようとすると、今日から無職なのだと思い出し、布団から出ることを断念した。

(ああ、そうだ。あの紙)

 のそのそとその辺に置いてあるメモ紙を拾い上げると、再び布団の中に潜り込んだ。

 普段の生活では嗅ぎなれない香の匂いがした。紙にまでしみ込んでいるのだから、よほど和風な環境なのだろうか。

(女中ってお手伝いさんのことだよね)

 随分と古風な言い方だと思い、メモ紙にかかれている住所をマップで検索する。

 表示された場所は一瞬、なにもないのかというぐらいの空白が眼に映る。

 周りに住宅がなく広大な敷地が個人の所有地なのだろう。

 かなり驚いたものの、石蕗には他にすることもなかった。職もない。

 それにもう一度、クロガネに会ってみたいと思ったのである。この場所に行けば再開できるのではないかと安易な考えで、布団の中で気合を入れ起き上がると身支度を整えた。

 とくに働きたいというよりは興味本位の方が大きい。

 遠くから眺めて帰ってきてもいい。

 なにより昨日会った男の姿を思い返せば、反社会的な屋敷かもしれない。そう思うとうかつに近づくのも躊躇するというものだ。



***


「うっわー」

 案の定というべきか眼の前には立派な門構えが設えていた。

 延々と歩いてきた長く高い壁は、この屋敷と世間との境界線なのだろう。

 日頃の運動不足がたたり、息が上がる。

 立ち止まって息を整えていると間の悪いことに、背後から声をかけられたしまった。

 紺のダッフルコートを着た、高校生ぐらいの男の子だ。

 姿勢がよく清潔感のある好印象な人物。

「大丈夫ですか?」

 別に倒れこんでいるわけでも高齢者でもない。少しばかり立ち止まっていただけなのに、声をかけてくるのは随分と珍しい。

 それともこれは彼の人となりなのだろうか。

「大丈夫です」

 あまりこの場所で長居するわけにもいくまいと愛想よく応える。そそくさと立ち去ろうとすると、

「あのウチに用事があるんじゃないですか? この辺、徒歩で来る人珍しいので」

 確かに。

 すれ違う人もいなければ、車も見かけなかった。

 おまけにこの屋敷の先は山が続いている。

 通り抜けるにも徒歩では到底厳しいものがあった。

「もしかして、今日来るお手伝いさんですか?」

 若者は合点が言ったかのように顔を輝かせて、

「どうぞ、入ってください」

「え、あ、いや」

 断ろうにもどういうべきか、それにこんな立派な屋敷に入ることなんて一生にもうないかもしれない。

 そんな好奇心も加わり、石蕗は若者の導きにより門をくぐり抜けた。

(嘘は言ってないよね。まだ決めてないけど。話ぐらいは聞いてもいいし)

 こんなに爽やかな若者が住んでいるのだから、きっと変な場所ではないのだろう。

 よく手入れのされた日本庭園は鳥の鳴き声が響き渡り、まるで別空間のようであった。

 中央にみえる大きな屋敷の右側には、池に囲まれた別邸があった。

 その左側には木々に囲まれた小さな平屋ある。若者はそちらに足を向け進んでいく。

 さすがにどこまで話が通っているのか不安になり、昨夜の経緯を述べると、

「クロガネって誰ですか? あ、いや僕が知らないだけなのかもしませんが」

 途端に雲行きが怪しくなってきた。

 もしかして本当に石蕗以外のお手伝いさんが来るはずではなかったのだろうか。

 そうすると自分は大変迷惑なことをしているのではないだろうか。

 だいたいそもそも連絡先が住所しか明記されていないのだから、いつ来るかなどわからないはずだ。

 昨日の今日で石蕗が訪れる保証も何もなかったはずである。

「ごめんなさい。もしかしたら私、」

 間違えたのかもしれない。

 そう告げようとした時だった、平屋の窓が開き着物姿の女性が姿を現した。

「柊護、間違えてないからあげて頂戴」

 それがこの先巻き起こる、コドクとの戦いの第一歩なのだと、石蕗は知る由もなかった。






***


「正直名前に興味なんてないのよねー」

 和式の部屋には不似合いな椅子に腰かけるのは、この家の主人である朱葉だ。

「私が呼びやすければいいわけだし。それに身の回りのことはだいたい柊護がしてくれるから、石蕗はおやつ作ってほしいわけ」

 石蕗と言われるたびに、頭の中が白くなる感覚があった。忘れてしまうというよりは、塗り込まれるような、奇妙な違和感。

「クロガネは夜行性だから今はいないわよ。とはいえ、柊護の前ではあまり言わないでね」

 何か事情があるのだろうがそれ以上は問うわけにはいかない。雇われの身では、主人に訊ねるのは厳禁だからだ。

「ま、出来れば住み込みで働いて欲しいから部屋は用意してあげるわ。その方がいいでしょ。ストーカー男もいつまた来るか分かったものじゃないから」

 柊護とは違い、朱葉は昨夜の出来事を把握しているのだろう。

 石蕗とて今住んでいる場所からは一刻も立ち退きたいと思ってはいた。とはいえ貯金も底を付きかけている状態だったので渡りに船とはこのことだろう。

「ぜひとも住み込みでお願いしたいのですが」

「そ。じゃあ決まりね。細かいことは後で説明するわ。――で、さっそくなんだけど」


 ニコニコと朱葉の期待のこもった声が歌となってこだました。


「パンケーキ食べたい♪」






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