晴れときどき。鳥井くんと近見さん -from Aria-
(今日もいる……)
閉店間際の時間帯にも、常連と言われる客はいるらしい。
かく言う俺もその中の一人だと考えられているかもしれないけれど、少なくとも俺は週に一度来るか来ないかという程度。それも残業で遅くなり、食事の準備を考えるのが面倒な時や、たまには美味いコーヒーの一杯でも飲みたいと思った時くらいで、用が終われば即退店が通例だった。
なのにその傾向が、最近ちょっと崩れつつある。
俺がこの店に立ち寄る曜日は特に決まっていなかったけど、その度に目にする顔ぶれが何人かいて、そのうちの一人に興味を持ってしまったからだ。
早い話が、その常連客を見たいが為に、必要以上に店に通っている状態。
相手は男。しかも年上。予想では三十前後。でも多分サラリーマンじゃない。それを表すかのように、いつも身につけているのは着流しだ。
ちなみに俺は二十六歳、入社四年目のしがないサラリーマン――。
すっかり顔を覚えてしまった客は何人かいたけど、中でも最も目にする機会が多い相手。それが彼だった。
同じくらい入り浸っている印象の人間はもう一人いて、だけどそっちはそっちで理由があって店に来ているらしい。
大学生らしいその男の子は、いつも課題だか何だかをやりつつ、密やかに一人の店員を目で追っていた。
(相変わらず、解り易……)
俺はそんな彼の所作を見るたびに、呆れるを通り越して感心するような心地で溜息を吐く。
(てか、俺はあんなじゃないだろうな……)
人のふり見て我がふり直せ、ってんじゃないけど、もしそうだったなら洒落にならない。
俺は頬杖を突いたまま冷めかけたホットコーヒーを少量口に含み、誰にでもなく誤魔化すように緩く髪を掻き上げた。
「……私に何か用か」
彼が先に会計を済ませたのを見届けてから、更に店先でかち合わないよう配慮して、俺は一番最後にファミレスアリアを後にした。
なのに、通りに出ると即座に目にとまった人影がある。
街灯の下、佇んでいた彼は俺の姿を目にするなり静かに口を開き、
「ずっと私を見ていただろう」
気付かなかったとでも思ったのか。
続く言葉は言外に。それでもはっきり呟いた。
「……」
さすがに即答はできなかった。
他の誰に知られても、本人にだけは知られてはならないと思っていたのに。
他の誰に知られる前に、あろうことか本人に知られてしまっていたらしい。
「べ……別に、見てませんよ」
慌てて誤魔化すように否定しても、声が上ずっていては意味がない。
「……そうか。私の勘違いか」
「そう、でしょう。普通に考えて……」
俺はじわりと目端が熱を持つのを感じながら、それでも懲りずに否定を続けた。
「――それは残念だ」
言って、彼はあっさり踵を返した。合わせの裾が小さく翻る。
でもその口元には、微かな笑みが滲んでいたような気がしないでもない。
(……って、あれ? いま残念って言った?)
どきどきとうるさいくらいに響く鼓動が思考を乱す。
俺は追いかけたい衝動に駆られながら、一歩も動けなくなっていた。
目の前で、歩きだした彼の背中が徐々に小さくなる。
襟足を覆う、色素の薄い髪の毛がさらさらと風になびいていた。
「待っ……」
息が詰まったように出なかった声を、無理やり喉奥から押し出した。
その瞬間、ぴたりと前方で彼の足が止まる。
次いで、ゆっくりと振り返った彼の仕草に、漸く金縛りが解けたかのように俺は大きく踏み出した。
「嘘です。見てました。……でも、見てただけです。本当です」
何が言いたいのか、自分でもよく解らなかった。
正直なところ、興味を持っている自覚はあれど、それが何なのかという答えは見つけられていなかったから。
でも、縁を繋ぐならここしかないと思った。
だから俺は、これ以上ないくらいに、俺よりも僅かに低い位置にある彼の双眸をじっと見た。
「それであの……残念って、どう言う意味なんですか?」
「意味などない。俺がただ、そう感じただけのことだ」
「………」
ああ、そうか。
要するにこの人も、俺と似たような心境なのかもしれない。
「例えばなんですけど……」
思い至ると、俺はふと頭を過ぎった問いを口にする。
「俺とキスしたいとか思います?」
「思わんな」
「ですよね」
返答は予想通りだった。
同じ問いを向けられたら、俺もきっとそう答えていた。
「思わない」と、口に出して。そして「今はまだ」と、心の中で。
俺たちはゆっくり歩きだした。
その後を追うように、細く長い影が二つそれに合わせて揺れていた。
...end
この話はこれで完結ですが、「from Aria」はスピンオフ形式(タイトル毎に別主人公)でのシリーズものです。
機会があれば他のお話も読んでいただけると幸いです。
有難うございました。
(R-18指定のタイトルはサイトにて掲載しています)
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