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Forgiving  作者: 泉野ジュール
本編
9/13

Forgiving 9 - Dream



Ask, and it shall be given you;

Seek, and ye shall find;

Knock, and it shall be opened unto you.


 自分が忍耐強いかと聞かれたら、多分に、答えはノーだろう。

 必要ならば耐えることも出来ないではないが──事実、ケネスの人生はよくそれを必要とした──この期に及んで、今、大人しく部屋で彼女を待っているなどケネスにはまず不可能だった。このはやる想いを、コントロール出来る者が居るというのなら、誰でもいい。どうすればいいのか是非教えていただきたいところだ。自分に出来るとは思わないが……。

 ケネスは待っていろと言った三島の忠告を頭から放り出し、上着を掴むと、足早に部屋を後にした。



 あかねが例のホテルへ着くと、また数ヶ月前と同じあの支配人が、同じような驚いた顔であかねを迎えた。

「リッター氏なら、ほんの数分前に出て行かれたところですが……」

「出て行った? それは、チェックアウトを?」

 あかねが肩で息をしながら、落胆に肩を落とすのを見て、支配人は慌てて首を振った。

「いえ、ただ外に出て行かれただけです。随分急がれているような様子で……滞在は明日までされるようですが」

 あかねはまだ荒い呼吸のまま、必死に考えを巡らせた。ケネスが出て行ったのはほんの数分前だという。明日まで滞在する予定だと。ともすれば、少なくとも夜にはここに帰ってくるはずだ。

 しかし……?

「彼から何か聞いていますか? その、誰を訪ねる予定だとか、どこへ行くつもりだとか」

「そこまでは。ただ、もし一条さまがいらしたら部屋に通しておくようにと言い付かっております。失礼ですが……」

 そう言って、支配人はあかねに答えを求めるような視線を投げかけた。あかねがその『一条』かどうか確認したい、という意味だろう。あかねが頷くと、支配人はあかねを部屋へ案内しようとした。しかし寸前で、あかねは支配人の後を追うことに躊躇した。

 いつ帰ってくるか分からない彼を、今、大人しく部屋で待っていられる自信はない。

 会いたいのだ、今すぐ。

「……ごめんなさい、彼がどっちの方向へ出て行ったかだけ、教えてください」

 支配人は振り返ってあかねを見ると、小さく口をぽかんと開けた。

 しかし、しばらくすると何かを察したのか、朗らかな笑顔に戻り、あかねに答えを与える。

「右の大通りへ出て行かれましたよ。車通りが多いのでお気を付けて。数分前ですから、追いつくには急がないと」



 彼女を探そうと思っただけだ。アカネを。それ以上の何を望んだ訳でもない。

 小さな願いではないか? 世界の王になりたいと願っている訳でも、土星の欠片を取ってきてくれと言っている訳でもない。ただ、一人の女性に会いたいと望んでいるだけだ。こんな小さな願いくらい、神よ、叶えてくれてもよさそうなものじゃないか?

 喧騒に巻かれながら、ケネスは空を仰いでそんなことを思った。

 東京の街はまるで、始まりも終わりもない迷路のようだ。辺りは人だらけで、おまけに彼らはそろいも揃って、長身のケネスをじろじろと眺めてくる。

 この朝、ケネスは日本に着いて、まず三島に連絡を取った。あかねの番号は自宅も携帯も繋がらなかったからだ。

 電話に出た三島は、ケネスの仕打ちを知りながらも、恨み言らしい台詞は一つも言わなかった。ただ、話が破棄になった事だけは残念だったと言い、どちらにしてもケネスが来なければ同じ事になったのだと、落ち着いた声で語った。そしてケネスにとっては意外だったことに、三島は、ケネスの過去を調べたようだった。キャサリーンのことを、あかねの父に代わって謝るとまで言った。

「もう過ぎたことです。こちらこそ申し訳ないことをしました。しかしミスター・ミシマ、私が今回ここに戻ってきた理由は──」

「あかね君でしょう。彼女の連絡先は知らないのですか?」

 電話口でも分かる、三島のからかうような口調。

 しかしケネスは構わなかった。実際、あかねから別れてのこの数ヶ月、ケネスは身を削られるほど忙しく働いていたのだ。調べる余裕はなかった──それは、一条グループを買い取らせるために大量に買った株やその他が、ケネスの懐には少しばかり痛かったからだ。この数ヶ月は支払いに追いつくため奔走していたと言っていい。ここのところやっと落ち着いては来たが、今も、すぐロンドンにとんぼ返りする必要がある。

 結局、

「彼女には私から連絡しておきますから。ホテルで待っていて下さい」

 三島はそんなことを言って一方的に電話を切ってしまった。ガチャリと通信が切れる音に、ケネスは汚い英語の四文字熟語を受話器に向かって怒鳴った。が、もちろんそれは誰にも届かない……そして今に至る。


 どこに、彼女はいるだろう。

 汚れたアスファルトの上、人の波に巻かれながら。焦って考えを巡らせるも、出てくる答えは平凡なものばかりだった。初めて二人が出逢った場所。初めて食事をした店、共に行った公園、キスを交わしたあの休憩所──。

 自分は意外にもロマンチストだったのかもしれないと、ケネスは自嘲した。

 一体どうして、彼女がそんなところに居るかもしれないなどと思ったのだろう。自分が彼女にしたことを思えば、ケネスが思いついた場所はどこも、彼女にとっては思い出したくもない場所になっているかもしれないのだ。しかしケネスがあかねを想うとき、浮かんでくるのは、どうしてもそんな場所だけだった。

 そして数時間後。

 結局どこへ行ってみても、あかねの姿はなかった。

 最終的にケネスが戻ってきたのは、二人が初めてキスを交わした、公園の端の休憩所だった。あの夜は雨だった──しかし今は抜けるほどの晴天で、小さなベンチとそれを守るように建てられた屋根が、あの夜よりも少し大きく見えた。あの時は気が付かなかったが、アイビーの葉が屋根と柱を這うように伝っている。

 ケネスはそれを見つめ、深く溜息を吐くと、ベンチに腰掛けた。

 随分と愚かなことをしている。

 ──自覚はあったが、かといって今更それを正そうという気も、更々ない。

 両腕をひざの上で組み、もう一度溜息を吐いていると、妙な眠気がケネスを襲った。そうだ、ここまでのフライトが騒がしかった為、昨夜はほとんど眠っていない。おまけに時差もある。

 慣れている方だとはいえ、流石に身体が疲れ切っているのを感じた。

 五分だけだと心に決めて、ケネスは目を閉じた。




 あかねはまず、二人が最初のキスを交わした公園に来ていた。

 『あの』休憩所を探す──あの夜は雨で、しかも突然の雷とあって、慌てていて、正確な場所を覚えていたなったのだ。しばらく公園をうろうろすると、やっと、それらしき姿が目に入る。あかねは息を呑んだ。

 ──この数ヶ月、ずっと避けていた場所だ。

 ケネスとの思い出が詰まった場所はどこも、ずっと行けないでいた。

 あかねはベンチと、それを保護する屋根と柱を眺めた。コンクリート製だが、アンティーク調のデザインの、なかなか素敵な一角だった。自分達はここで最初にキスを交わしたのだ……そう思うと嬉しいような、逆に切ないような、複雑な気分になる。

 しかし休憩所は無人だった。

 時々通行人が、ベンチの前で立ち尽くすあかねを不思議そうな目で見てくる。

(い、いけないっ、時間がないんだから……)

 ケネスは明日の夕方には発つと行っていた。という事は、それまでに会えなければ、次にいつ会えるか分からない。こんな所でぼぉっと思い出に浸っている時間はないのだと、あかねは自分に言い聞かせて、その場を後にした。

 次に、二人が初めて逢った場所に。

 その次は、何故か、二人が初めて夕食を共にしたあのレストラン。

 彼方此方を回り、一時間以上が経ち、仕事用のヒール靴を履いた足が痛み出したころ、あかねはだんだんと不安になってきた。

(やっぱり、ホテルで待っていた方が良かった……?)

 だいたい、どうしてこんな場所にケネスが居ると思ったのだろう。

 何か仕事の用事で外に出ただけかもしれないし、そもそも、ケネスがあかねの為に日本に戻ってきたのだという確証はないのだ。三島の口調に、あかねが勝手にそう解釈しただけで。

 あかねは下を向いて、スカートの裾をきゅっと掴むと、唇を噛んだ。

(でも、もう一回だけ……)

 理由を聞かれたら、説明できない。

 けれどその時、あかねは、なぜか『あそこ』へ戻らなければならないような気がしたのだ。あそこ。二人が初めて口付けを交わした、あの場所へ。



 その夢はまるで、風が運んできたように穏やかで、自然に、ケネスの脳裏に描かれた。

 場面はどこか公園の様な場所で……母親が出てきた。自分は、まだ少年だ。

 いや、少年の自分を、今の自分が眺めているような感じだろうか。


『ねえ、ケン。聞いて、私はあの人が好きだったの、とても』

 ──あぁ、知っているよ、母さん。だから貴女は壊れてしまったんだ。だから貴女は俺を傷つけ始めた。

『でもね、貴方のことも愛していたの。これは本当よ』

 ──それも知ってる。だからこそ始めたんだ、あの……復讐劇を。そうすれば貴女も、少しは救われるかと思った。


 幼い自分が、母親に答えている。しかしその答えは今の自分のものだ。

 ケネスは彼ら2人の姿を静かに眺めていた。

『それで傷付いたのね』

 母は優しく言った。少年の自分は答えない。何か言いたそうに、口を横に結ぶ。そしてポツリと呟いた。

 ──違う、傷ついたのは俺じゃない。アカネの方だ。俺が傷つけた。

『あの子が好き?』

 キャサリーンの弾んだ声に、少年のケネスはまた一時沈黙する。やがて何ともいえないはにかんだ笑顔を見せて、何も言わずに頷いた。

『じゃあ、目を開けてごらんなさい』

 それはまるで天国から聞こえてくるような、清清しい声だった。正に母親の、子に対する、甘くて安らかな声。

『今まで傷つけてしまって、ごめんね、わたしのケネス。あんなつもりではなかったの。でももう、貴方は自由よ。幸せになって。これは、わたしからの最後の贈り物』

 そんな母の声に、少年のケネスは答えなかった。

 ただ一筋だけ涙を流し、視界から消えてゆく母親を黙って見送る。最後にまた、彼女の声が響いた。

『目を、開けてごらんなさい──』




 ケネスがゆっくり瞳を開くと、そこには人の気配があった。

 風はほとんど無かったはずなのに、何故か傍の針葉樹がざわざわと音を立てる。空が夕暮れの色を落とし始めていて、思ったより寝てしまったらしいことだけはすぐ分かった。

 顔を、上げる。するとケネスの視界に、一人の女性が映った。

 ──夢の続きだろうか。

 そんな気がして、ゆっくり、どこか怯えたような足取りで近付いてくる彼女に、ケネスは優しく微笑んだ。あれだけ探していたのに、結局……。

「You find me」

 寝起きの少し擦れた低い声で、ケネスはそう呟いた。

 それを聞いた途端、あかねは捕らえていたものから解かれたように、勢いよく彼に駆け寄った。

 ケネスの腕が、そんな彼女を受け止める。

 強く、そして、愛おしそうに。



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