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今の自分に自信が持てなくなって、仕事が終わる頃になると俺の顔色は相当悪くなっていたようだ。
「皆を送って行こうと思ったんだけど、息吹が調子悪そうだから、皆は澤田さんと一緒に帰って貰ってもいい?」
「そうだな。伊吹は明日は無理をしないように。レッスンに出るんだったら……ふうは送迎して貰えるか?」
「いいですよ。それじゃあ皆悪いけどこれで失礼するよ」
「……すみません。お疲れ様でした」
俺は楓太さんに促される様に車に乗り込む。そしてゆっくりと車は走り出した。
「周防、とりあえず寝てろ。横になっていてもいいから」
「すみません。楓太さん」
「いいって。家にまっすぐ帰らなくてもいいか?」
「えっ?」
「俺の家に泊まるか?明日休みたくないんだろう?服のサイズは俺と同じだろうから明日は俺の服を着てくれ」
「俺……」
「安心してくれ。お前の両親には俺から電話するから」
「はい、すみません」
俺の不安を見透かされた気がしたけど、誰かに縋りたかった俺はその手を掴んでしまった。
「周防、起きれるか?」
「はい、大丈夫です。ここは?」
「俺の家の側のファミレス。家に帰ってから作るよりはいいかなって思ったからな」
俺はノロノロと起き上がって楓太さんと一緒にファミレスに入った。
よく見ると、楓太さんは仕事の時のウィッグとカラーコンタクトを外している。それと黒ぶちの眼鏡をかけている。今はオフの時だから……雅さんと呼ぶべきだろう。
「はい、少し食べてみます。雅さん」
「お前は本当に賢いな。それが今は重荷だろうな。行くか」
俺達は土曜の夜のちょっと混んでいるファミレスの店内に入って行った。
ファミレスはそれなりに混んでいたけれども、禁煙席を希望していた俺達はすんなりと席に通された。
メニューを渡されて、自分が今食べれそうなのは……おじやがいいかなとぼんやりと考えていたけど、それも雅さんに見破られていたようだ。
「それよりはリゾットかパンケーキで生クリームとバターを覗いて貰った方がいいかな。お昼もそんなに食べてなかったろう?明日のレッスンが辛くなるからな」
「すみません。だったら……リゾットでお願いします」
そんな雅さんは、温野菜のサラダとチキンソテー単品を頼んでいた。
「お昼に炭水化物は食べたからこれで俺は十分」
そうやってちょっとした所から垣間見るアイドルとしての自覚。俺にはまだそれがない。このままデビューしてもいいのだろうか?
「とりあえず、今は食べる事。話は家に帰ってからな」
「分かりました」
俺は一口リゾットを口に運ぶ。コンソメの出汁が効いた味がホッとする。
「やっと笑ったな。良かった」
雅さんはホッとした顔をしている。俺はこの人を心配させてしまった。
「ごめんなさい」
「大丈夫。俺らが抱えている問題はあいつらも訪れる問題だから。お前はちょっと早かっただけだ」
「本当に?」
「本当。俺もそんな時があったし。そうそう、俺の家に関しては絶対にお前の同期には話してはいけないぞ。守れるか?」
「はい、守ります」
「なら、よろしい」
「雅さんは、いつ家を出たんですか?」
「この春だよ。いずれは実家に戻るけど、少しは一人で出来た方がいいだろうってさ」
「そうですよね。俺……何もできないから」
「今はそうでも、明日から頑張ればいい」
「えっ?」
「100出来なくていい。1でいい」
何か1つできたらいい……全部出来なくてもいいんだ。そう思うと少しだけ気が楽になった。
「本当に?それでいいんですか?」
「いいんだ。周防は周防だろ。出来ない事は出来ないって言えればそれでいい」
それを聞いた俺は、心がパチンと弾けた気がした。
「周防。いいよ。いっぱい頑張ったものな」
俺の手元にタオルが渡される。どうやら俺は泣いているようだ。
「落ち着いたら、残りを食べて帰ろうな」
俺は頷くしかなかった。そして、雅さんの懐の深さにも感謝した。
そして、ちょっと冷めてしまったリゾットを食べ終わった俺達はファミレスを後にして雅さんのマンションに向かう。途中で見慣れたコンビニの前に着いた。
「ちょっと待ってな」
俺は車内に取り残されてしまった。けれども不安はない。暫くして、コンビニ袋を二つ抱えた雅さんが帰って来た。
「お待たせ。周防が必要なものを買ってきた。自分で持っていろよ」
持たされたビニール袋を見ると、使い捨てカミソリや歯ブラシとかが入っていた。
「ありがとうございます」
「それが無駄にならない様にたまに泊まりに来いよ」
「あはは……冗談がキツイです」
「ちゃんと笑えたな。それじゃあ戻るか」
俺達は雅さんのマンションに向かう事になった。
雅さんのマンションには、可愛い同居人が待っていた。ロシアンブルーのリンちゃん。そういえばペット番組に一緒に登場していたな。
リンちゃんは最初は警戒していたけれども、雅さんの膝の上に乗っている時に触れて貰ったら嫌がる事も無く触らせてくれた。ふわふわの毛がくすぐったい。暫く猫と遊んで、夜も遅くなってきたということで、客間に布団が敷かれた。それも二つある。
「俺も隣で寝るよ。寝る前の方が思った事が聞けるからさ」
「ああ……はい」
見逃してはくれないのか。俺は布団に入って体を伸ばしてから天井を見る。
見慣れない天井。自宅に帰ったらもっと凹んでいたかもしれない。
「怖くなりました」
「アイドルになることがか?」
「はい」
「そう思えているのなら大丈夫。当然って思うよりは全然いい」
「本当に?」
「ああ。不安なら俺達に相談しろ。これでも先輩だからな」
「そうですね。これからも頼りにします」
「今度は家で料理するからな。覚悟しておけよ?」
「あはは……家でも練習しておきます」
「そうだな。お前も一度家を出てもいいかもな。高校を卒業してから考えてみたらどうだ?」
「そうですね。少しだけ考えてみます」
「で、何をきっかけに怖いと思ったんだ?」
「ジュレの企画の時。何気なく言った事がアイデアとして動き出したから」
「そうだな。でもアレはいい意味で良かったと思うぞ。それにダメな時は俺だってダメ出しされるぞ。お前らの担当の太田さんは高山さんよりも厳しい人だから覚悟しとけよ」
「そうなんですか?」
「悪い人じゃないけど、はっきりしている人だから。今日出た意見は多分全部使われると思うよ。コンビニオリジナルの保冷バッグは売っていないし、俺もお前達の企画でアイデアが浮かんだから高山さんに伝えたけど」
「えっ、それって何?」
「な~いしょ。まだ教えないよ。ちょっとはサプライズが合ってもいいだろう」
「その時が来るまでは楽しみにしています」
「あいつらがな……お前が後輩でいいって五月蠅い意味が分かったわ」
「どういうことですか?」
「俺達は相性がいいってことだ。少なくても双子が持っている二人は相当厄介らしい」
誰かなんて口にすることはしないけど……分からなくもない。
「まあ、今までのキャリアがあるからって胡坐をかいていたら掬われるってのに気が付けばいいんだがな。お前のハングリーっぽく見えないハングリーさが俺は好きだぞ」
「だって……俺は何も分からないから覚えるしかないから」
「まあな。ガツガツしていないけど、なんでも吸収していくからこっちも楽しみだし」
それって、喜んでいいのかな?社交辞令として受け取ったらいいのかな?
「深く考えるな。純粋に褒めてるんだよ」
「ありがとうございます」
「周防は周防のままでいい。それがお前の武器だ」
「俺は俺のまま?」
「ああ。素人さが合った方がいい。あいつ等はアイドルに方向転換した組。お前は素人でも最初からアイドル志望。そこの差は大きいんだよ。持っている奴が強いからな。グループで揉めたらすぐに言えよ。どうにかしてやる」
「はい。多分大丈夫です。今言われる事は事実だから」
「だとしてもだ。いいか。さあ、寝るぞ。お休み」
部屋を暗くされて俺は再び天井を眺めた。客間のふすまを少しだけ開けてあるのはリンちゃんが雅さんを探しに来てもいいようにという配慮だ。いつもは一緒に寝ているらしい。
暗闇に慣れてきて、自然とあくびが出る。やがて重くなる瞼には勝てなくて俺は目を開けていられなくなった。




