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酢飯でカレー

作者: 藤田無徒

昔、知人にふられた三題話の原稿をそのまま掲載しています。


今読むと、馬鹿らしいけど、今にはない勢いはあるかなって思います。



舞城氏の影響を多分に受けてますので、ご容赦を。

子どもの頃ってのは世界が狭くて視界が一方的で、大人の象徴的なモデルが家の中には両親とか爺ちゃん婆ちゃんくらいしかいないもんだから、どいつもこいつも常識がちっちゃくて仕方ない。自分の見ているものが普通なんだというサイズの常識しか持ち合わせていない。自分の家の中で見られるもんだけが当たり前で、それが正しいんだ、そうするべきなんだと無意識に刷り込まれて、そうやって生きているんだから当然だと言えばまあ当然なんだが、この自分だけの常識、がブチ壊れる瞬間ってのは必ず訪れる。だから俺たちはそれで、一回は凄まじいパニックを体験する羽目になるってわけだ。

例えば、他所ん家に行ってメシを食ったときの話なんだが、ウチでは味噌汁にキュウリだのレタスだのが入っているのが当然で、俺の常識ってのはそれだった。しかしソイツの家の味噌汁にはそんなもんは入っていなかったので、俺は愕然として、そこん家のおばちゃんに「あれ、この味噌汁、キュウリもレタスも入ってないよ?」と極々自然に尋ねると、今度はおばちゃんが愕然として俺を見た。二人が二人、会話が噛み合っていない、そんなところに横から俺の友人が「キュウリもレタスも、味噌汁には普通入れないんじゃねぇの?」と、これまたしれっと言ったもんだから大変だ。俺の愕然は一周して混乱、呆然、驚嘆へと至った。そして、あ、俺の常識って、こんなもんだったんだ、どこに行っても通用するもんじゃあないんだと悟った。まあ、気付きのきっかけは往々にしてそんな程度だ。

一度ぶったまげたのは、酢飯にカレーをぶっかけて食う家もあったことだ。俺の常識が一度、完全に、完膚なきまでに砕け散ったのはそのときだった。何で酢飯にカレーなんだよおかしいだろこんなのおいおい何かの悪戯か? 俺はあたふた食卓を囲んだ面々を見回したが、全員が全員、それで普通のいつもどおり、平気の平左で酢飯カレーを食いながら談笑していた。つまり、そこの家の常識はそれだったのだ。多分、ソイツがウチに来てカレーを食ったら、白米にカレーの取り合わせにびっくりして、俺と同じように、自分の常識を破壊したに違いない。常識なんて、簡単に崩壊するのだ。

とまあ、子どもたちは必ずこうして、一度は組み上げた自分の常識を破壊する。破壊される。大人になった今なら勿論ちゃんと理解しているが、自分の常識を、世間の常識へと組み直す経験を強いられるのである。そこで相容れないことも当然あって、世間様に反発するバカも現れて、いや俺もその中のひとりではあったんだが、とりあえずそういうヤツらも、ある一定期間を過ぎると、世間様に合わせることになるか、合わせているふりをするようになる。或いは塀の中に放り込まれる。そうしないと世の中は混沌になっちまうと、ぼんやりとではあるが理解し始めるのだ。俺も殴り合いとか警察にしょっ引かれるのは無駄なんだと十七歳でようやく気付いて、ちゃんと世の中のルール様に従おうと決めた。

でも、だ。そうやって世の中の常識が当たり前になってくると、今度は大人たちの感覚が鈍っていく。錆び付いていくし、薄れていく。それは子どもから大人になるまでに体験せざるをえない、爆発的な普通の崩壊に出くわさなくなるからで、普通なんてもんは簡単に壊れるんだ、自分の知っているものだけが正しいんじゃあないんだ、とちゃんと子どもの頃の経験を生かして身構えていれば何が起こっても動じないはずなのに、大人たちは世間の常識と照らし合わせて、それから外れなければ滅多なことは起こらないと高を括っているもんだから、咄嗟のことに対応するのが不得手になっていくのだ。アホらしい。自分だけが知っている普通なんて脆いものなんだと、子どもの頃には嫌と言うほど思い知らされているのに、全く。

夏に雪が降るようになり始めて数年、夏に雪が降る年と都市では事故死や不審死を遂げるものが飛躍的に増えるようになって数年、世間の人の大半は未だに驚いて、慌てふためている。そんなの、どっかの家では酢飯でカレーを食っていると知ったときの驚きと本質的には何も変わらないのに。アイツらはちっとも、それを分かろうともしやしない。




で、今年は俺の住んでいる街に夏の雪が降り始めた。三軒隣りで不審火によって家が全焼して、四人家族が焼け死んだ。ぐずぐずと燻っている煙たさと焦げ臭さの上に、無垢な雪が静かに積もっては溶けていって、俺は不覚にも、奇麗だなあと声を落としてしまった。横に立っていた麻汐はそれを見逃すような女ではない。

「不謹慎やなあ。人、死んでんねんで?」

「人死にと雪が奇麗なのに関連があるのかよ。奇麗なもんは奇麗なんだから仕方ないだろ」

まあウチも奇麗やとは思うねんけどね、と麻汐はころころ笑って、周りの人たちから見咎められた俺たちはそそくさと火災現場を後にした。

夏に雪が降る理由は解明されていない。先に断っておくが、ここはオーストラリアではなく日本だ。で、雪が降ると人が死にやすくなる原因だが、こちらともなると、それこそ更に輪を掛けて、誰も尻尾すら掴めていない。ただ淡々と、毎年どこかで夏に雪が降って、人がたくさん死んで、それが止むことなく続いている。現状はそんなところだ。

麻汐はオカルトとか不思議なことだとかに目がないので、俺は不謹慎だと注意しながらも、内心、実は自分でもそれを楽しんでいる。オカルトなんかに興味はないが、面白がる麻汐は可愛い。それに麻汐以外にも面白がっている輩は腐るほどいる。俺はそれが悪いとは全く思わない。原因が分からないなら、無視して普通に生活を続けるしかないからだ。普通の生活ってのには勿論、娯楽も含まれてるんだから、不審な雪を好き勝手に娯楽の対象にしちまうのも、本とか漫画を読んで楽しんでいるのや、映画を見てけたけた笑っているのとそう変わらないと、俺は思う。

「ねえ、友幸、友幸は何が原因やと思う?」

俺ん家の炬燵に入ってネットで怪しげなサイトを見ながら、麻汐が尋ねてくる。俺は麻汐と違ってオカルトとかの類は嫌いだから、真面目に取り合わず適当なことをぺらぺら喋る。麻汐はそれを聞いて、もう真面目に答えてえなあ、と怒ってる風に苦笑いをする。

最近は麻汐とデートをするにしても、こうして家にいることが多い。外は危険だと麻汐の親がうるさいのだ。家にいたって燃えちまったとこも出てきているんだから、無駄なんじゃないかなあと俺は考えているが、それを言ったらまたややこしくなるので言わなかった。それに別に、麻汐といれるのならどこだっていい。炬燵でぬくぬくしているだけだっていいし、俺の部屋でセックスしたり、そうでなくても抱き合って惰性のまま時間を食ったりしているのも悪くない。普通の生活を送ればいいのだ。俺は煙草を吸いながら、ぼんやり麻汐の顔を眺めている。

「ん、どうしたん、友幸?」

「何でもない。ただお前、よくそんな怪しげなサイト見てて飽きねぇなあって思ってた」

「あはは、怪しげなサイトちゃうよ、これ別に。まあ確かに、飽きてきたんは飽きてきたけど、掲示板見てみんなの意見とか考察見てるんは面白いからね」

湯飲みを片手に、麻汐は真剣な目つきでモニターを見ている。コイツはいつだって真剣だ。俺は麻汐のそういう面を好ましく思っている。いつだって真剣じゃないと、人生は美味しいとこ取り出来ないもんだ。場当たり的に生きるにしたって、その場当たりを真面目にやらないと、残飯みたいな人生になっちまう。

テレビではもうすっかりお馴染みになっちまった事故や不審死の報道が行われている。今日だけで大きな交通事故が四件、病院内での急死や医療ミスによる死者が十七人、路地裏で死亡しているのが確認された浮浪者が九名。で、さっきの火災で死んだのが四人。

いくらこれだけ死にました、なんて報道されたって、それが普段より多いのか少ないのかなんて俺には分からない。俺と麻汐の近しい人には死んだって話も聞かないし、何よりここまで大規模で起こっていることだと、渦中にさらされていようが緊張感があやふやになってしまう。新型のインフルエンザがどうのこうの言われたときと心情的には一緒だ。俺が死んでないし、麻汐も死んでない。だからまあ今はそれでいいんじゃねえの、と楽観視してしまう。俺の短所だ。何となく、真面目になれない。

だからそれを補ってくれる恋人の麻汐は、親から外出禁止令を出されているのは自分自身だというのに、平気な顔をして俺に提案してくる。

「……ねえ友幸、ここ、変な書き込みがあるんやけど。ほら、砂賀浦山ってあるやん。あっこが一番、この街で雪積もってんねんて。やから、あっこ行ったら何か手がかりがあるかもしれへん――って。どう思う?」

麻汐に限って言えば、どう思う、なんて質問は答えを要求している質問ではなく、行動を要求している質問だ。砂賀浦山ってのはウチから徒歩五分のバス停からバスで四十分ほどあれば着く小高い山で、登山道もある。登頂するのは容易い。俺も麻汐も、体力的にはそれなりに人並み以上だと自負している。

つまりこいつは、

「行くのか? 今から」

「そやね~。えーっと、五時四十五分、か。晩ご飯食べにいく~、言うたら、おかんも父ちゃんも納得してくれると思うんやけど。どうかな?」

――こういう女なのだ。だから俺は、麻汐を手放したくないし、手放さない。

「オッケー、ちゃんと俺も同行しているし早めに帰って来るから心配しないで下さいって言っといてくれ。準備してくるわ」

「えへへ、やから友幸好きやわ。んじゃうちは電話しとくね」

携帯を取り出して、麻汐は自宅へと電話を掛け始める。俺は部屋に戻って荷物を用意しないといけない。小高かろうが、夕暮れ時から登山をしようというのだ。ちょっとした準備は必要だろう。煙草を灰皿に押し付けて、俺はリビングを出る。

真夏の夜の雪道登山は、こうして場当たり的に、しかし至極真面目に、決行の運びとなった。




バスの中はがらがらで、それは俺が住んでいる所が閑静な住宅街だからというわけばかりではなく、麻汐の両親のように、外に出るのが危険だと思い込んでいる人が多いからだろう。実際、交通事故は多発しているみたいで、何度か交通規制に引っ掛かり、結局、砂賀浦山の麓停留所に到着するまで一時間ちょっとも掛かってしまった。

とりあえず俺たちは近くのコンビニに入り、夕食代わりにサンドイッチやおにぎり、後は熱い缶コーヒーを二本買う。ここでは食べない。ピクニックみたいなもんやから、一番上まで登ってから食べよなあとの麻汐の提案に俺が乗ったのだ。ちなみに麻汐の鞄の中には、ちゃんと熱々の紅茶が入った魔法瓶の水筒が入っている。

登り始める前に身体だけは温めておこうと、コンビニ前のベンチに肩を並べて缶コーヒーを飲む。俺は煙草をぷかぷか吹かしながら、麻汐に訊く。

「んでよ、登るのはまあいいんだけどよ、雪見て原因が分かるかもって、雪が原因ってのは決まってるのか?」

「そら、『夏に雪が降る』って聞いて、一番おかしいんは『雪』やろ。『夏に雨が降る』やったら何も不思議やないし。やからうちも、この『雪』が何か、おかしいんやと思うとるんやけど。友幸はそう思わんの?」

「いや、俺は全然、何も分かんねぇからさ。別に考えてもないしな。麻汐がそう思うんだったら、そうなんじゃねぇのって、まあ確認みたいなもんだ。気にすんな」

くしゃくしゃと髪を撫でてやると、麻汐はきゅっと身を縮めて、くすぐったそうに笑った。コーヒーで温められた吐息が、俺の吐き出した紫煙と混じって、はらはら降り散る雪に染められた薄暗がりの奥へと去っていく。

とは言ったものの、実はまあ、俺には俺なりの考えがあったりする。でもそれも、大した考えじゃないし、麻汐の言うとおり、『夏に雪が降る』という事態で最も異常なのは『雪』が降っていることだという考察には、俺も正しさを感じるので黙って煙草とコーヒーを飲む。そう言えば麻汐と外に出てデートするのは久々だ。俺は少しだけ麻汐の方に身を寄せた。と、同時に、麻汐も俺に寄ってきたので、何だか情けなくなり、二人して小さく笑った。

飲み終えた缶をゴミ箱に放り込んで、俺たちは立ち上がった。鞄からレインコートを取り出し、麻汐に着せてやる。靴は家を出るときに妹のトレッキングシューズを貸してやったし、これで一応、ちょっとした山登り程度なら問題ないだろう。おれがよしよしと頷いていると、麻汐は自分の鞄からニット帽を取り出して俺に被らせた。

「……何だこれ?」

「うちの趣味。せっかく山やし、ほら、動物避け?」

……だからと言ってネコミミ? の付いたニット帽はどうなんだ。髭面と相俟って熊にでも見えるってのか、コイツ。

でもまあちょっとくらい馬鹿馬鹿しい気分の方がいいのかもしれない。向かう先は一応、世間を混乱に至らしめているものの元凶かもしれないのだ。麻汐としては沈んだ気分で行くよりも少し遊び半分くらいの気分で行く方が気も楽なのだろう、と勝手に察して俺はデコピン一発で許しといてやる。

山道入り口付近には全く人気がなかった。俺と麻汐の他には雪と風に揺らされる木々しか目に付かない。それに木々と言っても、葉がどこかまばらになった風に見える、何とも遣る瀬ない木々だ。やつれている、と言ってもいいかもしれない。これで七月も終わりなのだから、異様といえば異様な光景だ。俺は今までにはなかった奇妙な実感を突きつけられて、ふと足が止まってしまう。

「ん、どしたん、友幸?」

「いや、何でもない。誰もいねぇなあって、それだけ」

「まあそら、この時期に登山、っちゅうのも珍しいからしゃあないやろ。――それとも何、友幸、怖なったん?」

「んなわけあるか。ほら、行くぞ」

からかうように俺を見る麻汐から目線を逸らして、俺は右手で麻汐の右手を取り、山道へと踏み込んだ。お互いに手袋をしているので直接的な温かさは伝わらなかったが、ふっと麻汐の力が抜けたのを感じて、コイツはコイツなりに緊張していたんだと気付く。直接的な暖かさ以外にも伝わるものはあるんだなと思って、でも俺は黙ったまま、歩みを進めた。




道にはあまり雪は積もっておらず、本当にここがこの街で一番、雪が積もっているとこなのだろうかと俺は段々、疑りたい気になってきた。確かにうっすらと地面を覆う程度には積もっているが、踏めばすぐに靴底は地面に当たるし、辺りを見渡しても枯れ木残らず花が咲く、なんてことにはなっていない。麻汐も俺と似たような気分なのだろう、入って暫くの間はきょろきょろと周囲を見渡すのに忙しそうだったが、今はもう俺と一緒に細々と雑談をしながら、ただ山頂を目指しているだけだ。これじゃあ本当に、もうピクニックと変わらない。まあ麻汐も俺も、退屈はしていないので問題はないのだが。

「あんま雪、積もっとらんねぇ。もっと真っ白けやと思っとったのに、何や暗いし、風冷たいし。ほんまただ単に、夜に山登っとるアホみたいやな、うちら」

「言うなよ、悲しくなってくるから」

「せやなあ。と言うかまあ、掲示板の情報なんかアテにしたうちがアホ、ってだけなんかもしれへんけど。友幸はアホの同行者、か」

麻汐の自虐的な笑い声は、寂々とした山中に響き、麻汐は慌てて口を噤んだ。人はいないし街灯はないし、加えて喋ると声が響きやすいので、どうにも俺も麻汐も、内緒話みたいな話し方になってしまっている。二人揃って生まれつき声は大きい方なので、やりづらくって仕方ないが、かと言って開き直って大声で会話するわけにもいかないので、やっぱりひそひそと声を窄めながら、俺は言う。

「なあ、麻汐。他人ん家でメシ食って、びっくりしたことってないか?」

「……何、突然? いや、そら何回かはあるけど。ほら、友幸ん家で初めてご飯食べたときも、味噌汁の具がめっちゃ入っとってびっくりしたしな」

「あれは浦井家代々の味噌汁なんだ。美味いから別にいいだろ」

「うん、まあ美味しいんは美味しかったけど。けど、キュウリはびっくりやったわ」

でもそれがどうしたん、と不思議そうに間抜け顔を作って、麻汐は先を促す。何、大した話した話じゃない。ただのピクニックになりつつあるもんだから、頂上に着くまでの暇つぶしに、さっきはしなかった俺なりの考えをしてやろうと思い立っただけだ。

「俺さ、ガキの頃に友達ん家行って、一番びっくりしたメシがあるんだけどよ。信じられないと思うがマジな話だぜ。 ――カレー食うとき、米は酢飯、って家があったんだ」

「……はあ? え、何、友幸、からかっとんの?」

「違うって、マジなんだよ、これ。未だに憶えてるぜ、あのわけ分からん味。不味いとか、もうそういう次元じゃなくてさ、『そういう食べ物』って感じの、ただ不思議な食い物だった。興味あったらまた作ってみたらどうだ、麻汐?」

「……うち、不思議なもんは好きやけど、ご飯は普通に美味しいもんが好きやから、遠慮しとくわ」

酢飯カレーの味を想像したのだろう、もごもごと口をうごめかして、麻汐は顔を顰める。俺はそれを見て吹き出して、麻汐に軽く叱られながら、話を戻す。

「まあ、普通はそうだよな。酢飯でカレーを食うなんて有り得ねえって、大概のヤツはそう思うんだよ。でもな、ソイツの家の人はみんな、何の疑いもなく、これがカレーの正しい食い方だって顔して、美味そうに食ってたんだよ。つまりその人たちにとってさ、酢飯カレーは普通に普通なんだ。――なあ、俺の言いたいこと、分かるか?」

「……よう分からん。何、うちらにとって不思議なことでも、ある一部の人から見たら普通のことって話? ――あ、えっ? 友幸っ?」

「頭の回転速いな、流石は麻汐だ。そう、今の状況と、この酢飯でカレーを食うのってちょっと似てるなあって、俺、そんな風に思ってんだよな」

ため息混じりに一息吐いて、俺は空を仰ぐ。麻汐も俺と同じように空を見て、雪の粒を眺めながら、しんしんと、純粋に奇麗やなあ、と呟いた。俺も黙って頷いてから、ぼんやりと口を開く。

「『夏に雪が降る』のが異常だ、その『雪』が原因で人が死んでるんだ、って考えてるヤツばっかりだから、俺は黙っていた考えなんだ、これ。別に『夏に雪が降っ』てもいいんじゃないか。それはそれで当たり前だと思っているヤツがいたら――俺はオカルトとか、神様とか、そういう正体の知れないものを肯定するのが好きじゃないから、あまり思慮に入れたくない考えだったんだけどさ。『誰か』にとっては夏に雪が降るのだって普通で、そうなった結果、それが普通だと思えていない人が、結果的に死んでるだけなんじゃないか」

「……友幸は、そう思っとったんやね。何や、言うてくれたらよかったのに、それ。さっき俺は何も考えとらん~、とか言うとったクセに」

「知ってんだろ、俺はその『誰か』みたいな不特定な存在とか、神様みたいなヤツは信じたくないんだよ。夏に雪を『降らせてる』って見方をすると、絶対『神様』みたいなもんがついて回っちまうじゃあねえか」

「そら知っとるけど、でも友幸、今、普通にそういう前提で考えとったやん。もう半分、認めてもうとるようなもんやろ、それ」

まあ確かにそうなのだが、そう自覚したくなかったから言ってなかったのだ。麻汐以外にだったらこんな話、俺はちょっと考えてるとも言いたくない。麻汐が的が外れて残念そうにしていたから、ちょっと言ってみているってだけの話だ。

「で、まだ何か考えてんの、友幸? もっと聴かせてや。面白いわ、その考え」

「……あんま言いたくはねえんだけどな。

――普段、酢飯でカレーを食わない人がそれを食ったとき、渋い顔をするのが仕方のないことだ。それは何故かって言うと、大勢の人間にとって、それが『常識』から外れているからだろ。じゃあさ、それを踏まえて、今この状況を酢飯でカレーに当て嵌めて考えてみたらどうなる?」

「……今、この状況? 『夏に雪が降って、人がたくさん死んどる』ってこと?」

「違う違う。『酢飯でカレー』が『夏に降る雪』なんだ。人が死ぬってのはただの結果なんだよ。『普段、酢飯でカレーを食わない人の渋い顔』の部分だ。そこが、『たくさん人が死んでいる』って結果なんだ」

目を丸くさせて、麻汐はぽかんと口を開けていた。馬鹿馬鹿しい考えだが、別に考えるだけならタダなんだ。俺はお構いなしに麻汐の手を握り直して笑ってやる。

「『夏に雪が降る』のが常識から外れているって、不特定多数の人間は思うだろうな。これはもしかして、何かよくないことが起こる前兆なんじゃあないかと苦い顔をして、不味いんじゃと思う人が多いんだろう。『自分の常識』からは、外れているからってだけの理由で、な。 ――で、だ。その『思い』が募った結果、事故や不審死が増えているだけなんじゃないか。プラシーボの逆だな。ノシーボだっけ。まあ何だっていいさ、要は『病は気から』って、それが大規模に起こっているだけだったら――アホばっかりだな、この世の中は、ってさ。俺の考えはこんなもんなんだ」

わざと大袈裟に手を広げて、俺はどうだと胸を張ってやった。麻汐は呆れたように右手で俺の胸を小突いて、小さく微笑む。

「確かに『この雪は神が怒っているから降っているのだ、人類に対する罰なのだ、だから人が大勢死んでいるのだ』って考えもちらほら見かけとったけど、大抵はどっかの宗教の関係者ばっかりやったから、うち、その『誰かが雪を降らせている』って考え方はしてもおらへんかったわ。ずっと何や『怪しい雪』が降ってて、その『雪』が原因で人が死んでんねやとばっかり思とった。そうやな、確かに『夏に降る雪』やねんから、『誰かが夏に降らせてる雪』って捉え方もせなあかんわなあ」

麻汐は肩を落として、精進不足精進不足と眉を『八』の字にしている。まあ麻汐も、オカルトや都市伝説は好きだが、俺と同じく無宗教なヤツなので前提的に『誰か』を想定しないといけない『降らせている』という考えは、無意識の内に避けていたんだろう。

「はあ、あかんわ、もう友幸の説が一番正しい思えてきたわ。もう友幸、先にしといてや、そういう話。これやったら一番上まで行って雪見ても、何の意味もあらへんやん」

「そんなことはないだろう。俺のだってただの勝手な私見だぜ。それによ、麻汐」

俺は左手に持ったコンビニの袋を掲げて、

「ピクニックは終わってねぇじゃねーか」




「ああ、なんや、ここのことやったんか。確かにこれやったら、この辺やったら一番積もっとるやろうなあ」

砂賀浦山頂上、展望広場は勿論俺たちの他には人影のひとつもなく、いつもよりもただ広々と、雪を溜め込んで俺たちを迎えてくれた。なるほど、麻汐の見た情報そのものは正しかったわけだ。でもまあ、当の麻汐はさっきの俺の説を信じ込んじまったので、いくら雪があっても、何も追求することはないだろうが。

「――寂しいけど、何や、風情があって奇麗やね。こうして見たら、別に夏に雪が降ってもええんちゃうかなあって気になるわ。友幸の話を聴いたからかもしれんけど」

「いいや。こうして見なくても、麻汐、お前何度か言ってただろ。『雪自体は奇麗やなあ』って」

「あ、そうやね。言ってたかも。でもそれ、友幸につられて言うとったんかもしれへんで? 友幸、雪見るとよう『奇麗だな』、言うとったもん」

「ああ、それな。俺は結構、意識して言ってたんだ」

「……へ? どういうこと?」

そんなにややこしい話じゃない。俺はさらっと答えてやる。

「『別に夏に雪が降ってても、それがもしかしたら普通なのかもしれないんだから、雪そのものは奇麗、別にそれでいいじゃねぇか』ってな。そうすればほら、『この雪によって死ぬかもしれない』って考えからは外れるだろ。自己暗示みたいなもんだよ。おまじないだ、おまじない」

「――ああ、なるほどなあ。それやったらうちにも教えといてくれといたらよかったのに……って、ああそや、うち、雪自体は奇麗やって、自分で言うとったんか」

その通りだ。俺は、雪が奇麗だと思えるような人はきっと死なないだろうと勝手に結論付けていたから、麻汐には何も言ってなかった。実際、俺はそこから先は何も考えていなかったのだ。呆れるくらい、能天気で、不真面目な話だ。近所では人が死んでいるというのに。

まあそれはさておき、ひとつだけ付け加えておく。

「ああ、それにな、お前は『夏に雪が降るのがおかしいから人が死んでいる』って考えている風じゃなかったから言ってなかったんだけどさ。俺、お前のご両親とかにはちゃんと言っといたんだぜ。『雪は奇麗、くらいに考えてれば平気ですよ』って。何を不謹慎な、って怒られちまったけどよ、でも実際、ちょっとでもそういう意識がある人、まあつまり俺らの周りじゃあ、幸運にも死んでる人、いないだろ」

俺が言うと、麻汐は呆気にとられたのか、やれやれと言わんばかりに項垂れて、ゆるりと頭を振った。

「……なあ友幸、それもう、世間に公表した方がええんちゃう?」

「『病は気から』なら、『気にすんな』でいいんだ、って? ただのアホだと思われるだけだろ。それによ、夏に雪が降るの自体はやっぱり異常気象だろ、普通に考えれば。異常と思わないようにしましょうっていったところで、事実として農家の皆さんは大問題なんだ。あんまり無責任なことは言えねえさ。それに多分、自分は死なないって思ってるヤツは死んでないんだよ。一概には言えないけど、な」

「……そうかあ。せやな、確証があるわけやないもんなあ」

ああ、もやもやするなあと零しながら、麻汐は展望広場の端、屋根のあるベンチへと歩いていく。俺も麻汐に並んで、雪を踏みしめる音を聴きながらリュックを揺らす。風が吹いて、葉と葉が掠れあう音がそこに交じって――と、鼻先を、雪と草の匂いに混じって、何やらきな臭い匂いが通り抜けていく。

「――あ」

先に気付いたのは、麻汐だった。そして直ぐに、俺も気が付く。ちらっと目を合わせてから、俺たちは手を繋いだまま二人して、ベンチの方へと、街の全貌を確認できる位置へと駆けていく。

夜。山奥で、街を一望できる展望広場。目の前に光が見えるのは分かる。如何に山中は暗かろうと、天気が悪くて空が黒々としていようと、街には光があって当たり前だ。というかそもそも俺たちは、街灯りの夜景を見に来たのが半分のようなものなのじゃあないか。

でも、あれは、あの赤い光は――街灯りどころじゃあ、ない。いや、そもそも、あれは光ではない。

――遠目に見えるあの赤色は、きっと、炎のそれだった。

俺が呆然としていると、麻汐は俺の手をぎゅっと握り、恐々と言った。

「……なあ、友幸。……あれ。ちょっと――火事、多すぎへん?」

「……だよ、な」

俺や麻汐が住んでいるのは街の中でもどちらかと言うと端に位置する閑静な住宅街で、一望する限り、そちら側には火事が起こっている様子はない。寧ろ街の中心部分――駅やデパート、マンションなどのある――つまり人が最も集まっているであろう地域が、轟々と、もう少しで音が聴こえてきそうなほどに、山頂に僅かの煙たさを感じさせるほどに――炎塵を振るい回して、燃え上がっていた。

「人々の、『思い』が――夏の雪が、何やよくないことが起こる前兆なんじゃあないかと苦い顔して、不味いんじゃないかと不安がっとる『思い』が募った結果、事故や不審死が、増えとる」

ぽつりと、街の炎に目を細めながら、麻汐は俺の言葉を反芻して、呟いた。俺の顔へと視線を移し、麻汐は泣き笑い気味に、

「――あれは、集まり過ぎたんか、な?」

俺は答えられない。いや、誤魔化し程度の返答なら出来たかもしれない。が、俺にはそれ以上に、麻汐とは別のある考えが浮かんでしまって、それが麻汐に掛けるべき言葉たちと混ざり合ってしまって、わだかまってしまって、口にすることが出来ない。

「……そうかも、しれねえなあ」

何とか考えを必死に飲み込んで、麻汐に何も悟られないように、俺は何とかそれだけ言った。

――もし、麻汐の信じるとおり俺の考えが正しくて、麻汐の言うとおり『集まり過ぎた』のであれば。つまり、最初に麻汐も言っていた、『夏の雪』そのものを忌む人々の思いが『募りすぎた結果』がこの火災であるのであれば。そこには酷くどうしようもない解釈の余地が生まれてしまう。

街が燃え上がってしまえば、それでいい。――炎に雪は積もらない。

「……何か、結果的にここ、一番雪が積もってる場所になってもうたなあ」

俺の考えを見抜いたかのように、片目をぱっと閉じて、麻汐は投げ遣りな軽口を叩いた。その表情は、さっき酢飯でカレーを食ったのを想像したときのそれと何だか似ていて、俺までもう、何だかあの、酢飯でカレーを初めて食った日の、全ての常識が一度ぶっ壊されちまったあの日の、名状し難い感傷のようなものまでが胸の奥で燻り出してきて、つい、笑ってしまった。

「ここまでくるともう、俺、笑うしか出来ねえや」

「……不謹慎やし、不真面目やなあ、友幸」

「だってよ、あそこまで強大で、手も付けられないような災禍を前にすると、笑っちまうもんなんだぜ、人間って。恐怖と笑いは裏表だって、この前、本にも書いてあった」

確かにそうやなあと麻汐も消極的に同意して、小さく、本当に小さく笑い出した。

そういや、酢飯でカレーを食った日も、何だかんだで俺、笑ってたっけ。常識が壊れるとき、また簡単に壊れると知ったときって、人間はどうしようもなく、ただただ笑っちまうもんなんだなあ、と俺は一人勝手に得心して――暫くしてようやっと、コンビニの袋を落としていたことに気が付いた。

夏の夜の、雪の日のピクニックは、どうやら中止になりそうだ。

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