「四十三」
サキ子ってのは、実に面白い存在だ。
『付喪神』だってだけでも十分そそられるものがあるが、その成り立ち、有り様、どれをとっても興味深い。
普通、『付喪神』ってのは「物」が『変化』した妖怪だ。ちゃこのように、生物自身の魂が『変化』し化生となったものもあれば、無機物が魂を得て『変化』したものもある。
だがどちらにしろ、その『依り代』とする生物や無機物に支配される形で存在することになる。つまり、魂だけが抜け出て別の何かに宿る、なんてことは言語道断であるわけだ。
――だが、どうだ。サキ子が今、俺の元に在るのは、元々の『依り代』である掛け軸から、俺のスマートフォンに居を移したからだ。ルール違反もいいところである。
それに、以前の記憶を一切持たず、自らのこと、『付喪神』のこと、その他諸々の当然あって然るべき「あちら側」の存在としての知識が、全くないと言うのも不思議なことだ。
こうなってくると、余計な欲望――もとい、知的探求心がむっくむくである。
サキ子がやって来て以来、その記憶を取り戻してやろうと言う建前の元、時間を見付けては色々と実験をしたもんだった。
その結果、特性――と言うのは大げさだが、サキ子の出来ること、出来ないことが幾らか分かった。
まず、サキ子の霊体は自由である。これは、掛け軸からスマートフォンへの移動を指すのではなく、現在進行形で自由なのだ。
スマートフォンに『憑依』したまま――即ち『ウイネ・サキ』の姿のまま、スマートフォンから離れて行動するのは勿論、完全に霊体を切り離すことすら可能だった。
ただ、どちらのケースでも、数メートル離れただけで「存在」が希薄になり、物体に触れることは疎か、早妃ですら姿形を認識するのが困難な状態になってしまう。
そのまま離れ続けたらどうなってしまうのか――……は、流石に実験でやって良いレベルを超えている。早妃にも怒られたし、俺自身も、まあ、なんだ。……悲しいことは、嫌いなわけで。
そしてまた、『依り代』を自由に移動することも可能だった。
試したのは、漫画や雑誌、PC上の画像データ、フィギュアやそこらの文房具等。
結果、サキ子の「感覚」を移すと言うことに関しては、全ての実験対象物に可能だった。
しかし、自由に動ける『写し身』を作り出したり、話したりと言うことは、所謂「二次元画像」が主体を成す物体でなければならないようだった。
――そして、これが最も奇妙で、最も重要なことなのだが。
サキ子には、早妃のように「あちら側」を感じる能力――所謂『霊感』がない。そこらの浮遊霊を見ることも、ちゃこの姿を見ることも出来ない。
おまけに言えば、佐保ちゃんのような『霊媒』の力もなければ、ちゃこのような『祓除』の力もない。
サキ子は在り方がおかしなだけで、その霊的価値としては、ほとんど俺と変わらない。
そう。俺と、変わらないのだ。
それはつまり、これまでの妖怪的特質を持ちながら――一切の霊的干渉・障害を受け付けない、と言うことだった。




