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「三十二」

 つまり、自身が佐保ちゃんに執着する原因と言うものは、偏に彼女への親愛の情のためだと言うのか、この――『猫又』は。

 そうだ、と言うようにまたも「こくこく」と頷く「ちゃこ」。

 俺には彼女の声を聞くことが出来なかったから、早妃の通訳を介しての聞き取りだったのだが――まあ、概ね間違ってはいなかったらしい。

 ……しかし、まあ、そうなると。

 やはりこの子は、本当に「ちゃこ」である、と言うことになるのか。


 ――まあ、それ自体は、最初からそれほど疑っていたわけでもないんだけど。


「え? ……どう言うことですか?」


 不思議そうに早妃は小首を傾げた。……手の上で、「ちゃこ」も倣っている。

 可愛いじゃないか、などと思ってしまったが、咳払いを一つ。


 ――この世の森羅万象には、必ず相反する二つの側面がある。

 陰陽道に倣うなら、陰と陽。

 神道に倣うなら、『荒魂アラミタマ』と『和魂ニギミタマ』。

 単純化するならば、前者は人に災いをもたらす性質、後者は幸いをもたらす性質と言える。


 前にも言った通り、『化け猫』や『猫又』――『付喪神』と言うモノは、人に恩返しをしたりすることもあるが、人を化かしたり呪ったりするモノも多くある。

 ――つまり、『荒魂』と『和魂』。

 万一これを取り違えていたら、ただでは済まない。凶悪な殺人犯に、笑顔で手を差し出すようなことになり兼ねないのだ。


 ……だから、まあ。


「――ちゃこちゃんが優しい子だって、分かって下さったのですね、にいさま」


 要するに、そう言うことだ。

 俺が疑っていたのは、「ちゃこ」の善悪。『荒魂』であるのか『和魂』であるのか。

 証拠がないのは相変わらずだが――それでも、彼女の真剣な猫眼を見ている限り、嘘をついているようには思えなかった。

 手のひらを返すようで、ばつの悪い思いはするが。


 ……ばつが悪いから、と言うわけではないけど。

 俺に出来ることなら、何だって手伝ってやろうと思った。……誰かを護りたいと想う気持ちは、痛いほど分かるから。

 言ってやると、彼女――ちゃこは。今までがまるで嘘のように、愛らしく笑った。キュートな八重歯を覗かせながら、こくこく、こくこく、と何度も頷く。


 改めてよろしくな、と指を一本差し出すと、今度は噛みつくこともなく、それを小さな両手でしっかと握って、握手のようにぶんぶんと両腕を振った。

 まるで小さな子供が一生懸命にするようなその様は、彼女が「物の怪」だなんてことも忘れるくらい、本当に愛らしくて、思わずこちらの顔も綻んでしまう。

 暇を告げて彼女が去るまでの間、俺も早妃も、ずっとにこにこと笑っていた。それが彼女の、『猫又』としての能力なんじゃないのかと思うくらいに。


 ――けど、ちゃこを見送って間もなく、ふとサキ子が言った。


「わたしは……どちら、なんでしょうか」


 ――『荒魂』と『和魂』。そのどちらの存在なのか。


 サキ子にしては珍しく、考え込むような声音だった。

 だけど、そんなものは考えるまでもない。

 ――サキ子のように、脳天気な『荒魂』があってたまるものか。


「あ、ひどい! わたしにだって、思い詰めることの一つや二つっ! ……えっと、たぶん」


 ……なんて。

 こんな『荒魂』は有り得ない。『荒魂』と言うモノはもっと――


 ……言い掛けたが、やめた。そんなことを口にするのは野暮だと思ったから。

 今はそんなこと、どうだっていい。今はただ、二つの愛らしい『和魂』がもたらした安らぎに、早妃と二人、身を委ねていたいと思った。

 そうすることが、正しいと思った。


 ――たとえどこかで、「それ」が身を潜めていたのだとしても。



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