「十二」
西日本に広く分布する民間伝承に、『犬神』なんてモノがある。
平たく言えば、呪詛法。つまり、呪い。怨敵を害そうとする、人間の悪意である。
陰陽道、或いはその源泉たる古代中国の道教に端を発し、既に平安の頃には、公にも禁止されていた『蠱術』の一種とされる。
その作法は、正に呪いと言うべきか、実に陰惨を極める。
生きた犬の胴体を地中に埋め、身動きが出来ないようにした上で眼の前に十分な餌を置き、極度の飢餓に陥ったところでその首を落とす。
そうして怨霊となった犬の霊を、呪詛の道具として使役する、と言う寸法だ。
岡村から事件のあらましを聞かされた時、真っ先にそれが思い浮かんだ。
もちろん、普通の人間なら「あら怖いわね」と言うだけの話だ。『犬神』なんて荒唐無稽な話より、人間の異常者の方が現実的にはよっぽど恐ろしい。
実際、きょとんとする早妃に実例を交えつつ「殺戮衝動」と「快楽殺人」の解説をしてやったら、怯えたような顔をして肩を震わせた。
悪戯が過ぎたことを自戒しはしたが、軽く頭を撫でてやれば笑顔になることを俺は知っている。
「――でも、見つかったのは猫ちゃんなんですよね?」
早妃が笑顔になったところで、横からサキ子が問うた。
確かに、『犬神』は『犬神』であって、普通に考えれば犬の霊を使役する方術だ。
――しかしこの場合、『対象となる動物が何であるか』はそれほど問題じゃあない。
『犬神』と同じく、日本には古来から『狐憑き』なんてモノがある。
有り体に言えば動物霊の憑依現象であるわけだが、各地に無数に残る伝承の中で、その霊が「本当に狐であったのかどうか」が詳しく検証されたと言う話は、まずない。
つまり、一般の人々にとって『動物的な異常行動』とは全て一緒くたに『狐憑き』で良い。
『動物的な異常行動』と言う現象を表す言葉そのものが『狐憑き』なのであって、『狐憑き』の定義とは即ち『動物的な異常行動をする人間』、なのである。
同様に、俺が口にした『犬神』と言う言葉は、『その呪術的作法に則った一連の痕跡』を指した言葉なのであって、『犬を用いた呪術』を指しての『犬神』と言う言葉ではない。
それに実際、「犬神の姿」とされる伝承だって、ネズミやモグラ、狐、果てはコウモリの様だなんて言われたりしてるのだから、そもそもが中学生の妄想並の無節操さなのだ。
「え……と――つまり、猫ちゃんであっても『犬神』さん、なのですねっ!」
しばらくきょとんとした後で、早妃は屈託ない笑顔でそう言った。
身も蓋もないとはこのことである。
……とは言え、こんなことに拘るのは、そもそも俺のような民俗学オタクだけだ。やはり、普通の人にとっては「あら怖いわね」なのであるし――実際、それでいいとも思う。
このまま何も起きなければ、こんなことはただのおかしな事件として処理されて、人々の記憶からも一年と経たず消えて行くだろう。
それでいいし、それがいい。
だって――早妃が思うほど、この世にはオカルトなんてないんだから。




