8 死亡フラグ(いろんな意味で)
関係各位の皆様。
人間の強さはどこにあるのかわかりますか?
私は、連続試行するところにあると思います。
あきらめが悪いところです。
人間はあきらめが悪いから、空を飛び、地球を一周する能力を身につけ、ついには星を飛び出すに至りました。
しかし、この界隈の人間は、神様の運命とやらに汚染されまくっているように思うんですよね。
――神様の言うとおり。
それはいいんですよ。
ある程度は心の防波堤になるんでしょうし、世の中にはわからないことが多すぎる。
だから、人間は自分がわかることだけ知っていればよく、それ以外についてはすべて神様のおぼしめしということにする。
私は四文字さんのことはあまり興味がないところではあるのですが、それでもその点については同情的です。
共感ではないですよ。
数値的にバランスが悪いと思っちゃうんですよね。
「つまり、私は言いたいわけです……」
私は言いたい。
そう、何を言いたいか。
わかりますよね。
ヨハネさん。
「あなた、死にますよ?」
サロメって読んだことありますか?
おそらく関係各位の皆様の教養レベルからすると、全体の四パーセントも読んでいればいいほうだと思いますが……、
古臭いそんな戯曲の中では、ヨハネさんはヘロデ王によって、あるいはヘロデ王の義娘サロメの讒言によって
――斬首されることになっています。
当然、ヨハネさんは預言者ですので、そのことを知っているはずです。
「大丈夫だ。問題ない」
フラグでした。
「大丈夫じゃないでしょう」
「もしかして、イシュアちゃん。私のことを心配してくれてる!? やだ。嬉しい。きゅんッ」
「……」
私に心配する能力はないですよ?
微塵もないと言い切るのは言い過ぎかもしれませんが、どっちかといえば、人間の八割を滅ぼす悪の隕石になりたいと常々思っているくらいです。
でも、このままでは神様のフィギュアとしてフルコンプリートされるのは目に見えています。
ヨハネさんは、私が四文字さんのルールに抵抗するためのテストケースとして最適でした。
ヨハネさんが死ななければ、私も死なないでしょう。
神様の万能性を少しでも否定できれば、私にも希望が見えてきます。
「ただで死ぬつもりはないさ」
「死ぬ運命ですよ。で、あれば。あなたは死ぬべきということになりませんか?」
「メシア様」苦笑ですか。「それはさすがに言い過ぎだ」
「ですが、論理的です」
「論理なんて人が作り出した不格好な言い訳だろ」
「援用しているのは神様の論理ですよ」
「神様の言うことを全部理解できるわけではないからな」
「それこそ言い訳ですよ。人の不完全性を神の不完全性にしないでください」
「イシュアちゃんは私に死ねっていいたいのか?」
少し怒り。
私はあえて微笑むことにします。
表情のコントロールくらい楽勝ですよ。それもまた一種の計算ですからね。
「いえ、生きてください」
私は完璧に調律します。
声を。
表情を。
平均的感受性を持つ人間が感動するように。
「私はあなたが好きですよ。(魚。好きなんです。イクラとかも大好き。超食べたい。生で食べたい。タコもオーケー。デビルフィッシュバッチこい。もちろんマグロのほうが好きですけどね。でもウニはちょっとくさいからダメなんですよね。海産物系はだいたい好きなんですけど、においがダメです。エビは味はおいしいですが寄生虫の仲間って聞いてからはあまりいいイメージはなくなったし、そういったもろもろのランキングで考えれば、ガリ程度のレベルで好きです)ですから、生きていてほしいと願っています(私の生存のために)」
「メシア様は優しいんだな」
「今のは私の人間としての言葉ですよ」
「死なないさ。べつに強がりでもないし、私には死ねない理由もあるからな」
ヨハネさんは少しだけ小高い坂の向こうに視線をやりました。
自然に私もそちらを向くことになります。
そして、ヨハネさんの言った意味がすぐに理解できました。
そこにはふたりの小さな女の子が私たちに向けて手を振っていました。
「私の弟子だよ」
ひとりは元気いっぱいにヨハネさんに抱き着き、ひとりはおずおずと近づいてくる感じでした。
「おまえたち。自己紹介しなよ」
「はいッ。先生ッ。シモンちゃんですッ!」
「こら。シモン。自分にちゃんづけするな」
「シモンちゃんはシモンちゃんです。文句あっかーです」
「貴様には夢の中で授けられた奥義、こめかみぐりぐりの刑がふさわしい……」
「や、やめるです。それは痛い。それはおにちくのしょぎょう!」
「死ぬがよい」
「ぎゃあああああああああッ」
シモンちゃんは年相応の女の子のようでした。
こんなことを言うのもなんですが、ラノベ的にありがちなロリキャラって感じで、私自身もほほえましさを禁じえません。
右だけサイドテールをした茶髪。
私よりちんまいです。
ヨハネさんは長身ですから、ぐりぐり状態だとちょうど首つりのようになっていて、シモンちゃんは全力でジタバタしています。
ジタバタ。
ジタバタ……。
魚が陸にあがったときのようにほほえましい光景です。
あ……、力尽きた。
ぽてっ、と地面に投げ出されます。
「はぁ……はぁ……この、先生、いつか殺す……」
「よろしくお願いします。ペドロリさん」
私は手を差し伸べました。
「ぺドロリ?」
「違いましたか?」
「シモンやっちゅーねん」
「なんかこう。要石のようなイメージがあるんですけどね。将来リーダーになりそうな」
「そ、そぉう?」
シモンちゃんはすごくうれしそうでした。
なぜか『ちょろイン』という言葉が脳をよぎります。
「まあそれはともかくとして、ケファちゃん」
「また変わったし」
「よろしくお願いします。私はイシュア。関係各位の皆様に媚びを売りまくる駆け出しアイドルです」
「あ、はぁい? よろしくですッ!」
ふんわりと。
なぜかおっぱいをもまれてました。
ソフトなタッチはあくまでも柔らかく、軟絹を当てたように心地よい触りでした。
意味不明です。
あまりにも意味不明で、
「ファッ!?」
と変な声がでてしまいました。
しかし、シモンちゃんは特に悪いことをしたという認識もなく、きょとんとした表情をしてました。
「ん?」
「いや、なぜいきなり胸を触るのかなと思いまして」
「え、これがユダヤ地方のあいさつじゃないの?」
「どこかの誰かさんが、いたいけな女の子の胸を触るためにウソをつかなければ、そんな誤解も生まれないのでしょうね……」
ヨハネさんは明後日の方向を向きながら、口笛を吹いています。
この人、女性じゃなかったら確実に豚箱行ってますね。
イエスロリータ、ノータッチなんてなかった。
「こっちの子はアンデレっていうんだ」
女の子です。
これまたありがちなというべきなのでしょうか、シモンちゃんとは逆側の髪を結ったサイドテールになっています。茶髪。
垂れ目。おどおど。
そして、ヨハネさんの背後から私を観察しています。
「よろしくお願いしますね。アンデレちゃん」
「よろしくお願い……」
きゅっと目をつむって、手だけを差し出してきています。
当然、胸をもみしだくということはなく、私は優しく包みました。
普通に握手というやつです。普通って素晴らしい。
そもそも私自身も口が回るほうではないので、(なぜか口を開くと言葉が重い感覚があるので)
なんとなく親近感のようなものは湧きます。
今の状況から考えると、殺したい人ナンバーワンですね。
私、好きな人は脳内で拷問にかけるタイプなので。
「さて、おまえたちに言っておくことがある」
ヨハネさんが腰に手を当てて、宣言をはじめました。
ふたりのかわいらしいお弟子さんたちは、従順なまなざしでヨハネさんを見つめています。
よっぽど信頼されているんでしょうね。
ほとんど親子のような関係だったのかもしれません。
日本と比べて遥かに過酷な環境です。
その日その日を食いつなぐのも大変な世界。
そして、時代は野蛮というよりも、むしろ未開といったほうがよいレベル。
シモンちゃんやアンデレちゃんのような私よりも幼い女の子がひとりで生きていけるような場所ではないのです。
ふたりを育てたのは、明らかにヨハネさんであり、
ヨハネさんは母として父として、そして先生として全力を尽くしたのだろうなと思います。
観察しうる最高度の信頼関係。
そして、ヨハネさんはフッと力を抜いた笑いを浮かべ、自らの死を悟りきった老犬のようなまなざしで――
「先生はイシュアちゃんと結婚したい」
ゲス野郎でした。
これは私の観察不足だったともいえます。
よく見ると、お魚さんが腐ったような目をしてました。
ゲロ以下の臭いがぷんぷんします。
「あ、つい本音が……ごほん。そうじゃなくてな。この方こそは私たちのお姫様よ」
いまさら取り繕ってもという感じもしました。
しかし、豹変したのはいままで影の薄かったアンデレちゃんのほうでした。
カリカリカリカリという変な音を響きわたり、
何の音かと観察すると、ものすごい勢いで歯噛みしているアンデレちゃん。
「先生は私と結婚するの!」
アンデレちゃん、ヨハネさんの爆弾発言に対して、さらなる爆弾発言の応酬です。
さっきまでのおどおどした調子はふっとんで、黒いオーラを発散させてます。
「先生は誰とも結婚しないのッ!」
「あ、アン……? アンちゃーん?おまえ、そこじゃないだろ。大事なのは」
「誰が姫様とか。メシア様とか。そんなのどうでもいいの。先生は私だけ見てればいいの。先生は私の作ったごはんを食べて、おいしいねって言ってくれて、いっしょにお風呂入って、いっしょのお布団で寝て、よしよしって頭撫でてくれてたらいいの!」
「まあそれはするけどさ」
「こんな泥棒猫がいるからッ 先生がたぶらかされちゃうんだ」
その目は――。
なんと表現すればいいのでしょうか?
共感する能力、いうなれば感情移入する能力が欠けている私からすれば、微風と同じようにしか感じられないのですが、
しかし、残された前世記憶がやたらとアラームを鳴らしています。
ふと、視線を落としてみると、いつのまにやら小さな指先には黄色と黒のコントラストが目立つ
――カッターナイフ
が握られていました。
もうこの子、ヤンデレちゃんに改名しちゃえばいいのにと思いました。
私が脳内でアホなことを考えている間にも、事態は進展し、次の瞬間にはアンデレちゃんが私のほうにとびかかってくる姿が見えました。
死ぬ寸前って周りの時間が遅く感じるってほんとだったんですね。
ザクッ。
残念、イシュアの冒険はここで終わった。