3 聖母様を信者にしてみるテスト
拝啓、関係各位の皆様。
信仰してますか。イェーイ。
ちなみに私は日本人らしく形式仏教で実質絶賛無宗教でした。
さて、今日も今日とて幼児ライフがはじまってます。
転生してから一日で引きこもりを決意し、絶対ニート宣言を心の中でした私でしたが、さすがに家の手伝いぐらいはきちんとやります。
ある程度は相手の要望をかなえないと、自由が制限されてしまいますからね。
そして、この器の思考パターンにも慣れてきました。
最初は本当に苦労しましたよ。
例えば、蚊とか蠅とか飛んでるとするじゃないですか。
殺さないようにするのに苦労しました。
普通、ここまでなら殺すってわかるんです。
一般人なら虫までならさほど忌避感もなく殺せるって。
当然、関係各位の皆様もご自身の感覚として当然ですよね?
当然じゃない方はちょっと特殊な病院に通いになることをおすすめしますよ。
まあそれは冗談として、これが、もう少し大きな生物になると殺せないわけです。
忌避感が生じます。
なぜ、殺せなくなるのかですが、おそらく本能六割、教育四割ってところでしょう。
毛と体温ですかねぇ。
もふもふ最強ですもんね。
いまの私はたとえモフモフを触ろうが、モノとしてしか感じ取れないんですが、それはそれで面白かったりもします。
好奇心はあるんですよ。
分解したらどうなるんだろうとか。
効率的に解体するにはどこから切っていったらいいかなとか。
どこかの記憶が魂の中に残っていたんでしょうかね。
もちろん殺してませんよ。
むしろ虫一匹すら殺してません。
だって、おそらく今の私はこの器を必死に制御している状態なんですよ。例外処理なんかしてたらパンクしちゃいます。
聖なる仔羊さんが柵の向こう側に行こうとしたら、その前に柵を立てて、それ以上こっちに行ったらダメですって禁止しなくてはならない。
記憶が、そうさせるわけです。
記憶しか、そうさせてくれないともいえます。
もともと赤ん坊のころから気づいていたことですが、やはりこの躰は超スペックだったらしく、そういった記憶が薄れることもなく覚えていられるのは良い傾向でした。
私は『殺してはいけない』ことを経験から知っている。
普通の人間が体性感覚として、自動的に知っていることを、理性だけで完全に制御しているわけです。
あ、ちなみに殺す殺すとか言ってますが、あくまで殺すことは一例ですよ。
そもそも倫理的なものがひどく曖昧に感じられるというか、現実自体がどこか嘘くさいというかそんな感じです。
そういえば、他に関係各位の皆様方にご報告するべき点がありました。
この器。
イシュア君ではありませんでした。
――イシュアちゃんでした。
つまりは女の子でした。
わー、びっくり(棒)。
この世界って微妙にパラレルだったんですね。
逆行TS転生とかなにそれ胸熱。
歴史的に見て、ここらの界隈って女って産む機械でしょってナチュラルに思われてたような気がするんですが、
もしかすると少し価値観の相違があったりするんでしょうか。
だとすれば、隣にいる人間(仮)も私同様、殺意マックスな状態だったりして?
まさかとは思いますが、人間に外面が似ているだけで違う生物ということも考えられますね。
さっそくですが、母親に聞いてみましょうか。
わが母、マリアさんですが、まだまだうら若い美少女って感じです。
さすがに乙女ではなくなって……いや、処女厨さんたちがどこにいるかわからないですし、ここは黙っておきましょう。
「お母さん……」
はい、そこのあなたテンションが違うって思いましたね。
そうなんですよ。
この私、言葉に出すときは無口系美幼女キャラなんですよね。
下手したら一日中口を開かないこともあるぐらいの。
どうしてなんでしょうか。
口に出す言葉がものすごくモタつく感覚がします。
もしかしたらって思うんですが、まあ考えるのも怖いんでやめときます。たぶん器の性格のせいです。
「なぁに、イシュア」
「人間は人間を殺さないですね?」
「え?」
「人間は人間をあまり殺さないように思えます。なぜでしょう」
そう、人間ってどうしてあまり人間を殺さないのでしょうか。
袖振りあうも他生の縁と、関係各位の皆様には申し伝えましたが、考えてみれば不思議なことです。
どうして、こんなにたくさんいるのに殺さないのでしょう。
マリアさんはちょっと困った顔になってました。
感情の共有ができなくても、それらしい顔ってことは前世記憶から参照できます。
「愛があるから……じゃないかしら」
「愛ってなんですか?」
具体的には神への愛なのか。隣人愛なのか。それとも男女の愛なのか。
そこらへんが知りたいです。
「愛は愛よ?」
といって、マリアさんは私の躰を抱きしめてくれました。
回答としては花丸でしょうが、私にとっては不満以外の何物でもありません。
だって、この感覚は私にとってはゼロに等しいのです。
しかし、わかったこともありました。
少なくとも、私はやはり少数派に位置するようです。
少数派のことを狂人と呼ぶのならまさしく私は狂人でしょう。
実際に猫や人を殺してみたりはしてないものの、その精神のパターンは大事な何かが欠けている。
セーフティがはずれた銃のようなものです。
救いは並外れた計算能力だけ。
だから私は言いました。
「お母さんの愛は家族愛のように思えます」
「そうかしら?」
「もしくはご近所さんあたりまでの愛です」
「うーん?」
「それでは見知らぬ他人を殺さない理由にはなりえません」
「見知らぬ他人のことも少しは愛してるわ」
「違います」
「なにが違うのかしら」
「あなたの考えでは、家族は大いに愛し、他人は少し愛せばよいとのことですが」
あー、なんでしょうか。
この言葉がどっろどろのコンデンスミルクみたいに固まってる感覚は。
一言一言言葉を話すだけでも一苦労です。
「逆だと思いますよ?」
「逆?」
「家族は少しでいいです。他人はおおいに愛すべきです」
「家族は大事にすべきよ」
「もちろん。ですが……他人と呼ばれる人も皆、同胞と思います」
そうなんですよね。
まあ、ぶっちゃけた言い方になりますが、家族も自分以外の人間って意味で他人なわけです。
それで私が思うに、『愛』をポイント制で考えるとですね。
家族はちょっとのポイントでおそらく倍率ドンだと思うわけです。
子どもが肩たたき券を送ってあげるとするじゃないですか。それだけで親は泣いて喜びますよ。
でも他人を感動させるには命を張らなくてはならなかったりするわけです。
だから、他人が他人を殺さないのは、多くの愛ポイントを消費しているからではないでしょうか?
そうすると、なぜそんなに愛ポイントを消費するのかって疑問が生じてくるわけですが、おそらく新規開拓にはお金がかかるってことかと思います。
つまり、家族とか近所とかは人間関係という名の開発がされているから、あまり愛ポイントを消費しないで済むけれど、新しいところで関係を結ぶのは愛ポイントを消費する。けれど、新しいマーケットを開発することができるので新規開拓は割がいい。そんな感じかと思います。
とかなんとか、おそらく平常からすれば相当黒い思考をしていたら、さらにマリアさんに抱きしめられてました。
どうやら泣いているみたいです。
「どうしたのですか?」
「あー、私はダメな母親です。あなたのことを神様の子だと知っているのに……どうしても」
「べつにそれでかまいませんが」
「へ?」
マリアさん聖女なのに、鼻水で顔がぐっちょぐちょでした。
ですが、なんとなくわかります。
前世記憶から参照するに、母親の気持ちと信者としての気持ちで揺れてるんでしょう。
その気持ちを自分のものとすることはできないのですが、このあと精神的に不安定になっても私の生活に支障がでます。
私は私のことすらわりとどうでもいいと思いがちなんですが、せめて神様が設定した寿命よりは長く生きたいと思ってるんですよ。
これは名も知らぬ『私』への恩義。
死にもの狂いで刻み込んだ唯一の共感の残滓。
四文字さんの横っ面を右ストレートでぶっとばしてみたいというのも一つの動機でしたけどね。
そんなわけで、私は言います。
「だって、お母さんはお母さんでしょう?」
マリアさんはさらに号泣するだろうな。
その確率は九十パーセント以上。
なんてことを考えてました。