大浦渚の場合
朝は早かった
まだ日が上がり切る前
空が少しだけ明るくなり始めた頃に
渚は家を出る
海は静かで 風もほとんどない
水面は 鏡のように落ち着いていた
桟橋に着くと 船のロープを外す
エンジンをかける音が
朝の空気の中に広がる
「おはようございます」
声がして 振り返る
客が二人 既に来ていた
釣り道具を持っている
「おはようございます」
渚は軽く頭を下げる
特別な事は言わない
「今日は何処に行くん?」
客が聞く
「昨日と同じとこでええと思います」
渚は短く答える
それだけで伝わるようだった
船を出す
水面を切る音が 静かに続く
朝の海は 昼とは違う
光が柔らかく空気も軽い
ポイントに着くと エンジンを止める
「この辺です」
客が準備を始める
竿を出し 仕掛けを落とす
渚は少し離れた場所に立つ
必要な時だけ動く
魚がかかる
声が上がる
「きた」
渚は直ぐに近づく
網を持って 魚をすくう
「ええやつですね」
それだけ言う
時間が過ぎていく
特に大きな変化はない
ただ 同じことが続く
昼前 船を戻す
「ありがとうございました」
客は満足した様子で帰っていく
渚は軽く手を振る
それ以上はしない
船を係留し 片付けをする
魚の処理 水洗い 道具の整理
終わると そのまま家に戻る
昼の時間帯は 民宿の方に入る
「おかえり」
母の声がする
「ただいま」
短く返して そのまま動く
食事の準備 配膳 片付け
客の出入りに合わせて 動き続ける
「ご飯おかわりできますか」
「はい」
迷いはない
手が自然に動く
午後になると
少しだけ落ち着く時間がある
渚は外に出る
日差しは強く 海は明るい
肌は既にしっかり焼けている
サングラスを外す
目の周りだけ 色が違う
それを気にする様子もなく
またかけ直す
「逆さパンダやな」
前に誰かに言われたことを ふと思い出す
渚は少しだけ笑う
夕方 また船を出すこともある
その日によって違う
戻ればまた民宿の仕事がある
風呂の準備 部屋の確認 明日の段取り
日の落ちる頃には 体は自然と重くなる
それでも とくに何も思わない
夜 ようやく一息つく
外に出ると
海は昼とはまったく違う顔をしている
暗くて 静かで 広い
渚は少しだけその場に立つ
明日も同じような一日になる
それを考えても とくに何も思わなかった
ただ いつも通りやな と思うだけだった




