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【改稿版】家出したとある辺境夫人の話  作者: あゆみノワ@書籍『完全別居〜』アイリスNEO
辺境伯夫人の隠遁

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「こっちでは主に果樹を育ててる。あっちはハーブが中心だな。で、この大きな建物の中で乾燥と選別作業をしてるんだ」


 スパイスとハーブを合わせて、おそらく十種類近くは栽培しているだろう。


 そのほとんどは国内で多く流通しているものだけれど、中には王都でも滅多に出回らない珍しいものもある。

 丁寧に手入れされているところを見れば、出来だっていいに違いない。


「すごいわ! これだけの種類を栽培している農園、そうは見ないもの」

「だろ? 王都の人気料理屋にもいくつか卸してる。出来には絶対の自信があるからな」


 ダンが胸を張って答えたところに、すかさず続けた。


「でも大変でしょう。これだけの種類のものを管理して、その上輸送と販売も主に家族でこなしているんだもの。もっと人手を入れたら仕事も楽になるし、出荷量だって増やせると思わない?」


 トリシアの指摘に、ダンの顔が曇った。


「そうなんだ。ものによっちゃあ、収穫もひとつひとつ丁寧に傷をつけないように手作業でやらなきゃいけないからな。乾燥した後もしっかり目視して選別しなきゃいけないしで、とにかく手間がかかるんだ。だが王都なんかと違って、こんな辺鄙な辺境地には人手なんてあり余っちゃいねぇからなぁ」


 困り顔で頭をかくダンに、トリシアはにっこりと微笑んだ。


 さっき通りで出会った農夫には、もっと収穫量を上げたいという目的に合わせて従来の粗末な農具からもっと一時に土を耕し収穫できる最新農具の導入を勧めた。それによって、来季の収穫量アップが見込めるのは間違いない。

 だが、この農園の場合は少し違う。


 これだけたくさんの種類のスパイスやハーブの育成から管理までを家族だけでこなすには、相当な労力と時間がかかるはずだ。


 乾燥や選別するにしたって、広い場所とそれをひとつひとつ目で確かめてこなす必要がある。


 絶対的にそれを満足にこなせるだけの人間の手が必要なのだ。いい農具や設備を導入すればいい、ということにはならない。


 トリシアはしばし考え込み、ダンにとあることを提案した。


「品質も売り上げも落とすことなく人手問題も解消するには、どこかから働き手を呼んでくるしかない。でも辺境地は王都に比べてどうしたって不便だし、わざわざ移り住んで働いてくれる人を見つけるのは大変だわ。なら、特定の作業を他の地の領民に委託するのはどう?」

「委託?」


 ダンの目がきょとんと見開かれた。


「たとえば収穫してすぐでも、傷みにくいものなら収穫してすぐ輸送しても問題はないわよね?」

「あ、あぁ」

「ならそれを、他領の人たちに乾燥以降の作業をお願いするの。木箱ひとついくら、とか荷台一台分でいくら、とか契約を結んだりして」

「ははぁ……。だが、スパイスやらハーブの栽培の知識も何もない者にそう簡単に作業できるもんかねぇ」


 長く真剣に栽培してきたからこそ、誰かに作業を託すのは心配にもなるのだろう。ダンの顔には不安がにじんでいた。


「確かにまったくスパイスやらハーブに関わってきた経験がないとなると、心配になるのはよくわかるわ。でも実は、お手伝いするのにもってこいの領地があるの」


 トリシアの顔に、自信たっぷりな笑みが浮かんだ。


 トリシアが自領で密かにスパイスの販売をはじめてから、領民たちにも少しずつスパイスに関する知識や経験を積み重ねさせていた。


 父が領主としてあの領地を治めている限り、あの領地には未来はない。いつ破綻してもおかしくないのだ。もしもそうなれば割を食うのは領民たちだ。

 

 ならば今のうちに、領民たちがいざという時に食うに困らないよう備えておく必要があった。

 だから、自分がはじめた商売の手伝いを少しずつしてもらっていたのだ。


「私が生まれ育った領の人たちは、皆真面目で勤勉なの。スパイスやハーブに関しても、それなりに知見はあるはずよ。私がはじめたスパイス売買の商売を通して、この一年かけて皆に教え込んだから」

「トリシア様が、商売?」


 ダンの眉が疑わしげにぴくりと上がった。


「貴族のご令嬢が商売なんて、聞いたこともねぇな」

「ふふっ。確かにこの国では女性が表立って商売することすら珍しいし、ましてや貴族の娘が自ら商売をはじめるなんてそうはいないでしょうね。でも私は違うわ。自力で人生を生き抜くために、商売をはじめたの」


 ますますダンの顔に懐疑的な色が広がった。


「っていったって、あんたは今や辺境伯の伴侶じゃねぇか。自力で生き抜く必要なんてないのに、なんでわざわざそんなこと?」

「ふふっ。まもなくそうではなくなるわ。近々私は、貴族の令嬢でもなく辺境伯の妻でもなく、ただのトリシアになる予定なの。そのためには仕事が必要でしょ?」

「ただのトリシアって、あんたまさか……」


 言葉の意味を悟り、ダンの口があんぐりと開いた。


「ぶはっ……! ぶわっはっはっはっはっはっはっ! こりゃあたまげたな。ハンナが気に入るわけだ! わっはっはっはっ!」


 ダンが噴き出し、大声で笑いはじめた。


「気に入ったぜ、あんた! 領主様の奥方になったご令嬢にこんなこと言うのは失礼かもしれないが、ちっとも偉ぶったとこもないし、まるでやり手の商売人と話してるみてぇだ!」

「あら、それはこれ以上ないほめ言葉だわ。ありがとう、ダン」


 ダンは笑いをどうにか収めると、目尻ににじんだ涙を拭い真っすぐにトリシアを見やった。その目に宿る真剣な色に、思わずトリシアも背筋を正した。


「……いいだろう。あんたに全部任せるよ。あんたがそれほどまでに大事にしている領民なら、きっと任せても大丈夫だろうからな。で? お前さん、ここにきたのはそれだけが目的じゃないだろ。違うか?」


 今度はトリシアが笑う番だった。


「ふふふふっ! さすがね。ハンナがあなたのことを信頼できる曲者だってほめてた理由がわかったわ。……えぇ。その通りよ。あなたがここで育てたスパイスとハーブを、ぜひ私に売ってほしいの」

「量は?」

「もちろん、たくさんよ! これから私はこの国のスパイスを他国にバンバン売り出すつもりなの。こんなにスパイスやハーブが生活に根付いている国は、そうはないもの。どうかしら? ダン。私と、長期の売買契約を結ばない? 決して損はさせないと約束するわ」


 またしてもダンが破顔した。


「うっひゃっひゃっひゃっひゃっ! おおっ、いいともさ。任せとけ! どれも俺の人生を賭けた自信作だ。魂込めて育ててるからな!」

「ありがとう! 嬉しいわ。これからどうぞよろしくね。ダン」


 にっこりと微笑み手を差し出せば、ダンの土にまみれたゴツゴツとした手ががっちりと重なった。


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