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またある日のこと。トリシアは再び町の通りを歩いていた。
「よう、トリシア様! よかったらこれ、持っていきなよ。この間相談に乗ってくれた礼だ」
威勢のいい声に振り向けば、真っ黒に日に焼けた大柄の農夫が大きなかぼちゃを手に立っていた。
見上げるほど大きな体躯をしているせいで一見普通の大きさに見えるが、実際のところは王都でも滅多にお目にかかれないような特大サイズだろう。
「あら、こんにちは。なんて立派なかぼちゃ! きっとハンナも喜ぶわ。ありがとう」
すっかりハンナとふたりで料理をするのが日常になっていたトリシアの頭の中に、甘くほくほくしたかぼちゃ料理のレシピが次々と浮かぶ。
「そう言えば、この間勧めた農具の使い勝手はどう?」
「あぁ! 値は張ったが、おかげさまで一気に作業がはかどったよ。これなら今季の収穫は期待できそうだし、返済も滞りなくできそうだ。相談に乗ってくれて本当に助かったよ。ありがとな」
辺境地で豊かに暮らすというのは、なかなかに難しい。気候的にも土壌的にも農地に向いているとは言えず、王都と距離があるせいで農作物の輸送にも金がかかるのだ。それゆえこの農夫も、どうにも暮らしが楽にならないと思い悩んでいた。
それを聞いたトリシアが、ならばこの際古くなった農具を新しく買い替えて、もっと収穫量を上げられるよう投資してはどうかと相談に乗ってやったばかりだった。
もちろん最初は、投資する金があれば苦労はしないと渋っていた。
けれど、投資分は収穫量が上がれば一年もすれば十分に補填できると説明したら顔色が変わった。あわせて王都への品物の売り込み方も指南した。
結果、トリシアの助言通り農具を導入するに至ったのだった。
実際に使ってみたら思いのほか仕事がはかどったらしく、いたく上機嫌だった。
「ふふっ。いいのよ。力になれてよかったわ」
その後もトリシアは、町の人たちと気安く言葉を交わしながら通りを歩いた。
王都から遠く離れた辺境地は、立地的にも自然環境的にも決して恵まれた地とは言えない。けれどそんな地にも利点はある。
それを自分の目で確かめに行く途中だった。
トリシアはようやく目的地にたどり着き、眼前に広がる光景に思わず感嘆の声を上げた。
「これが全部、スパイスとハーブなのね。なんて広い農場! これだけあったら、王都にも滅多に出回らない品種もたくさんありそうね。きっといい商売になるわ。どうにかうまく交渉しなきゃ」
口元をぐっと引き結び、トリシアは気合を入れた。
辺境の地に嫁ぐことが決まって、トリシアは真っ先に辺境地について調べ上げた。
正直言えば、ガイジアとの婚姻が長続きするはずがないことははじめからわかっていた。
もしもうまくやる気ならば、ガイジアの方から花嫁となる令嬢に手紙の一通、贈り物のひとつくらい送ってくるはずだ。なのに何もないということは、婚姻自体にうんざりしていたとみるのが妥当だったし。
もしも婚姻が破綻するようなことがあれば、自分の人生や生家を取り巻く状況も大きく変わる。ならば先にありとあらゆる情報を手に入れておくに越したことはない。
結果、トリシアは辺境地が聞いていた以上に寂れており、国を守る要地として成り立たないほどに財政面に苦慮していることを知った。
と同時に、辺境領が実は宝の山だということに気がついた。
この地は、一般的な農作物を育てるには少々過酷な環境にある。ゆえに農業で利を得ることはなかなかに難しい。
けれど一部のスパイスやハーブの栽培に関しては、これ以上ないほどに好適地だった。ならばそれを活かして利を得ればいい。
問題は、その利に領主であるガイジアがまったく気がついていない点にあった。
(この地で採れる固有のスパイスをうまく他国と取引できれば、きっとこの辺境地だって潤うはず。こんなお宝が目の前にあるのに何の援助も保護もしないなんて、もったいなさ過ぎるわ)
トリシアは、目の前に広がった広大な農園主のもとへ向かった。
今日トリシアがここにきた理由。それはここで栽培されているスパイスやハーブの長期的な売買契約を結ぶためだった。
とは言っても、もちろんそれは決して辺境伯夫人としての責務からではない。今後のトリシア個人の商売のためだ。
実はトリシアは、自領にいた頃から家族には秘密で他国とスパイスやハーブの売買取引を行っていた。
貴族令嬢でありながら商売人として仕事をはじめ、もうかれこれ一年近くにもなるだろうか。
スパイスやハーブを使った食文化が根付いているこの国では、料理や菓子に飽き足らず健康維持や病などを治す薬としても広く使われている。
ならばそれらを他国に向けて売り出せば、きっと物珍しさからいい商売になるはず。
しかもスパイスやハーブは、乾燥してしまえば軽量で輸送コストも少なくて済む。手軽にはじめてみるにはもってこいだったのだ。
その儲けで少しでも領民の暮らしが少しでも楽になれば、と考えてはじめたことだった。目論見は見事当たった。気がつけば商売は軌道に乗り、それなりの財を蓄えることができたのだった。
(でも、何の肩書もなくひとりで安定して商売をやっていくにはまだ足りない。でももしここで栽培されているスパイスやハーブを大量に仕入れることができれば、きっと……)
トリシアは視界の先に農園主の姿を認め、笑みを浮かべた。
「こんにちは、ダンさん。トリシアと申します。先日お手紙でお知らせした件でうかがったのですけれど、今いいかしら」
農園主であるダンが、日に焼けた顔でこくりとうなずいた。
その顔にはありありと疑いの色がにじんでいる。
無理もない。ダンとは初対面だし、いくら町で食堂を経営しているハンナの紹介とは言ってもそう簡単に見ず知らずの人間を信用する気にはなれないのだろう。
「あぁ、ハンナから一応話は聞いてるよ。……まぁ、まずは見ていきな」
そう言うと、ダンは一通り農園を案内してくれた。




