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【改稿版】家出したとある辺境夫人の話  作者: あゆみノワ@書籍『完全別居〜』アイリスNEO
辺境伯夫人の隠遁

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 ガイジアがトリシアの行方に頭を悩ませている頃、辺境の町ではトリシアが通りを闊歩していた。顔を隠すこともなく、普通に堂々と。

 

 トリシアが家出をしたのは、ただ置かれた状況に腹を立てたからではない。自分の新たな人生へと漕ぎ出すための計画を動かすためだった。


 そのためにすべきことがいくつかあった。

 

 まずトリシアは、町に一軒あるきりの食堂の二階を間借りするために主であるハンナに交渉することにした。


 ハンナは夫を亡くして以来、食堂をひとりで切り盛りしている。くるお客も顔なじみばかりだし、おあつらえ向きに店の二階に隠れ住むのにぴったりな空き部屋があったというのが決め手だった。


 ハンナは、屋敷に出入りしていた商人から自分への冷遇ぶりを聞いていたらしい。

 王都からお迎えした奥様になんてひどい仕打ちをするのか、といたく同情してくれ、快く部屋を貸してくれた。


 以来トリシアは時折食堂の仕込みなどを手伝いながら、静かに過ごしていた。

 

 幸い今のところ、ガイジアや屋敷の使用人たちが自分の行方を探して回っているらしい気配はない。下手をしたら、いまだに手紙の存在に気づいていない可能性すらある。


 それくらいトリシアの存在を気にかけてもいなかったということなのだろう。


(まぁ、見つからないのはこの見た目のせいもあるんでしょうけどね。町に溶け込めば貴族だなんて早々ばれない自信はあるし)


 生まれつき、目立つ特徴がないせいだろうか。地味な格好をするだけで、どこにだってすんなりと溶け込めるのは昔からだ。


 これでも化粧を施し着飾れば、それなりに見えなくもないのだが。


「さて、ここね。ふむ……。確かに噂は本当だったようね。ひどい有り様だわ」


 次に取りかかったのは、国境を守る兵たちの状況を見ることだった。


 事前の調べでは、ここ数年辺境を守る兵たちを取り巻く状況が悪化しているせいで兵たちの士気が落ち、国の守りにも影響が及んでいるという。それが本当なのかを自分の目で確かめたかった。


 さっそくこの日、トリシアは兵たちの住まう国境沿いに向かった。

 

 隣国との境に建てられた仰ぎ見るほどに高い城壁。先代領主が大々的に補修したとあって、それに何ら問題はない。

 

 けれど、その近くに沿って建てられた兵たちが寝起きする兵舎はと言えば――。


「屋根に穴が開いてるわ。あれじゃあ雨漏りがひどそう。それに武器や防具もボロボロ。刃だって欠けているし……」


 兵たちは見回りにでも出ているのか、それとも兵舎の中にいるのか姿は見えない。


「こんにちは。どなたかいらっしゃいますか?」


 一通り辺りを見てまわった後、トリシアは兵舎を訪ねた。少しすると、中からのっそりと大きな体を揺らしながら一人の兵が現れた。


「ん? なんだ、あんた。この辺で見ない顔だが……? 何者だ」


 明らかに疑わしげな視線がトリシアに注がれた。

 トリシアはにっこりと微笑み、静かに頭を下げた。


「はじめてお目にかかります。トリシアと申します。先日こちらの領地にガイジア様の伴侶となるべく王都から参った者でございます」


 一瞬男の表情が固まった。

 

「はぁっ? へ、伴侶ってことはつまり……ご領主様の奥方様で⁉」


 こくりとうなずけば、男の口があんぐりと開いた。

 

「お、おおおおお奥方様がなんでこんなむさ苦しい所に⁉」


 驚きと困惑のあまり男が上げた大声に、何事かと他の兵士たちも集まってきた。


「大切なお仕事の最中にお邪魔して申し訳ございません。ですが、一度こちらの現状をぜひ見させていただきたいと思いまして、やってきましたの。あぁ、それからこれは皆様への差し入れです」


 そう言ってトリシアは、焼き菓子や軽食がたっぷり入った籠を兵たちに差し出した。


 瞬間それに兵たちの目が釘付けになる。どうやら皆空腹であるらしい。


「おおおおおおっ!」

「これはまたうまそうだっ。甘いもんなんて久しぶりだ」

「ありがとうございます! やったぁっ」


 まるで食べ盛りの子どものようにはしゃぎ回る兵たちに、トリシアは不安を覚えた。

 

 もっと量を作ってくるべきだったかもしれない。この様子ではあっという間に食べ尽くしてしまいそうだ。


「もしかしてこれ、奥方様がお作りになったんですか? あ、いや……。いつもの感じから言ってお屋敷の料理人がこんなことしてくださるはずはないし、まるで王都に出回ってるみたいに見た目も洒落てるんでもしや、と……」


 最初に応対してくれた兵が、籠の中をしげしげと眺めけげんそうな顔でたずねた。


「よくおわかりになりましたね。その通りです。すべて私が作りましたの。皆さんのお口に合えばいいのですけど」

「しかし辺境伯夫人ともあろう方は、料理なんて下々の者に任せてなさらないのが普通では?」


 集まっていた他の兵たちも信じられないといった顔で首を傾げ合った。それを見やり、トリシアはコロコロと笑った。


「残念ながら私は変わり者ですの。生まれがどうでも、料理でも何でもしたいことをしたいようにするんです」

「はぁ……。まぁ、でもとにかくありがたいです。実は我々に供される食事の量も内容も十分とは言えないもので、皆いつも腹を空かせているんですよ」

「……やはりそうですのね。その辺のこと、詳しくお聞かせいただけますか?」

「は?」

「あぁ、それから皆さん汚れた服やシーツがあれば出してくださいな。今から急いで洗えば、夕方までには乾きますから」


 兵たちが今度こそ大きくどよめいた。


「うへぇっ⁉ ま、まままままさかそんなこと奥方様にさせられませんよ! 自分たちでやりますから大丈夫ですっ」

「そうですよ! そんなことバレたらガイジア様になんと言われるか……」


 けれどトリシアは引かなかった。


 いいから早く出してくれないと日が暮れてしまうと言って、強引に皆から洗濯物を預かるとさっさと洗濯をはじめた。


 それが終わると今度は、兵たちが止めるのも聞かず、泥だらけの兵たちの靴をぴかぴかに磨き上げた。さらには、兵舎の隅々まできれいに掃除し終えたのだった。


 皆が差し入れを食べ終わったのを見計らい、トリシアは皆にたずねた。


「それで、実際のところどうですの? 皆様の暮らしはあまりいいものではないと噂に聞いたのですけど」


 トリシアの指摘に、兵たちの顔が一様に曇った。


「奥方様にこんなことを言うのはどうかと思いますが、その通りなんです。働きに応じた待遇がなされているとはとても言い難く、皆の士気も下がる一方で……」


 ひとりが口火を切ったのを皮切りに、ひとりまたひとりと口を開き出した。


「必要最低限の支給品だって、何度も催促してやっともらえる有り様で……。正直これじゃあ他の仕事についた方が、ずっとましに暮らせるってもんです」

「国を守る大事な役目だって自負していても、こうもぞんざいに扱われたんじゃどうにもやる気が下がる一方で……」


 兵たちの不満が一気にあふれ出したのを見て、トリシアの顔も曇った。


「そう……」


 きっとそれは、辺境地の財政が悪化したせいばかりではない。むしろ、原因はガイジアにあった。


 おそらくは、兵たちを使い捨ての駒ととらえ、まともな待遇など必要ないと考えているのだろう。


 トリシアは心から兵たちに同情した。この様子では、兵たちの鬱積がいつ爆発してもおかしくはない。


「お話を聞かせてくれてありがとう。正直私には、ガイジア様に皆さんの待遇を改善するよう申し上げる力はないのだけれど……」


 今の自分はあくまでただのトリシアなのだ。辺境伯夫人としての力などない。

 となれば、今すぐに兵たちの状況を改善してやることはできない。

 

 思わず表情を曇らせれば、上官である男が首を横に振った。


「いえ。トリシア様が今日してくださったこと、本当に感謝しかありません。本来ならご領主の奥方様にあんなことをさせるなんてあり得ないことですが……。でもだからこそ、嬉しかったのです。ありがとうございました」


 深々と頭を下げる兵たちに、トリシアはこれまでため込んできた兵たちの苦しみを見た気がした。


「ですが、今日我々が話したことはどうかガイジア様には……。不満があるとは言え、皆この国のために日々頑張っているのです。急に辞めさせられてはさすがに……」


 上官の不安そうな口ぶりに、トリシアは慌てて言い添えた。


「もちろん今日のことは、お互いに秘密にしておきましょう。私も急にきてこんな勝手なことをしたと知れれば、大変なことになりますもの。ふふっ」


 ほっと安堵の表情を浮かべた男に、トリシアはにっこりと微笑んで見せた。


「はっ! もちろんですっ」


 帰り際、兵たちは満面の笑みで見送ってくれた。自分たちを気にかけてくれたのがよほど嬉しかったのか、中には涙ぐんでいる者もいた。

 

 けれど、いずれは兵たちの我慢の限界がくるだろう。


 もしも兵たちがガイジアに反旗を翻し、職務を離脱するようなことがあれば国の守りに関わる。領民たちの暮らしだって――。


 トリシアは深く考え込みながら、ハンナの店へと戻ったのだった。



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