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【改稿版】家出したとある辺境夫人の話  作者: あゆみノワ@書籍『完全別居〜』アイリスNEO
辺境伯夫人からの手紙

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「トリシア様……。どうぞお元気で。我々はいつだってトリシアお嬢様のお幸せを心からお祈りしておりますよ」

「うぅっ。でも何も辺境地なんて遠くへ行かれるなんて……」

「これ、これは陛下がお決めになったことなんだから滅多なことを言ってはいけないよ」


 屋敷の前に停まった一台の馬車。王都からはるばる辺境地へと嫁入りに旅立つにしては少なすぎる荷物を積み終わり、トリシアは皆に向き直った。


「ではお父様、お継母様。リリア。いってまいります」


 辺境地へと旅立つに当たり、トリシアは別れの言葉を口にした。その瞬間、こらえきれないといった様子で使用人の何人かからすすり泣きが漏れた。

 

 皆の顔は一様に沈み込んでいた。無理もない。ユイール家の長女であるトリシアの婚礼への旅立ちだというのに、肝心の家族がそれを祝福も心配すらもしていない有様だったのだったから。


 家族への挨拶を済ませると、トリシアは使用人たちにこれまでの感謝を伝え別れを惜しんだ。そしてちらとこちらに背を向けたまま、沈黙を貫いているヒューを見やった。


 長年ユイール家に仕えてくれていた家令だった父が少し前に解雇され、代わりにあとを引き継いだヒュー。


 よく見ればその肩は小さく震えていた。ぐっと固く握りしめられた拳に白く関節が浮かんでいた。

 

 見なくてもわかる。きっと必死にどうにもならない苛立ちを押し込め、険しい顔でぐっと口元を引き締めているに違いない。


 本当ならば今すぐに何もかもを投げうって、ふたりで逃げ出したい。そんな気持ちを必死に堪えている。


 けれど昨晩ヒューと約束した。守りたいもののために、そうするわけにはいかないのだと。けれどもし、何事かが起きたらその時は――。


 そっとヒューの苦しげな背中から視線を外した。


「くれぐれも粗相のないようにな、トリシア。いつものように女だてらにガイジア殿の領分に口出しなど、絶対にするんじゃないぞ。いいな」


 これが娘を嫁に送り出す父親の言葉だろうか。


 普通ならばそんなことを思い悲しむのだろう。けれど、今さらこの父にそんな親心があるだなんて幻想は抱いていない。


「……はい」


 アーゴットが口元に下卑た笑みを浮かべ告げた。


「辺境地のような僻地でも、きっとちょっとした遊び場くらいはあるかもしれないわ。平民の子どもたちが喜ぶようなつまらないものでしょうけど。辺境伯様にかわいがっていただけるように、努めることね」

「……はい」

「トリシアお姉様。この屋敷にお姉様がいなくなるなんて、私とっても寂しいですわ。でもせっかくの良縁ですものね! 大好きな本でもたくさん買ってもらえばいいわ」

「えぇ。リリア」


 良縁だと思うのなら、なぜ自分が嫁入りすると言わなかったのか。リリアが辺境地に行くという可能性だって確かにあったのだから。そんな言葉をトリシアはぐっとのみ込んだ。

 

 そして自分を鼓舞するかのようにふぅ、と息をつき美しく一礼をしてみせた。


「では、いってまいります。どうぞ皆様、お元気で」


 その姿に、一瞬場に静寂が満ちた。


「ではな。トリシア」


 そう告げたゴルドの顔には、娘を思う情も道中の長旅を案じる思いもない。

 むしろ目障りな存在がいなくなってくれて、清々したと言いたげだった。


 これが、父ゴルドとの親子で交わす最後の会話になった。



 王都から数日かけてようやく辺境地にたどり着いたトリシアは、休む間もなく花嫁衣裳を身につけすぐさま婚礼を挙げた。


 はじめて対面したガイジアは、一度だけ視線を合わせたきりずっと険しい顔で祭壇を向いていた。おそらくは自分の地味な姿にがっかりしたのだろう。


 ガイジアが自分に何の興味も示さないどころか、むしろ苛立ちすら感じているであろう理由は、それだけではないと知っていたけれど。


 その夜、ガイジアが寝室を訪れた。そして開口一番こう告げた。


「トリシア、私は君を伴侶としては認めていない。どうせこれは国が決めた愛のない契約だ。君も望んでここへきたわけではあるまい。だから君も自分が辺境夫人となったなどとは思わないっもらいたい」

「……それは、妻としても辺境伯夫人としても振る舞うなというご命令でしょうか?」


 悲しむでも怒るでもなく淡々と返したトリシアに、ガイジアの顔が大きく歪んだ。


「そうだ! よって君と寝床をともにするつもりも一切ない。私が君に望んで関わり合うことはないから、そのつもりで。……では失礼する!」

「……かしこまりました」


 バタンッ、と大きな音を立てて締められた扉を見つめ、トリシアはこれからはじまる辺境地での暮らしが一筋縄ではいかないことを悟ったのだった。


 そしてその予感は正しいことが、その後の日々で証明された。

 

 最初の数日間こそあたたかなスープと数切れのパン、野菜などを使った料理が出されたものの、まもなくそれもなくなった。


 あたたかなお茶の一杯さえ運んでこない使用人たちのぞんざいな態度に、トリシアはこの屋敷にいる者全員から自分が歓迎されていないことを知った。


 仕方なくしばらくは空腹を紛らわすため、出立の折に使用人たちが持たせてくれた焼き菓子などを口にして耐えた。


 けれどいつまでも続くわけもない。どうにかして、自分で生活に必要なあれこれを手に入れる必要があった。


 食料や日用品を配達するために屋敷に出入りしていた商人をつかまえ、こっそりパンや野菜、果物などを調達することにした。洗濯は裏庭にある井戸で済ませればいい。


 これでは王都にいた時と何も変わらないわね、とトリシアは皮肉な気持ちで自嘲した。

 まさか辺境伯に嫁いでからも使用人同然の暮らしが待っているなど――。


 同時に、トリシアは決意した。


 そして急ぎヒューに手紙をしたためた。

 あの夜あなたに話したあの計画を動かす時がきたようだ、そのつもりで動いてほしい、という内容の手紙を――。



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