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トリシアの家出から時をさかのぼること、半年前のユイール家。
「喜べ、トリシア。お前は辺境伯ガイジア殿のもとに嫁ぐことになった」
ユイール家当主であるゴルドの目が、部屋の片隅に控えていたお仕着せ姿の娘へと向いた。
「……私が、ですか? お父様」
ゴルドの前妻の娘であるトリシアの眉が、ぴくりと上がった。
「そうだ。あんな辺鄙な地に、かわいいリリアをやるはずがないだろう。その点お前はかわいげもない上、見た目もそれでは到底貰い手など見つからないだろうからな。感謝するがいい」
実の父親の言葉とは思えないその言葉に、義妹のリリアが小さく噴き出すのが聞こえた。
「ですが、なぜユイール家に王命が? あちらは辺境伯家、我が家とは家格的につり合いが取れませんし、とても利があるとは思えませんが……」
淡々と返したトリシアに、ゴルドの冷めた目が向いた。
「ふんっ! 陛下は倹しく暮らしている我々から金を取り上げ、力を削ぐつもりなのだろうよ。辺境伯と縁続きになる名誉の代わりに、娘のどちらかと辺境地を潤すための大金を差し出せとご命令だ」
そう腹立たしげに吐き出し、ゴルドは酒をあおった。
一体どこが倹しい暮らしなのか、という言葉をのみ込み、トリシアはそっと嘆息した。
ユイール家は貴族社会において、家格的にも立ち位置的にも中の下といった存在だ。本来ならば、国の守りの要である辺境地を治める辺境伯と婚姻を結べるような家柄ではない。なのになぜユイール家に白羽の矢が立ったのか。
八歳の時トリシアの母が病で亡くなり、それから数年して父が再婚した。後妻アーゴットと連れ子のリリアは無類の贅沢好きだった。暇さえあれば夜会だの茶会だの、観劇だのと遊び回り、季節ごとにドレスや宝飾品を買い漁るうちに、ユイール家の財産はあっという間に底を尽いた。
王都の近くに居を構えてはいるものの、与えられている領地はそう広くもなく豊かな税収が見込めるわけではない。なのにそんな散財を繰り返していれば、家が傾くのは当然だった。けれど父はふたりの行動を諫めもせず、自身も自堕落に金を使いまくった。
おかげで今やユイール家の未来は風前の灯火だった。
その上娘とともに大金を辺境地に差し出せ、という命が下ったということは、きっとその散財ぶりから国がユイール家の金の流れに疑いを持ったに違いない。後ろ暗いことをして金儲けをしているのではないか、もしくは国に申し出ていない財産を隠し持っているのならすぐさま国のために差し出せ、と。
苛立ちを隠し切れないゴルドの様子から見て、ゴルドもそれは感じ取っているのだろう。
「どの道、お前のような地味でぱっとしない出来損ないの娘を迎え入れてくれるのだから、ありがたく嫁ぐがいい。ただでさえ大金をやるのだからな。花嫁道具も支度金も持たせる気はないからそのつもりでいろ。あちらで好きに用意してもらうがいい。一応花嫁衣装だけは用意してやる」
実の娘が嫁入りするというのに、ゴルドは犬の子でも他所にやるかのような態度で言い放った。
「……」
その態度に、トリシアはなんとも複雑な気持ちで自分の着ているお仕着せを見下ろした。
花嫁衣裳とは言っても、きっと平民でも手が届く程度の安い既成品に違いない。それでも用意してもらえるだけましなのだろう。下手をすればそれすらも自分で用立てろと言われる可能性だって十分にあったのだし。
「ふふっ。よかったわね、お姉様。辺境伯夫人になれば、もうそんな恰好で一日中忙しく働く必要もなくなるんだもの。お姉様も嬉しいでしょう?」
リリアがあざ笑った。アーゴットもそれに続く。
「そうよ。何と言っても辺境伯様の伴侶になるんですもの。光栄なことだわ。本当はリリアの方があちらも喜ぶのでしょうけれど、あんな何もない辺鄙な土地にかわいいリリアをひとりやるなんてとても考えられないわ。でもあなたなら平気でしょう? ドレスも夜会もあなたには無用だもの。本ならいくらでも持っていくといいわ」
「まぁ、お母様ったら! でも確かにトリシアお姉様は本があれば十分よね。ふふふふっ」
ふたりに辛辣な言葉を投げかけられても、トリシアの表情はぴくりとも動かない。もはや慣れっこだった。この家の長女であるにも関わらず虐げられ、お仕着せを着せられ使用人として働かされることにも。
「出発は二週間後だ。それまでに荷をまとめておけ。それからお前がこれまでにしていた帳簿付けやら領民の世話は、これからヒューが代理で行うことになった。しっかりと引継ぎをしておけ」
「……わかりましたわ。お父様」
もはや何も言い返す気など起きなかった。言ったところで、王命に逆らうことなどできないのだから。
その瞬間、先日家令となったばかりのヒューがぐっと拳を握りしめたのがわかった。それを視線で静止し、トリシアは静かに頭を下げ給仕を続けたのだった。
すべての仕事を終え部屋に戻ったのは、とっぷりと夜も更けてからのことだった。
自室の鏡をのぞき込み、トリシアは大きなため息を吐き出した。
「私が……結婚。ふふっ。お母様が生きていたら、どんな反応をしたかしらね」
トリシアは、王都からもこの領地からも遠く離れた辺境地を思った。
辺境地へと行ってしまえば、もうここへ戻ってくることはないだろう。家族が歓迎して迎え入れてくれるはずもないし、そう簡単に帰ってこれる距離でもない。
けれど気がかりなのは、使用人たちと領民たちのことだ。
「ヒューは……どう思ったかしら。もし……もしも……」
この婚姻は王命だ。大金とともに嫁入りするように命じられたということは、ユイール家が国から目をつけられている証拠でもある。断れるはずもなかった。
でも――。
トリシアはヒューの顔を思い浮かべ、もう一度深くため息を吐き出したのだった。




