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交易がさかんな大国バイランド国にほど近い大海原に浮かぶ、一隻の大船。その甲板の上に居並ぶ、がっちりとしたたくましい体躯の船乗りたち。その先頭に立つのは、ひと際背も高く頑強な体つきをした男だった。
それと向かい合うように、この場にはそぐわない印象のほっそりとした小柄な女性が立っていた。その眼差しは、男たちと引けを取らないくらいに凛としていた。
「……さて、では商談は成立ということでいいな。トリシア」
先頭に立つ男の言葉に、トリシアは笑みを浮かべこくりとうなずいた。
「えぇ、結構よ。バルザック」
その瞬間、バルザックの口元に真っ白な歯がのぞいた。
「ようし! お前たち、よく聞けっ。これより我々はトリシアと契約を結んだ。トリシアのますますの成功に、俺たちも手を貸すぞ! いいなっ」
「おおおおおっ!」
「あぁ! 任せときなっ」
「これから頼むぜ! トリシア嬢ちゃん」
「俺たちがついてる限り、誰にもお前さんの邪魔はさせねぇから安心しな!」
威勢のいい男たちの声に、トリシアの顔に満足げな表情がふわりと広がった。
「ふふふふっ! 皆さん、ありがとう。どうぞよろしく」
トリシアはあらためて、この大船の船長であるバルザックとがっちりと握手を交わした。
トリシアがバイランド国に移り住んで、半年が過ぎた。すぐさま小規模な取引からスパイスやハーブの商売をはじめたトリシアは、バイランド国に商機を見出した。この国は交易がさかんなだけあって、異文化も多く流入している。そのためか、食や嗜好品にしても目新しいものにすぐに飛びつく気質があった。
けれどこの国で商売するに当たって、どうしても乗り越えなければならない問題があった。それが輸送だ。
他国との交易がさかんなバイランドでは、商人が希望の航路を走る船と個別に契約を結び品物の輸送を担ってもらうのが普通だ。けれど当然海は危険と隣り合わせだ。時には荷や金を狙って海賊に襲われることもある。それらから荷を守り商売の相棒となってくれる存在が、交易専門の船乗りというわけだ。
バルザックはとりわけ名の知れた船乗りで、バルザックと手を組むことができれば成功間違いなしと言われるほど。
豪胆でバイランド国一と言っていいほど腕っぷしも強く、部下たちからの信も篤い。引き受けた仕事は完璧にこなし、どんな難局も乗り越える。そんな噂を聞くにつけ、トリシアはできることならばバルザックと組んでこの国で商売を成功させたい、と野心を抱いたのだ。
さっそくバルザックに協力を依頼したトリシアは、バルザックから思いもよらぬ条件を出された。トリシアが単身この船に乗り込み船員たちとともにひと月の間働き、その働きぶりを見た上で契約するかどうか考える、と。
それをトリシアは即座に受け入れた。
あれからひと月――。
「となったらもう一度乾杯だ! 宴会はじめるぞっ。お前たち、一番いい酒もってこいっ」
「おうさっ!」
「酒だ、酒だぁっ!」
またしても酒盛りをはじめようと騒ぎだした男たちに、トリシアの顔が思わず引きつった。
(ま、まだ飲むの……⁉ 正直もうお腹いっぱいなんだけど……。さすがに陸地が恋しいわ)
トリシアはこのひと月、覚悟を決めひたすらに働いた。とは言え、海の男たちと同じ力仕事ができるわけもない。どうにか自分にもできる仕事を見つけ、毎夜催される謎の酒盛りにも怯むことなく男たちと対等に渡り合った。もちろんバルザックとも。
酒の強さが幸いしてか、結果的にバルザックはトリシアをいたく気に入ってくれ無事に契約を結ぶことができたわけだったがさすがにもう酒は見たくなかった。それに――。
(ヒュー、今頃どうしてるかしら。きっと皆と首を長くして私の帰りを待ってるわね)
トリシアの脳裏に、愛しい人の顔が浮かんだ。
あと数時間もすれば無事に港に着くはずだ。ようやく肩の力を抜き、トリシアは空を見上げた。
「これでバイランド国での商売も軌道に乗るはず。ふふっ。なんだかワクワクするわね」
これまでの道程を思い、トリシアは微笑んだ。
実は船に乗り込む少し前、辺境地にいるハンナから手紙が届いた。
それによれば、ガイジアが辺境伯の座を退くよう国王から王命が下るのは時間の問題であるらしい。あの慰謝料を兵たちと領民たちのために遣うのを渋ったために、ただでさえ地に落ちていた信頼をさらに下げることになった。結果ますます苦境に陥り我慢の限界に達した兵と領民とが手を組み、国に直訴するに至ったのだという。
挙句元婚約者にも捨てられたガイジアはすっかり自暴自棄になり、勢いで屋敷の使用人全員を解雇した。ジールをはじめ使用人たち全員が紹介状もなしで屋敷から放り出されることになったと、手紙には書いてあった。
そしてもうひとつ、ハンナからの手紙とは別に生家の現状についての噂も耳に届いていた。
父ゴルドとアーゴットはそれぞれの犯した罪で裁かれ、今は平民として労役についている。新たに領主となったのはトリシアの母方の親戚筋に当たる者で、どうにか領地も落ち着きを取り戻したらしい。ダンとの業務委託もうまくいっているようで安心だ。
リリアはと言えば、自身が積み重ねた借金を返すべく平民として住み込みで働いていると聞く。けれどきっと長くは続かないだろう。あの子はそういう子だ。
結局トリシアが去り際に撒いていった種は、どれもいい方向に転ぶことなくそれぞれの行いをある意味で正しく回収するに至った。どんなに大金があろうと、どんな悪事を働こうと結局は自分の行動が結果として跳ね返ってくるのだ。自業自得としか言いようがない。
トリシアはもはや遠い人々の今を思い、ほうっと大きな息を吐き出した。
「おい! トリシア。祝杯を上げるぞ。お前もこい! どうせ酒豪のお前のことだ。まだまだいけるんだろ?」
大きな酒瓶を手にしたバルザックに呼びかけられ、トリシアはやれやれと立ち上がった。どうやら最後の最後まで酒盛りは続くらしい。
バイランドと生まれ育った国をつなぐ大海原の上、大船は日の光を燦燦と浴びて悠々と波の上を滑っていく。
さらなる自信と希望を胸に抱いたトリシアを乗せて。
すべてはこれからはじまるのだ。自分の未来も、ずっと胸の中で温め続けていた愛も――。
「じゃあ、あらためて……輝かしい未来に乾杯!」
「おうっ! 今日はとことん飲もうぜ。トリシアよぉ!」
ジョッキを合わせる音と、男たちとトリシアの明るい笑い声が甲板に響き渡った。




