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「なぜ君がそんなことを知って……。あ、いや……」
ガイジアは目に見えて動揺していた。
兵たちや領内で起きている諸問題が表沙汰にならないよう、ガイジアは必死に隠してきたつもりだった。それなのになぜ、辺境地にきたばかりのトリシアがそんなことまで知っているのかとその顔には書いてあった。
「そのくらいのことは兵たちとじっくり話し、調べればわかることです」
「君が、兵たちと話を……?」
「領内も問題が山積みのようですわね。昨年領内で起きた嵐で破損した河川の修復工事すらまだ手付かずのまま。農民たちがどうにか自分たちでできる範囲内で手直ししたものの、農作物の出来に多大な影響が出ているとぼやいてましたわ」
「くっ! それは、そのうちやろうと……」
「もはやガイジア様への兵たちと領民たちの信が大きく揺らぐ事態にまで陥っているようですわね。そんな中もしも隣国から攻め込まれでもしたら、それこそ一貫の終わりかと」
「……」
ガイジアの顔が大きく歪んだ。
「私はやるべきことはちゃんとやっている。父と同じように……。別に私のせいでは……」
「……」
トリシアの顔に、憐みの色が浮かんだ。
ガイジアの父親が先代を務めていた時代は、辺境地は強固な守りと領主の人徳とで安泰だった。多少は隣国とのいざこざは起こることはあったが、先代領主は百年に一度と言われるだけの優れた武人であったために国の守りは揺るがなかった。その働きゆえ、この辺境地は国からも大いに大切にされていたのだ。
そんな辺境地の安寧が揺らぎはじめたのは、ガイジアが次期領主となって一年が過ぎた頃だった。
見た目は先代によく似て実に頼もしそうに見えるガイジアだが、中身はと言えばなんとも平凡だった。父ほどの才覚も人徳もなく、ただ父がしていたことを表面だけなぞるだけのガイジアに、兵も領民も国もガイジアが辺境を治めるに足る器ではないことに気づきはじめた。
気づけばあっという間に辺境地は財政難に陥った。以前ガイジアの父親が治めていた時には、領民が暮らしに困らない程度にはそれなりに潤っていたというのに。
領地内の必要な手入れさえままならなくなり、領民たちの不平不満は次第に募っていった。国境を警備する兵たちも、ひたすらに倹約と国のためにすべてを犠牲にしてでも働けと叫ぶだけのガイジアの無能ぶりにあきれ果て、やる気を失っていった。
いつ領内から強い反発が起きてもおかしくない。国境を挟んで隣国との軋轢が起こるのも時間の問題だった。
そんな辺境地の内情を耳にした国王が、ならば最近悪い噂の立ちはじめたトリシアの生家から辺境地に金を出させれば一挙両得だとばかりにこの婚姻を目論んだのだ。けれどそんな浅はかな考えで、辺境地が立て直せるはずもなかった。原因はガイジアの無能にあったのだから。
「……私は」
「?」
ガイジアの虚ろな目がトリシアに向いた。
「私はもうあなたの妻ではありません。ですからあなたをお助けする責はございません」
「ぐっ……!」
「ですが、ほんの少し立て直すための猶予を与えることは可能です。私の生家から支払われる慰謝料があれば、この辺境地の財政難と抱えている諸問題へ対処するだけの時間を工面できるでしょう。そうすれば、あなたの立場もどうにか守ることができるのでは?」
「しかし、どうやって?」
ガイジアのすがるような目が向いた。
「幾ばくかの金があったところで、君との離縁が成立した背景がもしも外に漏れれば私の立場は形なしだ。王命で迎えた妻にひと月で逃げられた領主として、きっと馬鹿に……」
「……」
「いや。もちろん私に責があるのは認める。が、しかし……」
もごもごと言い淀むガイジアを、トリシアは冷たい目で見やった。
「君だって、再婚ともなればなかなか好条件というわけにはいかないだろう。ならばいっそ互いに婚姻を継続した方が……。慰謝料は君の生家からの支援金ということで受け取っておいて、辺境地の財政が立て直せたら返済するとでも言っておけば……」
「……」
「もちろん今後はあなたを私の妻として大事に扱うよう、皆に厳しく言い渡す! 私も態度をあらためると約束する。だからどうか考え直して……」
そう言いかけ、ガイジアははっとしたように口をつぐんだ。
トリシアの氷のような眼差しに気がついたのだろう。
「……離縁はすでに成立しております。撤回などありえませんわ。その慰謝料を添付した概算書にある通りにそれぞれ適切に補填すれば、当面の問題は解決できるはずですわ。婚姻を継続するより、その方があなたにとってもずっと利があるのでは?」
ガイジアはようやくその存在に気づいたとばかりに概算書に視線を落とし、あんぐりと口を開いた。
「こ、これは……なぜ辺境にきて間もない君が、こんなことを知っているんだ? 兵たちの日当や食事代に至る細かい金額まで……」
元家令が土台を作り、トリシアが細かい数字部分に手を加えた概算書には、辺境領の過去数年の財政状況と今後必要になるであろう諸費用が事細かく記載されていた。そのうちのいくつかには、急ぎ対処が必要である旨が書き加えてある。
「簡単なことですわ。兵たちへの聞き取りと過去数年の帳簿があれば、そのくらいは簡単に算出できます。さすがに今年の帳簿は私には在処すらわかりませんでしたけど、推測による概算くらいは出せますわ」
そうは言いつつ、実際のところはトリシアは今年分の帳簿ものぞき見ていた。何しろガイジアはずっと屋敷を留守にしてばかりで、驚くことに帳簿は鍵付きの引き出しにすらしまわれていなかったのだ。だから家出する旨を伝える手紙を置きに執務室へと立ち入った際、目を通しておいたのだ。
「そこに書いてある通りに慰謝料を使って急ぎ対処すれば、まだどうにか間に合うはずです。あとはガイジア様が領主として必要な務めを果たせば一年、いえ二年後には辺境地の財政難はどうにか解決できるのでは?」
「いや、しかし……。普通の令嬢にそんな知恵が働くはず……」
ガイジアの言葉ににじむ女性への蔑みに、トリシアの眉がぴくりと上がった。
なぜ男というものは、こうも女性を馬鹿な存在に位置付けたがるのか。貴族の娘とてそれなりの教育は受けているし、得手不得手はあるものの能力にそれほどの差があるわけではないのに。
実の父であるゴルドも、ガイジアもトリシアの能力を見誤っていたのだ。きっと貴族の令嬢になど大したことはできない、と。
その誤った認識が、自分の足元を危うくするとも気づかずに――。




