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ゴルドがガイジアからの金の要請に応えるため隠し金の在処へと足を向けたその頃、トリシアは辺境伯の屋敷へと向かっていた。
家出してからすでに、ひと月近くが経過していた。
「ガイジア様はいらっしゃるかしら? 今日はお屋敷にいると聞いてきたのだけれど」
突然屋敷に現れたトリシアに、ジールが顎の外れそうな顔であんぐりと見やった。
「ト……トリシア様っ⁉ し、少々お待ちくださいませっ。だ、旦那様! 旦那様、奥方様がお戻りに……」
自分を屋敷の中に招き入れるでもなく、わたわたと慌てふためいた様子でジールは主を呼びにいった。その様子に、トリシアはうんざりとした顔で嘆息した。
客人、いや、本来ならばこの屋敷の女主人であるトリシアを放置してその場を離れるなど、本来家令としても使用人としてもあり得ない失態だ。
そのことに気づいたのか、まもなく戻ってきたジールが卑屈な表情を浮かべながら頭を下げた。
「どうも取り乱して失礼を……。ではこちらへどうぞ。旦那様がすぐにお会いになると……」
「そう。なら案内してちょうだい」
「はっ……。あの、それから奥方様。この度はご無事にお戻りくださりジールも心より安堵いたしました。その節は誠に失礼を……」
それを途中でさえぎり、トリシアは淡々と言葉を返した。
「別に謝罪なんて求めてはいないわ。それよりガイジア様はどこに?」
「え? あ、はい。こちらに……」
まさかさえぎられるとは思わなかったのか、ジールは虚を突かれたように鼻白み口をつぐんだ。
執務室に入るなり、ガイジアがガタンと大きな音を立てて椅子から立ち上がった。
「あー……その、よく戻ってきてくれた。使用人たちに任せきりで何も知らなかったとは言え、本当にあなたには悪いことをしたと……」
ジールと同じくもごもごと決まり悪そうに謝罪の言葉を口にするガイジアを、トリシアはにっこりと笑みを浮かべ、けれどきっぱりと切り捨てた。
「謝罪など結構ですわ。そんなものがほしくてここに参ったわけではありませんし。突然にあんな置手紙ひとつ残して家を出た私も非礼でしたし、おあいこです」
「い、いや……しかし……」
釈然としない様子のガイジアに、トリシアは用件を切り出した。
「私が今日ここへきたのは、ガイジア様との離縁が正式に認められた旨をお伝えするためですわ。それと、今後のためのいくつかの取り決めについてお知らせするためです」
ガイジアの顔色がさっと変わった。
「正式に離縁が決まった、だと? し、しかし私は署名などしていない! それに私たちの婚姻は王命なのだし、そう簡単に反故にできるようなものでは……」
トリシアは鞄の中から二通の書類を取り出し、ガイジアへと手渡した。
「こちらが正式な離縁証明書ですわ。ちょっとした伝手を使って、無理に急いでもらいましたの」
「伝手、だと……?」
「とはいっても見ての通り正式なものですので、今さらひっくり返すのは無理ですわ」
「……!」
ガイジアは期待していたのだろう。互いに歩み寄れば、最悪の結末は回避できるのではないか、と。けれど、トリシアにその気は皆無だった。
「しかしよく話し合えば……」
「何を話し合うというのです? あなたにとってもこの婚姻ははじめから望まぬものだったはず。ならば、互いの意思は一致しておりますわ。別に無理をなさることはございませんわ」
ガイジアの顔にさっと朱が走ったのには気づかないふりをして、トリシアは流れるような口調で続けた。
「もう一通は、辺境領の困りごとに関する取り決めに関するものですわ」
「困りごと……?」
憮然とした表情で、ガイジアは手元の書類に目を落とした。
「……」
みるみるその顔から血の気が引いていく。
「こ、これはどういう意味だ……? なぜ慰謝料を君の家が私に支払う取り決めになっているんだ!? 逆ならばまだしも……」
ガイジアが驚くのも当然だった。そこにはこの辺境領が当面資金繰りに困らないだけの法外な金額を、トリシアの生家がガイジアに慰謝料として渡す、と記載されていたのだから。
離縁の原因を作ったのは、どう考えてもガイジアの側だ。王命で結ばれた婚姻相手であるトリシアをひどいやり方で追い詰めたことを、すべては使用人たちが勝手にしたことで自分には関係ない、などと言い訳できるとはさすがのガイジアも考えてはいない。
ならばなぜ虐げた側であるガイジアと辺境地に、トリシアの生家が慰謝料を支払う必要があるのか。むしろ支払うのはこちらの側ではないのか。
ガイジアの当たり前と言えば当たり前の問いに、トリシアが答えた。
「もちろん私をあのように扱った上の離縁ともなれば、普通は逆でしょうね。でももしあなた方の瑕疵により婚姻が破綻したと公になれば、ガイジア様にとっては非常に困った事態に陥ることになりますわね。すでに辺境領は火の車なのですし、妻に逃げられただなんて知れたらガイジア様のお立場も悪くなりますわね」
そもそもこのままでは国の守りも立ちゆかないことを懸念して、トリシアの生家が援助することを目的とした婚姻だったのだ。離縁となれば、その援助も打ち切られるのは当然の流れだろう。そんなことになれば、間違いなくこの辺境は苦境に追い込まれるはずだ。
その上王命で迎えた妻から逃げられたとあっては、国王の心証も悪くなるのは当然だ。場合によっては領主としての座も危うい。
「それは……確かにそうだ」
ガイジアの顔が渋くなった。
心の中ではわかっていたことをあえて口に出されたことで、余計に焦りを感じたのだろう。それをちらと見やり、トリシアは続けた。
「実は私、知っておりますの。辺境領にはもはやお金の余裕などなく、兵たちに供給する手当てや武器や防具の補充すらままならない状態で、最近では兵たちの士気が落ちるどころか様々な問題を起こす者も少なくないとも聞きましたわ。もしもそんなことが陛下に知れれば……」
ガイジアが息をのんだのがわかった。




