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【改稿版】家出したとある辺境夫人の話  作者: あゆみノワ@書籍『完全別居〜』アイリスNEO
辺境伯夫人の詭計

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 トリシアは届いた荷を広げ、抜かりがないことを確認し大きくうなずいた。そして荷と一緒に届いた三通の手紙をもう一度読み直した。

 

「これで離縁については問題ないわね。あとはガイジア様をうまく説得して、こちらの思惑通りに誘導するだけ」


 三通の内一通は、正式に離縁が整ったことを示す証明書だった。本来ならば双方の署名がなければ離縁は成立しない。けれどとある知人の助力で融通してもらったのだ。

 もう一通は、父ゴルドの署名入りのとある契約書だった。


「ふふっ。お父様の字、震えてるわ。でもあんな内容の手紙が届いたら、観念せざるを得ないものね」


 見慣れた父の字はなんとも歪なものだった。つい先日トリシアが父宛てに出した手紙の内容に、どれほど動揺し困惑したのかがうかがえた。けれど自分の悪事が公になるのを恐れ、トリシアの言いなりになるしかないと腹をくくったのだろう。


 トリシアの口元に、黒い笑みが浮かんだ。


「例のお金の在処を突き止めるのはヒューたちに任せるとして、あとは……」


 残る一通に視線を落とし、トリシアは満足げな息を吐き出した。


「さすがは私のお師匠様ね。よくまとまっているわ。これならうまくいきそう」


 手の中にあるのは、元ユイール家の家老だったヒューの父がまとめ上げた辺境地の財政に関する概算書だった。国境を守る兵たちひとりひとりにかかる日当やら日用品の費用、過去数年間に渡る辺境地の経済状況にいたるまで事細かくそこには記されている。


 トリシアが父に若くしてユイール家の領主代行を命じられてから、すべてを教え込んだのは元家令だった。その助けがなければ、とっくにユイール家は取りつぶしになっていたに違いない。それほどに優秀な家令だったのだ。


 思わずその出来に感嘆の声をもらし、微笑んだ。


「あとはこれにそうとは気づかれないように少し手を加えて、ガイジア様をその気にさせることができればすべての計画は完成するわ」


 椅子の背もたれにもたれかかり、トリシアはこれまでの人生を思った。


 トリシアにとっても、この結婚は貴族としての義務でしかなかった。 

 貴族として生まれた以上いかに理不尽な命であろうと王命に逆らうわけにはいかないし、そんなことをすれば害が及ぶのは領民だから。ただそれだけの理由だった。

 

 ガイジアを取り巻く事情は事前に色々と聞いていたし、幸せな結婚生活が送れるだろうなどとは夢にも思ってはいなかった。

 けれどまさか、あれほどまでにひどい扱いを受けるとは――。


(まぁそのおかげであちらに恩を着せる形で離縁に持ち込めたのは、行幸だったとも言えるけど。それに放っておかれるのは慣れっこでまったく堪えてもいなかったしね)


 トリシアの人生が大きく変わったのは、父が後妻を迎えてからだ。

 もとから父が自分を好んでいないことは知っていた。けれどまさかあんな仕打ちを受けるようになるとは思いもしていなかった。


 その日のことを思い出し、トリシアの表情が切なげに陰った。


『トリシア、あなたは今日から私とリリアの世話係をなさい。いつもそんなつまらない本ばかり読んで領地を歩き回る以外、何もしていないんだからそれくらいできるでしょう?』


 ある日アーゴットに呼び出されたトリシアは、呆然とした。

 

『でも私はこの家の娘です。なぜ使用人として働く必要が?』


 その問いに、アーゴットは吐き捨てるように告げた。


『私とリリアは社交で忙しいのよ。その点あなたは社交向きじゃないでしょう? 私たちが代わりに社交をしてあげてるのだから、そのくらいの働きをして当然じゃないの』

『そんな……!』

『貴族家に生まれたくせに社交も満足にできないなんて、本当につまらない娘だこと。わかったらお下がりなさい!』


 アーゴットに続き、父も驚くべき態度に出た。


『トリシア、いつも暇そうなお前に仕事をくれてやろう。私は色々と付き合いで忙しいからな。これからは日々の領地の見回りと帳簿付け、屋敷の中の雑事も全部お前に任せる』

『でもそれは、領主としてのお父様の大事なお仕事では……? それに私はまだ十四才ですし』


 そんな反論を、父は笑い飛ばした。


『いつも小難しい本ばかり読んでいるんだ。そのくらいは家令に教わればできるだろう』

『そんな……』

『あぁ、それからお前付きのメイドはリリアに回すからそのつもりで。身の回りの世話くらい、自力でできるだろう』


 気がつけばトリシアは、使用人兼領地代行の仕事を任されるようになった。

 家令に教わりながら何とか領地の仕事もこなし、自身の身の回りのことはすべて自力で済ませた。掃除、洗濯もすべて。


 おかげで、貴族令嬢としてではなくただのトリシアとして生き抜くだけのありとあらゆる力を得たともいえる。けれどもはや自分には愛情を注いでくれる家族はいない。そのことが悲しかった。

 それでも使用人たちも領民も、皆自分を気遣いあたたかく接してくれたからここまでやってこれたのだ。まるで本物の家族のように。


 それがどれほど救いになったか知れない。だから彼らのために、どうにか領地と家を立て直すために懸命に働いたのだ。


 そんな時だった。辺境伯のもとにふたりいる娘のうち、いくばくかの資金援助とともにどちらかを嫁がせよと命が下ったのは――。

 

 当然妹が華やかさや楽しみなど皆無な辺境になど嫁に行くはずはない。あの子は王都で贅沢三昧で暮らすのが好きなのだし。


 案の定、お前が嫁に行けばいいと満場一致で言い出した。


 好機だと思った。辺境伯の状況は少し調べれば色々と難しい問題をはらんでいるのはわかったし、もはや自分がどんなに手を尽くしたところで我が家は長くない。

 ならばいっそこの婚姻を利用して人生をやり直すもいいだろう、と。


 けれど、できるだけ世話になった使用人たちや罪のない領民たちには害が及ばないようにする必要があった。それがこの計画だった。


 トリシアは元家令の作った書類のうちの一枚を取り、書かれていたいくつかの数字にわざと手を加え書き換えた。


「よし、これでいいわ。きっとあの人は、これを見ても偽の数字だとは気づかないはず。もともと自分の置かれた状況すら正確にのみ込んですらいないのでしょうし、簡単にだまされてくれるはず。あとはあの人がここへきてくれるのを待って、国を出ればいいんだわ」


 トリシアの目に、甘い火が灯った。


 ようやく長い苦しみと孤独が終わるのだ。もう誰にも利用されたりしない。虐げられたりしない。

 自分の幸せのために、何もかもから自由になる。


 その日はもうすぐそこまで近づいていた。


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