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半魔の私は、今日も君に恋をする  作者: モチモチィ


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2/4

君の愛情に私は

 駅から少し歩いたところで、澪が「ここだよ」と立ち止まった。


 見上げた先には、よくあるワンルームマンション。


 外階段を上っていく澪の背中を追いながら、私は心臓の音をごまかすように、靴音をそっと小さくした。


「……ほんとに、一人暮らしなんだね」


「うん。家から通うとちょっと遠いしさ〜。おばあちゃんの家もこっちのほうだし。シオンにはちゃんと見せたかったんだよね、私の巣♡」


「巣……」


 言い方が可愛くて、思わず口元が緩む。でも、胸の奥はきゅうっと緊張していた。


 澪の“巣”。

 つまり、澪だけの空間。

 そこに、今から私が一晩泊まる。


 そう考えた瞬間、角の奥までどくん、と甘い動悸が響いた。

 

澪が二階の一番奥のドアの前で立ち止まる。ガチャリ、と鍵が回る音がして、ドアが少しだけ開いた。


「いらっしゃい、シオン。ようこそ私の城へ♡」


 軽口にごまかされても、胸の鼓動は落ち着いてくれない。私は小さく息を吸ってから、そっと敷居をまたいだ。


 ──ふわり。


 鼻先をくすぐる匂いが、一瞬で私を包み込んだ。柔軟剤の甘い匂いと、柑橘系のシャンプーの匂い。それから、微かに残る朝食のトーストとコーヒーの残り香。


 全部、澪の匂いだった。


「スリッパ、そのへんの使って〜。あ、荷物ここ置いていいよ」


「う、うん……」


 言われるままに靴を脱ぎ、玄関近くのスリッパをおそるおそる履く。視線を上げると、そこには澪の生活の跡が広がっていた。


 テーブルの上には、教科書やノートが少しだけ積まれていて、その横にはマグカップ。ベッドの上には、畳まれかけて途中で力尽きたらしい洗濯物の山。小さなキッチンには、調味料の瓶がいくつか並んでいる。


 決して広くはないワンルーム。でも、どこを見ても“澪がここで暮らしている”ってわかるものばかり。プリクラも貼ってある。学校のロッカーに貼ってあったのと同じ、私と澪の笑った顔。

 ここでも、澪は私のことを“飾ってくれている”んだ、と思ったら、角の奥までふわっと熱くなった。


「とりあえず、荷物そこ置いといて。晩ご飯、ちゃちゃっと作っちゃうからさ。シオンは座ってて」


 澪がエプロンを手に取り、器用に腰で結ぶ。“ふつうの女子高生の部屋”に、“ふつうの夕飯を作る姿”が加わるだけなのに、目が離せなかった。


「……なぁに?」


 じっと見つめていたらしく、澪がクスリと笑う。


「私が料理してるとこ、そんなに珍しい?」


「べ、別に……ただ。澪がキッチンに立ってるの、初めて見たから……」


「じゃあレアショットだから、よーく見ておいて♡」


 そう言って、澪は髪をひとつにまとめ、袖をまくってコンロの前に立った。火をつける音、フライパンを取り出す金属音、冷蔵庫の扉が開く音。生活の音。


 私はテーブルの椅子に腰を下ろしながら、落ち着かない手でスカートの裾をいじった。澪の匂いに満たされたこの部屋の空気だけで、胸が妙にくすぐったい。


 角は髪の下に隠してあるけれど、そこから伝わってくる感情は、さっきの学校とはまるで違った。


 少しの緊張。「上手くできるかな」という不安。そして、それを上回る、「美味しいって言ってほしい」という期待。


 私はその期待に、ちゃんと応えられるだろうか。味もわからないうちから、そんなことを考えて、ひとりで胸を掻きむしりたくなる。


「シオン、辛いの平気だっけ?」


 じゅう、と油の音がする中、澪が振り返る。


「ちょっとなら、大丈夫」


「了解。じゃあ、今日は優しめにしとくね。ほら、今日は“癒やしごはん”だから♡」


 “癒やし”。


 その言葉が、じんわりと胸に染み込む。


 さっきまで、胸の奥にこびりついていた黒いもの。教室で向けられた視線や言葉が、まだ完全には消えていないのを、私は自覚していた。


 でも今、キッチンで慣れない手つきで玉ねぎを刻んでいる澪を見ていると、その黒いものに、毛布をふわっとかけられているような気持ちになる。


「……なに作ってるの?」


「んー、できてからのお楽しみ♡」


「ヒントは?」


「ヒントは〜……“あったかくて、落ち着くやつ”」


 あったかくて、おちつく。スープかな。シチューかな。そんなふうに想像しているだけで、お腹がきゅるる、と静かに鳴った。


「ふふ。今の聞こえた♡」


「き、聞こえなくていい……!」


「いいんだよ〜。いっぱい食べさせるからね。シオンには何も難しいこと考えずに、“お腹いっぱいになって幸せ〜♡”って顔してほしいもん」


 何も、考えずに。


 それが、どれだけ贅沢なことか、澪はきっと全部は知らない。でも、知らなくてもいい。

 知らないまま、そう言ってくれることが、すごく嬉しい。


 私は椅子の上で膝を抱えるように座り直して、澪の背中を見守った。フライパンの中で具材が踊る音と、ぐつぐつと煮える鍋の音。部屋の匂いに、だんだんとバターと牛乳の甘い香りが混ざっていく。


 ……やっぱり、シチューかな。


 そう思った瞬間、澪が「うん」と小さく声を上げた。


「できた〜〜!」


 振り返った澪の手には、白い湯気の立つお皿が二つ。その中には、予想通り──でも想像よりもずっと美味しそうな、クリームシチューがたっぷりと盛られていた。


「わぁ……」


 思わず、声が漏れる。

 とろりとした白いルウの中に、ほくほくしたじゃがいもとにんじん、鶏肉。それから、ちょっとだけ色味にブロッコリー。ごくごく普通の、でもどこか「手作り感」がにじむ見た目。


「とりあえずシチュー。あとでパンも焼くけど、まずはこれからね」


 澪がテーブルの上にシチューを置き、手早くスプーンとコップを並べる。コップの中には、水ではなく、薄いレモン色の何か。


「これなに?」


「なんかオシャレっぽいからレモン水にしてみた♡ ただの水でもよかったんだけどね〜」


「……レストランみたい」

「でしょ? はい、座ったままでいいよ。パン取ってくるから」


 小さなトースターからパンの香ばしい匂いが立ち上る。澪が戻ってきて、焼きたてのロールパンをかごに移した。


 木のテーブルの上に並ぶ、湯気の立つシチューとあたたかいパン。それだけの光景なのに、胸がじんわりと熱くなる。


「……いただきます」


 両手を合わせると、澪も笑って同じように手を合わせた。


「はい、どーぞ♡ 熱いから気をつけてね」


 スプーンを手に取り、そっとシチューをすくう。白いルウの中から顔を出した鶏肉とじゃがいもを一緒にすくって、恐る恐る口に運んだ。


 ──あつ。


 舌の上に、ふわっと熱が広がる。それから、じんわりとした塩気と、牛乳の柔らかい甘さ。

 バターのコクが舌にまとわりついて、噛むたびにじゃがいもがほろほろ崩れていく。


 決して、プロの味じゃない。完璧な味付けというわけでもない。


 でも、ひと口でわかる。


 これは、澪が「私のために」作ってくれた味だ。


 喉を通って、胸のあたりに熱が落ちてくる。さっきまで冷たくひきつっていたその場所に、じんわりとした温もりが広がった。


「……あったかい」


「ん? 熱かった? ごめん、ふーふーしてあげよっか?」


「……胸が、あったかくなった」


 そう言ったら、澪がきょとんとした顔で瞬きをした。


「え、なにそれ。……もしかして、褒められてる?♡」


「すごく、おいしい。ふつうの人が食べたら“優しい味”って言うんだろうけど……私には、“安心する味”って感じ」


 自分でも何を言っているのかわからなくなりそうで、スプーンをぎゅっと握る。


 でも、止まらなかった。


「今日、学校で嫌なことあって……胸のここ、なんか黒いのが張り付いてるみたいだったけど。澪のシチュー食べたら、そこがちょっと軽くなったみたい。まだ完全には消えないけど──でも、苦しくない。……だから」


 だから、ありがとう。

 そう言おうとしたところで、澪が両手で顔を覆った。


「え、ちょっと待って、無理……」


「……?」


「そんな直球で褒められると、照れて死ぬ……♡」


 指の隙間から見える耳が、ほんのり赤くなっている。さっきまでキッチンでテキパキ動いていた人とは思えないくらい、もぞもぞしていた。


「し、シオンってさ……たまに爆弾みたいな褒め方してくるよね……。心臓に悪い……でも嬉しい……♡」


「爆弾……?」


「胸がぽかぽかどころか、ばーんってなった……」


 そう言って、澪はやっと顔から手を離した。頬はまだ赤くて、視線は少し泳いでいる。


「でも、ほんとに……美味しいって言ってくれて、嬉しい。私、料理そんなに得意じゃないからさ。レシピ動画とにらめっこして頑張ったんだよ?」


「その“頑張り”も一緒に、味になるんだと思う」


「なにその可愛い感想~……好き♡」


 小さい声で最後の言葉を聞いた気がして、今度は私の番で顔が熱くなる。角の奥まで、ぽうっと明るくなったみたいだった。


「……おかわり、してもいい?」

「……! もちろん! そう言ってもらえるの待ってた〜♡はいはい、たっぷりどうぞ。今日の私は太っ腹です!」


 澪が笑いながらシチューをよそってくれる。お皿から立ちのぼる湯気が、ふたたび鼻をくすぐった。


 二杯目のシチューを食べながら、私は何度も「おいしい」と呟いてしまう。そのたびに澪がちょっと照れて、でもすごく嬉しそうに笑うから、やめられなかった。


 パンをちぎってシチューにつけたり、レモン水を飲んで「ちょっと酸っぱい」と顔をしかめたり。

 そんな他愛もないやりとりが、全部宝物みたいに胸の奥にたまっていく。


「ふー……食べた食べた。お腹いっぱい?」


「うん……すごく。なんか、身体の中まで“澪”で満たされた感じ……」


「それは……言い方がちょっとアレだけど、ニュアンスは嬉しいからヨシ♡」


 食器を重ねながら、澪がくすくす笑う。


「このままゴロゴロしたくなるけど、その前に……」


「……?」


「片付けと、お風呂、先に済ませちゃおっか。シオン、先に入る? それとも一緒に洗い物してくれる?」


「洗い物、手伝う。澪に全部させるのは、なんか違う気がする」


「えら〜い♡ じゃあちゃちゃっと終わらせて、さっぱりしよ。でさ、そのあとさ、一緒に映画観ない?」


「映画?」


「うん。おすすめのやつがあってね〜。シオンにも見せたいな〜って思ってたやつ。シチューでぽかぽかになって、お風呂でさっぱりして、映画でまったり。どう? “お泊り会”って感じしない?」


 そう言って微笑む澪の横顔を見ながら、私は胸の奥で、さっきまで重かった黒いものが、本当に薄くなっていくのを感じていた。


 シチューの温かさ。

 澪の笑い声。

 この部屋いっぱいに広がる、澪の匂い。


 全部が混ざり合って、私の心も身体も、ゆっくりと解けていく。


「……じゃあお片付け、しちゃおっか」


 澪がそう言って、シンクへとお皿を運んでいく。私はその背中を追いかけて立ち上がった。


 テーブルの上には、もう湯気は残っていない。でも、胸の中には、さっきからずっと、あったかいものがぽかぽかと灯り続けてる。


 ──きっと、もっとたくさん、胸があったかくなる瞬間が待っている。


 そう思ったら、自然と尻尾の先がふわりと揺れた。


 それに自分で気づいて、こっそりスカートの下で握りしめながら、私は澪の隣へと歩いていった。


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