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半魔の私は、今日も君に恋をする  作者: モチモチィ


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君がいなきゃ私は

 放課後のチャイムが鳴ってから、もうだいぶ時間が経っていた。クラスメイトたちはとっくに帰るか部活に行って、教室には私ひとり。窓から差し込む夕方の光が、黒板と机の列をオレンジ色に染めている。


 澪は今、職員室で生徒会の書類を出しているはずだ。「先に帰ってていいよ」って言われたけど、なんとなく、足が動かなかった。

 

ひとりで廊下を歩くとき、背中に向けられる視線。角を隠していても、尻尾をスカートの下に巻き込んでいても、サキュバスのハーフ」というラベルだけは、私のあとをついて回る。

 

──だから、教室で待ってる。ここなら、席に座ってるだけでいいから。そう決めて窓際の自分の席に座りなおした。


 机に頬杖をついて、ぼんやり外を眺める。グラウンドではサッカー部がまだ練習をしている。歓声が、ガラス越しに少しだけ響いてきた。


 角は、今日はちゃんと隠してある。でも、それでも“感情”は、うっすらと流れ込んでくることがある。廊下を通り過ぎる誰かの苛立ちや、わくわくした気持ち。遠くにいても、強くて黒い感情は、布の向こうからでも染み込んできてしまう。


 今、近づいてくるのは、その黒いほうだった。




 足音が、教室の前で止まる。次の瞬間、ガラリと勢いよくドアが開いた。


「──あれ、ほんとにいた」


「マジじゃん。ひとりで待ってるとか健気〜」


 ぎらぎらした笑い声と、むっとくるような香水の匂い。顔を上げる前から、胸の奥が嫌なふうにざわつき始めた。教室の入り口に立っていたのは同じ学年の女子が三人。髪を巻いて、メイクも制服の着崩し方も、先生に目をつけられている顔ぶれだ。

 

顔を、見たことはある。

何度か、廊下ですれ違うたびにひそひそ声が聞こえてきた相手。


「ねえねえ、シオンちゃん。まだいたんだ〜?」


 三人のうち、真ん中の子が、じり、と距離を詰めてくる。口元にはにこにことした笑み。それなのに、角の奥にはねっとりしたものが触れる。


 好奇心。嘲り。少しの恐怖。それから──壊してみたい、っていう妙な期待。


「……澪が、用事終わるまで待ってるだけ」


 できるだけ、普通の声で答える。相手を刺激しないように。角をもっと奥へと押し込めるみたいに。


「澪ってあの、いつも一緒にいる子? ふぅん……」


「サキュバスのハーフにベタ惚れって、正直わかんないよね〜」


 取り巻きの二人がくすくす笑う。笑い声より先に、胸の内側に冷たいものが落ちてきて、私は指先をぎゅっと握りしめる。


「ねえさー。ちょっとさ、余計なお世話かもなんだけど」


 真ん中の子が、私の机に手をつく。距離が近い。きつい香水の匂いと、一緒に染み込んでくる悪意。


「サキュバスってさ、色々、大変なんでしょ? 精気とかさ〜」


「……別に。ちゃんと、管理してる」


「あはっ、真面目〜。でもさ、もし発情? とかしちゃったら、普通の人迷惑じゃん? 我慢できなくて襲っちゃったりとか〜」


「サキュバスってそういうもんでしょ? 本能には逆らえませ〜ん、みたいな」


「……っ」


 心臓が、ちくりと刺されたみたいに痛む。


 別に、言われ慣れている。噂話も、偏見も、全部まとめて、聞き流してきたつもりだった。


 でも、「本能には逆らえない」という言葉だけは、喉に引っかかる。


 私は、逆らってきた。


 角を隠して、尻尾を巻いて、人を無闇に魅了しないように、息を殺して。その全部を、“ないもの”みたいに笑われるのは、さすがに、きつい。


「それでさ〜。ちょっと話したいことあるんだよね。サキュバスのこと詳しく聞ける機会って、なかなかないし?」


「そうそう。ほら、同じクラスのよしみってやつ? ね?」


 三人がぐるりと私の机を囲む。出入り口から遠ざかる。窓側にいる私の席は、こういうとき本当に不利だ。


「……話、は。ここでなら、聞いてもいいけど」


「んー、でもさぁ」


 真ん中の子が、いかにも残念そうな顔をした。その下に隠している楽しげな色は、角が全部拾ってしまう。


「せっかくなら、ゆっくり話したいじゃん? ここだと人通るし〜。空き教室、あるんだよね♡ほら、隣の棟の三階のとこ♡」


「もう部活の人しかいないし、誰も来ないよ〜。静かでいいって♡」


「……」


 誰も、来ない。

 

 彼女たちが私に向けている感情は、ただの「興味本位」じゃない。角を通して伝わってくるのは、「遊んでみたい」という軽さと、「傷つけてもかまわない」という無責任さだ。


 ──この子たちは、サキュバスだから、って理由で、私を「人」として扱わない。


 知っている種類の悪意だ。歩いているだけで「危ないから近寄らないで」と距離を置かれたときの視線と、同じ方向の色。


「ごめん。わたし、澪待ってるから。ここに、いる」


 きっぱり断ろうとした瞬間、腕をぐい、と掴まれた。


「ちょっとくらいいいじゃん〜。ね? すぐ終わるからさ♡」


「それに、私たち“普通の人間”が、サキュバスの相談乗ってあげるんだよ? ありがたく思ってほしいな〜?」


 笑いながら言うその言葉に、ぞわり、と鳥肌が立つ。


 ありがたく思えって、何。私を“危ないもの”扱いしているのはそっちなのに。


「離し──」


 言い終わる前に、引きずるような力がこもる。椅子が床をひっかき、私は半ば強制的に立たされた。


「ほら、行こ。ね?」


 廊下へと続くドアが開いたまま、夕方の光が傾いている。誰もいない、長い廊下が見えた。角の奥で、黒い色が濃くなる。嫌悪と、残酷さ。行きたくないと身体中が叫んでいるのに、腕を掴む力は強くて、足が追いついてしまう。




 ──澪。






 心の中で名前を呼んだ瞬間、




「……シオン」




 聞き慣れた声が、廊下の向こうから飛んできた。


 同時に、角の奥に、全く違う感情が流れ込んでくる。


 きゅっと締まるような不安と、燃えるような怒り。その下に、揺るぎない「守りたい」がどっしりと座っている。


 私の腕を掴んでいた手が、一瞬だけ緩んだ。


「シオンに、何、してんの?」


 澪が、早足で近づいてくる。生徒会の書類のファイルを左手に抱えたまま、真っ直ぐこちらを見ていた。


「……澪」


 思わず名前を口にすると、澪は私の腕に視線を落とし──掴まれているところを見て、ぴたりと足を止めた。


「……ねえ。その手、離してもらっていい?」


 いつもの柔らかい声じゃなかった。低くて、冷たい。聞いたことのないトーン。

 

腕を掴んでいた子が、「え、あ、ごめん〜」と苦笑いを浮かべる。


「違う違う、別に変なことしてないって。ちょっと話そうってだけで──」


「“話す”のに、どうしてこんなに掴む必要あるの?」


 澪が、ストンとファイルを自分の机に置いて、一歩踏み出した。私とそいつの間に、すっと割り込む。


「シオン、痛かった?」


「……だ、いじょうぶ。でも」


 澪の背中ごしに、三人の顔が見える。さっきまでのにやにやした笑顔が、少しだけひきつっていた。


「サキュバスなんだし、ちゃんと見張っておかないと危ないかな〜って思ってさ。なんかあってからだと面倒じゃん。だから、ね?」


 真ん中の子が、まだ余裕ありげに笑ってみせる。けれど、角に触れる彼女たちの感情は、さっきまでの軽さを失っていた。自分より強い相手を前にしたときの、苛立ちと、臆病さ。


「危ないのはどっち?」


 澪は首をかしげただけなのに、その場の空気がぴんと張り詰めた。


「“サキュバスだから”って理由だけで、空き教室連れてこうとするほうがよっぽど危ないよね。そういうの、差別って言うんだよ」


「さ、差別とか大げさ〜。ただの冗談だし」


「冗談で腕掴まれて、誰もいない場所に連れてかれかけるの、私から見たら全然笑えないんだけど」


 澪が一歩、前に出る。私の手首を掴んでいた指が、完全に離れた。


「それに──」


 澪が、横目で私を見る。その瞳の奥で、怒りが静かに燃えているのが、角を通さなくてもわかる。


「シオンは“サキュバス”って前に、私の彼女だから。勝手に触らないでほしい」


「っ……」


 心臓が、大きく跳ねた。

 廊下に響くくらいの音がしたんじゃないかと思うほど、胸がどくんと鳴る。顔が一気に熱くなるのを感じて、私は視線を落とした。


 向かいの女の子たちが、目を丸くしたあと、途端に気まずそうな顔をする。


「え〜……マジで“彼女”とか言っちゃうんだ? ガチじゃん。キモ~」


「サキュバス喰ってるとか、趣味わる……」


「ね、行こ。めんどくさ」


 捨て台詞みたいに小さく吐き捨てて、三人はくるりと背を向けた。廊下を歩き去っていく足音と一緒に、黒い感情も遠ざかっていく。残されたのは、夕焼けの色と、澪の背中だけ。


「……ふーっ」


 澪が大きく息を吐いて、私のほうに向き直る。


「シオン、大丈夫? どこか痛いとか、ない?」


「う、うん……腕、ちょっと、赤いくらい。大丈夫」


 掴まれていたところを軽く撫でてみる。じんわりとした痛みよりも、さっき澪が言った「私の彼女だから」のほうが、心臓に響いていた。


「遅くなってごめん。思ったより時間かかっちゃってさ……」


「……澪は、悪くない。勝手に、寄ってきたのはあっちだし」


 そう言いながらも、さっきの感情のざらつきがまだ胸に残っている。


 “サキュバスだから危ない”

 “普通の人間”


 そんな言葉が、しつこく耳の奥で反芻されていた。


 けれどそれを上書きするみたいに、澪の感情が角の奥を満たしていく。

 怒り。心配。申し訳なさ。そして、その全部を包むような、温かい「好き」。胸の真ん中が、じんわりと熱くなる。


「……ありがと、澪」


「ん?」


「その……助けて、くれて。すごい、かっこよかった、から……」


 最後の一言は、ほとんど息みたいに小さくなってしまった。けれど澪にはちゃんと届いたらしく、彼女はぽかんと目を瞬かせたあと、ふにゃっと笑った。


「えへへ。かっこよかった? やった♡」


 いつもの、柔らかい笑顔。時々見せるからかいの笑みじゃなくて、本当に嬉しそうな笑み。


「かっこいい澪、に……私の胸、ドキドキしてる」


「それは……私もかなりドキドキしてるけどね。色んな意味で」


 澪が、私の手をそっと握る。さっきまでそこに残っていた嫌な感覚が、じわじわと溶けていった。


「ね、シオン」


「なに?」


「今日さ。このまま一緒に帰って、そのままうち来てお泊り会しない?」


 ふと、澪がそんなことを言った。言葉だけはいつもと同じくらい軽いのに、その下にある感情は真剣だ。


「さっきみたいなことのあとで、シオンをひとりで帰らせるの、ちょっと心配で。あ、ご飯は私がちゃんと作るから」


「澪、が……?」


「うん。ちょっと自信あるんだよ? この前、レシピ動画見ながら練習したの」


 胸の奥に残っていたざらざらが、すっと静かになる。


澪の部屋。澪の手料理。それはさっきまでの黒い感情と、あまりにも遠い場所にある言葉だった。角の奥まで、ぽうっと明かりが灯ったみたいに温かくなる。


「……行きたい。澪の家で、お泊り、したい……♡」


「決まり♡」


 澪が、ぱっと花が咲いたみたいに笑う。笑った瞬間、さっきまで張りつめていた肩の力がふっと抜けた。


 澪と並んで教室を出る。夕焼けに染まった廊下を歩く足音が、さっきとはまるで違って聞こえた。


 澪の手は、温かい。


 その手に引かれながら、私は心の中でそっと呟く。


 澪の家で、澪の作るご飯を食べたら。

さっき胸に溜まった黒いものも、きっと全部、溶けてなくなってしまうんだろうな。


そんな予感に、胸が少しだけ、くすぐったくなった。



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