その1~臭い関係になった日~
私、真城綾菜は――
水口優人という、ちょっと変わった人とお付き合いすることになりました。
いきなり本社から、私たちの小さな工場に派遣されてきた彼。
任された役職は「一階総責任者」。
商品の出荷から入荷まで、現場のすべてを束ねるポジション――
聞くだけなら、エリート街道まっしぐらのバリキャリ男子って感じでしょ?
でも、水口優人は……違った。
背広よりも作業着が似合って、
指示を出すより、自分が汗をかくほうが得意で、
誰もが嫌がることを、誰よりも笑顔で引き受けてしまう。
彼を見ていると、
「こんな人間、まだこの時代にいたんだ……」って、自然と思わされる。
でも、ただのお人好しってわけじゃない。
判断はいつだって的確で、問題が起きても必ず“落としどころ”を見つける。
いつの間にか社内では、こう呼ばれるようになっていた。
「手に負えない仕事は、水口に泣きつけ」――と。
日曜の昼下がり。
水口くんに、郊外のファミレスに「ちょっと話したいことがある」と呼び出された私。
すでに席に着いていた彼は、ドリンクバーのアイスコーヒーをちびちび飲んでいた。
……からの、沈黙。沈黙。沈黙。
オーダーしたランチセットが来ても、
食べ終わっても、
追加で頼んだスイーツまで完食しても――
まだ、何も言わない。
私はフォークをカチャカチャ鳴らして、無言のプレッシャーをかけまくっていた。
そして午後8時。
外がほんのり夕焼け色になったころ、ようやく彼が絞り出すように言った。
「……す、好きです。付き合ってください」
声ちっさ!!!
しかも目を合わせない!!!
『はああああ!? 最初に会ってから8時間!?』
『私じゃなきゃ、とっくに帰ってるからな!?』
――だけど、その顔は、今でも忘れられない。
汗で額が光ってて、喉が渇いて言葉が詰まって、手はガチガチに震えてて。
――この人、本当に真剣なんだ。
そう、一瞬で分かった。
そしてそんな彼が、私をテーマパークデートに誘ってくれた。
これはもう――
私の彼女力アピール案件、勃発!!
ただでさえ、私のことが好きで仕方ない彼氏を、もっともっとメロメロにしてやるチャンス到来!!
(告白で8時間待たされた仕返し、今日こそ果たす!)
MISSION 1:水口優人の好みの服装を調査せよ!
素人は「本人に聞けばいいじゃん」って思うだろう?
――しかし! 彼女道を極めんとする私・綾菜は一味違う!
目指すは「偶然、彼氏好みの服を着ている彼女」という破壊力!
以下、妄想:
優人「あれ? 綾菜ちゃん、その服かわいいね。そういうの、好みなんだ」
私「え? そうなの? 別に水口くんのために選んだわけじゃないけど……好みが似てるのかもね」
優人「そうなのかぁ……。これはもう、運命なのかもしれないね」
私「そんな、大げさだよ」
優人「そんなことない! 愛してるよ、綾菜」
……って流れにしてやる!!
そのために狙うのは、水口くんの喫煙仲間・柴田美咲!
喫煙所で毎回彼と雑談している彼女から、情報を聞き出す作戦を開始する!!
「綾菜、遅いよ。ラベル発行、多かったの?」
「うん。なんか特注品の大量注文が来たみたいで。納品日は私の休みだから、早めに用意しておきたくて」
そう言いながら、私は彼女に頼まれていた島田亭のから揚げ弁当と、自分用のサラダパスタをテーブルに置いた。
「うわ〜! 島田亭のから揚げ弁当だ! 美味しそう!!」
島田亭は近所で有名なお弁当屋さん。
お昼しか買えない激うま弁当で、毎日行列ができる人気店。テクニックがないと買えないレベルのやつ。
「そういえば綾菜の休みって、水口さんとのテーマパークデートの日じゃなかったっけ?」
「そそ。それでさ、水口くんって、女の子にどんな服を着てもらうと喜ぶかな?」
私が身を乗り出して聞くと、美咲はから揚げを一口食べながら答えた。
「水口さんって、清楚で季節感のある女性っぽい服、好きそうじゃない?
夏なら白のワンピースにサンダルと麦わら帽子とか……そういうオーソドックスなやつが喜びそう。
フェチって言うなら……パンストが好きらしいよ」
……パンスト好きとか。
お前、喫煙所で何しゃべってんだ水口……。
とはいえ、白のワンピースだけだとちょっと物足りないかも。
青系のカーディガンでも羽織ってみようかな。
MISSION 2:水口優人をご機嫌にするBGMライブラリを構築せよ!
「ついでに美咲に音楽の好みも聞けばいいじゃん」って?
――それだからトーシロは困る!!
美咲情報に全振りすると、彼女の主観に引っ張られて精度が落ちるのよ!
音楽情報なんて、適当に合わせられる分だけ信ぴょう性に欠ける。
ここは精密かつ確実なリサーチ戦略が必要!!
私が目をつけたのは、水口くんに可愛がられている部下――木林太一!
彼はよく水口くんの車の助手席に乗って、外食に行くらしい。
つまり、リアルに彼の車内BGMを知ってる男ってわけ!
ただし、重要なのは「同じ曲を揃えること」じゃない。
あくまで好みを把握し、それを上回る選曲センスで「綾菜のライブラリ、最高……」って思わせるのが狙い!
以下、妄想:
優人「おお! 綾菜さんの選曲、俺のより聞きごたえあるね!」
私「そぉ? 水口くんの選曲、ちょっと古いんだよ」
優人「これからは毎日、俺の車のBGMを綾菜さんに任せたい」
私「え〜、付き合ってる間だけね?」
優人「違うよ……結婚してください!!」
私「え〜、しょうがないなぁ……。考えてあげる♡」
ってなる予定!!!!!
私は、仕事が終わって着替えた木林をつかまえに行く。
「きばちゃーーーーーん!」
「お? 真城さん、お疲れ様です」
「お疲れ様。きばちゃん、水口くんの車によく乗ってるよね?」
「はい? まぁ、よく乗せてもらってますけど。どうかしました?
まさか“今後助手席は真城さん専用だから乗るな”とか言い出す気ですか!?」
(……木林から見て、私はどんな奴に見えてるんだろう)
「ううん。ただ、どんな曲を流してるのかなって思って」
私が聞くと、木林は少し考えるような素振りを見せた。
「水口さん……いつもAMラジオですね。
『大木茂雄のゴールデンラジオ』とか、よく流してますよ」
――まさかのラジオ!?
しかもAM!!!!
予想の範囲ではあったが、まさか現実だったとは。
私のプランが一瞬崩れかけたけど、こんなことでめげていられない。
「ラジオで、水口くんがノリノリになる曲とかある?」
「あー……そういえば、最近出てきた40人くらいの女性グループが歌ってる『恋愛爆弾』って曲、
ノリノリで聴いてましたね。俺と一緒によくハモってます」
……え?
それって、秋葉原系のアイドルグループじゃ……?
「ありがとう……。きばちゃんは今後、水口くんの車の搭乗禁止ね」
「ええええ!? 俺、何かマズいこと言いました!?」
つまり該者(水口)は音楽にあまりこだわらず、女性シンガーでハイテンポな曲が好きなのだろうと想定できる。
秋葉原系ってことは、深夜アニメのオープニングとかも少し入れてあげたらハマるかもしれないな。
* * *
そして迎えたデート当日。
水口くんが7時に迎えに来てくれる予定だったけど、私は4時に目が覚めてしまった……。
こんなに早く起きちゃうと、デート中に眠くなりそうだから「やらかした」に分類される案件。
けど、焦って二度寝すると寝坊するリスクが跳ね上がる。
その結果、寝起き顔でブスな私がデートに出陣する……という最悪な展開になる。
こういう時は、無理に寝直さず素直に起きて準備するのが彼女道の基本!
私はベッドから出て、シャワーを浴びて、昨日買った白ワンピとカーディガンを身につけ、鏡の前で最終チェック。
「よしっ! 完璧だ!」
YouTubeをBGMにお化粧を済ませても、まだ5時半。
そこからは3分おきに窓を覗いては、YouTube見て気を紛らわせてた。
……何度も初デートしてるのに、これは一生慣れない……。
6時を過ぎてまた窓を覗くと――
水口くんの車がアパートの前を徐行して、通り過ぎて行った。
えっ!?
なにしてるの!?
慌てて電話をかける。
「もしもし? 今、水口くんうちの前通らなかった?」
「あ……うん。早く起きちゃって、早めに来ちゃった。
でも約束より早いから、綾菜ちゃんが準備終わるまで周辺を徘徊してようかと……」
私と同じことしてるじゃん!
てか“徘徊”って……。
「うん。分かった。すぐに用意するから待ってて」
――って、もう準備できてるんだけどね。
電話を切って玄関を開けようとした瞬間、ふと気づく。
このまますぐ出たら、「あ、準備もうしてたんだな」ってバレるじゃん!!
私はグッとこらえ、あえて10分ほど時間を空けてから出発した。
外に出ると、水口くんは車内で待っていた。
……車に乗ったら服がちゃんと見せられないじゃん……。
乗ろうか迷っていたら、水口くんがさっと降りてきて、助手席のドアを開けてくれた。
「どうぞ、お嬢様」
まるで執事みたいにお辞儀までしてくる水口くん。
いやいや……
お嬢様ごっこがしたいんじゃなくて、服を見てほしいのよぉぉおお!!!
とか思いつつも、ドアを開けてくれたのはちょっと嬉しくて、「ありがとう」と言って乗り込んだ。
「予定より1時間早かったけど、大丈夫だった?」
「うん、大丈夫」
(むしろ早く来てくれて助かったし……)
「じゃあ、行こうか」
そう言って彼はスマホを操作し、夏っぽい音楽を流し始めた。
……え?
木林情報ではAMラジオだったのに???
そう思いながらも、車は発進する。
緊張して思うように喋れない。
どこ行った!? いつもの私!!
頭が真っ白で、返事も「うん」とか「へぇ……」しか出てこない。
水口くん……今、楽しいって思ってくれてるかな?
退屈してないかな……?
予想以上に自分が不甲斐なくて、ちょっと泣きそうになった。
トゥルルルル……
突然、車内に電話の音が鳴り響く。
「……あ」
水口くんが、ちょっとバツが悪そうに私の顔を見る。
「出ていいよ」
私が答えると、水口くんは通話を始めた。ハンズフリーになっている。
「はい、水口です」
「もしもし、水口?」
声の主は、工場長だった。私にもすぐ分かった。
「今日は休みですよ? 急用ですか?」
「いや、あのな……営業が“明日納品”って言ってた小枝商店なんだが……
実は、納期“今日”だったらしいんだよ」
――小枝商店?
今日納品のラベル、私が作ってたやつじゃん。
「え? 昨日、営業に“納品日違くね?”って聞いて、明日で間違いないって返事されましたよ?」
「たぶん……あいつ、小枝商店に確認しないで適当に返事したんだろうな……
先方は“もう届いてなきゃいけない時間なのに”って怒ってる」
……嫌な予感しかしない。
「で、俺にどうしろと?」
「今から工場に来て、商品回収して、小枝商店に届けてくれないか?」
「小枝商店って……福島ですよ? 今から行ったら一日潰れますけど?」
「分かってる。代休は取ってもいいからさ……」
「そういう問題じゃなくて、今日は“絶対に動けない”って言ったでしょ?
大事な予定があるんですよ」
「……そこをなんとか……頼む……」
水口くんは黙り込んだ。
(こういう“他部署の尻拭い”まで、彼が背負わされること多いんだよね……)
私は、彼の困った顔をこれ以上見ていられなくて――
「いいよ、私には気を遣わなくて」
つい、口をついて出てしまった。
「……ごめん」
水口くんは一言だけ謝って、車を工場へ向かわせた。
出荷場に着くと、部下がすぐに出てきた。
「水口さん、この荷物です。
って真城さん!? 私服の真城さん、かわいいっすね!」
お前が言うんかい!!
「ありがとう」
「このくらいの量なら、俺の車に乗りますね。積んじゃっていいですか?」
「はい」
荷物が積まれていくたびに、
私のデートが奪われていく気がして、ちょっとだけ泣きそうになる。
「じゃあ、行ってくる」
車を発進させながら、水口くんが私に言った。
「綾菜ちゃん、いったん家に送ろうか?
せっかくのデートが台無しになっちゃった。本当にごめん」
「……ううん。もう納期過ぎてて、お客さん怒ってるんでしょ?
だったら、私もついていくよ」
「……ありがとう。本当に助かる」
デートが潰れたのも嫌だったけど、
それよりも彼と一緒にいられなくなるのが、何より辛かった。
私は、今日は絶対水口くんと一緒にいるって、心に決めた。
車は千葉北インターから東関道に入り、北上していく。
普段あまり高速に乗らない私は、ちょっとテンションが上がっていた。
そして、ふと視界に――
今日行く予定だったテーマパークが見えた。
「あ……」
未練の気持ちが、口からこぼれる。
「行きたかったな。俺、実は一度も行ったことないんだ」
「え? 千葉住みなのに?」
「うん。変だよね」
少し照れくさそうに答える水口くん。
……本当は嫌なはずなのに、なんでこの人は愚痴ひとつこぼさないんだろう。
私は、素直な疑問をぶつけてみた。
「多分、一人だったら、今ごろブツブツ文句言ってたと思う。
でも今日は綾菜ちゃんがいる。楽しいんだ。
しかも今日は“仕事扱い”だから、代休ももらえるしね。
……こぼす愚痴がないんだよ」
彼のその言葉に、私は少し安心した。
ちゃんと楽しませてあげられてるか不安だったけど……
“私がいるだけで支えになってる”って、感じられたから。
福島に到着。
小枝商店の店長に、水口くんは平謝りで商品を納品する。
ミスしたのはバックれた営業なのに、彼は一切言い訳せず、誠意を尽くしていた。
最初は怒っていた店長も、だんだんと笑顔になり――
最後には、私を見て何か話していた。
ガチャ。
戻ってきた水口くんは、両手にお茶を持っていた。
「小枝商店の店長からだよ。綾菜ちゃんの話をしたら、
“迷惑かけちゃってごめんね”って謝っといてくれってさ」
「え? 謝るって……迷惑かけたの、うちなのに?」
「だな。良い人だったよ」
「うん」
車は帰路につく。
その30分後――
やばい。ずっと車に乗ってたせいで……
「おトイレ……行きたい」
私の声に、水口くんは急いで近くの店に車を止めてくれた。
……が、そこにあったのは――
男女共用のボロトイレ!!!
しかも、音が外にダダ漏れ仕様!!
「えーっと……俺、店内をちょっと徘徊してくるね」
そう言って離れようとする水口くんの裾を、私は掴んだ。
「……怖いから、いて!」
「え、えぇ……」
「音聞こえたら恥ずかしいから、なんか歌って!」
「無茶言うなよ! 俺、音痴だぞ!」
「私、音痴でも気にしないよ!」
「そういう問題じゃないんだよな……」
気まずそうにトイレの前で見張る、真面目な仕事人間――
めちゃくちゃ贅沢な使い方してんな、私。
「ねぇ!」
「うん?」
「これで、私たち“本当の意味で”臭い仲だね!!」
「俺はまだしてないけどね!!!」
トイレ事件ですっかり打ち解けた私たちは、
その後は冗談を言い合ったり、仕事の話をしたり。
帰り道、行きがけに見えたテーマパークの前を通ると、夜空に花火が上がった。
「わぁ……」
思わず声が漏れる。
「綺麗だね」
水口くんも、ぽつりと呟いた。
“初めてのデートでこのテーマパークに行くと別れる”というジンクスがあるらしい。
もし、今日あそこに行っていたら――
私たちはどうなっていたんだろう。
でも、行かずに花火だけ見られるなんて……
いいとこ取りできた気がして、むしろ勝ちじゃん?
それに、帰り道で水口くんが業務終了の電話をかけたとき、
「綾菜ちゃんも一緒でした」って報告してくれたおかげで、私も出勤扱いになった。
朝はすごく落ち込んだけど、今はむしろ誇らしい気持ちでいっぱい。
初デートなんて、最初から完璧なわけがない。
**失敗を笑い合える関係こそ、ベストパートナーなんだな――**って、思った。
あなたの初デートは、どうでしたか?
【後日談】
私の「これで本当の意味で臭い仲だね」――という一言が決め手で、
水口……いや、優人くんは「この人と結婚しよう」と思ったそうです♡