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狭き門より


 待ち合わせ場所の公園の青々と茂る木の葉を日傘にして、陽光を反射し飛沫がきらめく噴水の前のベンチ。そこに座り、ボーイフレンドを待っているところだった。これから彼と合流して街へデートに繰り出す予定なのだ。

 家を出る間際に時計を見たときは「わぁ、もしかしたら10分くらい遅刻しちゃうかも」とか思ったんだけども、慌てて急いだ結果何かのトラブルに巻き込まれるのが一番良くないよねぇ……とか思いながらいつも通りの調子で出かけてみるとこれが意外と乗り換えが普段以上にスムーズにできたりして、いざ現地に着いてみると約束の時刻よりも20分は早い時間だった。我ながらマイペースを崩さないのは美点だと自負しておりまして、実際今日のように下手に急がない方が却って良い結果を生むことは経験上よくあることなのです。

 私の今日の服装はというと、上半身は左胸だけにワンポイントで黒いブランドマークの刺繍が入ってる白い無地のTシャツを着ていて、下は外側が黒い生地でインナープリーツに白色が差し込まれているフレアミニスカートを履いてきた。丈は膝小僧よりも少し高いくらいで、彼の目線からだと歩いたときなどに太ももの色白さがちらちら垣間見えるはずだと計算済みである。

 朝から陽光の温かさが心地よく、本当は家でお茶でも飲みながらそのままぼーっと過ごしていたいくらいだったんだけども、すんでのところで「そういや今日デートじゃん」と思い出し、起き抜けのボケーっとした頭ですぐそばに畳んで置いていたこの白Tシャツをいそいそと着込んだのだった。高校の部活の時とかにも重宝していたポリエステル100%の生地がサラッとした通気性のいいやつで、今日は外もあったかそうだしこれくらいが丁度いいかなと思って深く考えず普段着と同じように下着姿の上からズボッと着て、黒髪をポニテにまとめてそのままシンプルなTシャツに対して浮かない程度のナチュラルめにパパッと化粧までしちゃったわけよ。ただ、そこでようやく「デートなのに無地のTシャツ一枚って流石に手抜きと思われるかしら?」なんて考えが湧いてきたのでありまして。でもここからまた脱いで畳み直すのも面倒臭……もとい着替え直して待ち合わせに遅れるようなことがあってもよろしくないという判断のもと、今日は足元の方に注意を引きつけて誤魔化……脚線美をフィーチャーするコーディネートということにして、普段はあまり履いていかないこのミニスカートをよっこらしょと履いてきたわけ。なんか男性の中には太ももフェチ?っていう人が相当数いるらしいし、まだ付き合い始めてから日が浅くてそういう話をしたことがあるわけじゃないんだけど、多分彼も私のこの着ぐるみみたいにムチッとした可愛らしい太ももは好きでしょ。それなら多分今日はリュックじゃなくてショルダーバッグの方がバランスが良かろう。いくつかお店を回る予定もあるので歩きやすいように白いスニーカーを履いて家を出たのが、大体起きてから20分後のことでありました。


 そんなこんなで到着した公園のベンチに座り、お腹の前に抱え込んだバッグを両腕の下敷きにして、家では読んでこれなかったネットニュースなどをスマホで読んでいると、彼から『ごめん少し遅れちゃうかも、本当ごめん』というメッセージが届いた。それに対して『了解。急がなくていいから気をつけて来てね』と返信した時のことだった。突如目の前の噴水の、水が流れ落ちている柱の辺りから、なにやらズゾッズゾゾッと若干粘り気を含んだ重い音が私の耳に届いてきた。「時報の演出か何かかな?」とか思ってそちらを見やると、噴水のすぐ横に立っている据え付けられた時計等のデジタル表示が『29:87』の時刻を示しているのが見えた。「……あの時計壊れてるな」なんて思ったのも束の間、その重い音を立てていた噴水の柱がグニャリと歪んで、裂けるチーズを思わせるような横開き、おどろおどろしい流体のようなものがCGのように渦巻いているその内側から、何者かがゆっくりと、その開いた門を潜ってこちら側に現れるのが目に入った。わー、すごい。VR?とかAR?とか言うのかな。奥行きとか立体感とか、まるで何もないところに本当に異次元から繋がるワームホールが出現したみたい。映画の撮影か何かかな?

 そうして現れた人物は遠目で見るにどうやら女性だった。肩にかかるくらいの銀髪に、首元から膝ぐらいまでの体の大部分は黒いマントのようなもので包んでいて、足元は同じく黒いブーツで脛までを覆っている。鷹揚な雰囲気を漂わせて門のこちら側に出てこようとしていた彼女だったが、向こう側からの視界が充分ではなかったのか、目先をザバザバと流れ落ちている水飛沫に気がつかなかったようで、頭を出した瞬間モロに被ってしまい「ギャース!」という悲鳴をあげる。慌てた様子でその水のカーテンを一気に潜り抜け、噴水池の底に溜まった水をブーツを履いた両脚でバシャバシャと掻き分け跨ぎ、芝生の上へと転げ出てくる。うわ。

 銀髪がぐっしょり濡れて、細い頬と顎、首筋にまとわりついている。令和版貞子を作ろうとしたらこんな感じなんだろうか? 違うか。そして女性にしては身長が高い。細長い手足でズブ濡れたマントを慌ただしく剥ぎ取り「出るとこ間違えた! 出るとこ間違えたザマス!」とか嘆きながらサウナの熱波師よろしく芝生のバサバサはためかせて乾かそうとしている。マントの内側に着ていたのはモスグリーンのハイレグレオタードで、華奢な腰回りには似合わない鉄色のゴツいバックルが目立つ黒いベルトを巻いている。…………もしかすると特撮ドラマの撮影なのかもしれない。最近昭和レトロが流行ってるっぽいし、そういういかにも前時代的な女幹部キャラを意図した衣装なのかも。あるいはお色気寄りの迷惑系Y◯utuberか何かだろうか? そういうジャンルがあるのかは知らんけど。しかしそれにしてはカメラも撮影スタッフも近くに見当たらない。こんなオモロい状況を撮らずしていつ撮るというのか。


 そんなことを考えていると、銀髪の合間から覗くギョロッとした瞳と目が合った。こわっ。赤いカラコンか何かを入れているようだ。

「見つけたザマス! この時代の若い女!」

 そう嬌声を上げると、乾かすのをとうとう諦めたのかマントを芝生の上にバサッと投げ捨てて、長い両脚をアシダカグモみたく蠢かせてノッシノッシとこちらに歩いてくる。うわーなになに? なんでこっち来るの? 私をエキストラにしてやろうか、ってこと?

 私のこの美貌が世界デビューしてしまうというのも満更ではなかったが、あいにくこのあとはデートの予定がある。目が合わなかったふりをしてこの変態チックなお姉さんから距離を取ろうとしたのだが、なぜだろう、ベンチから立ち上がった姿勢のまま身体を動かすことができない……?

「無駄ザマスよ、そこのジャリガール! 目が合ったが最後、私の催眠術は百発百中ザマス!」

 ジャリガールって……ロケ◯ト団でしか聞いたことないんですけど……。そんな軽口を叩こうとしても、喉元が凍ったように硬直して声を出すことができない。全身が気をつけの姿勢のまま見えない力によって固められてしまったかのようだ。ひえ〜、本物の催眠術ってこんな感じなんだ……。あれかな、イリュージョン系の配信者の人なのかな? 一般人ドッキリみたいな。急にそんなんされても、私面白いリアクション取れないと思うけどなぁ。


「さっさと人間トランプを集めて帰るザマスよ! こんな原始人しかいない時代に長居していてもタイパが悪いザマス! まずはお前が一枚目ザマス!」

 女が私の両目をジッと睨見ながら、眉間に皺を寄せて何かを念じ始める。

 人間トランプ? 一体何の話をしてるんだろう……。人間将棋みたいなのをやりたいってこと? そういう企画をやりたいなら、行き当たりばったりで人集めようとせずに事前にちゃんと募集をかけておくべきだと思う。

 とかなんとか適当に思っていた時のことだった。何やら私の身体に異変が起き始める。グニュグニュと音を立てて私の上半身を包む白Tシャツが内側から菌によって発酵したパン生地みたく膨張し始めたのだ。わぁ、何これ、どういう原理なの?

 表面の化学繊維のサラッとした質感はそのままなのだが、その外皮の内側は、私の胴体も含めて一塊の紙粘土のような状態になっているような感触がある。クレイアニメのようにグネグネと蠢き始めた白い生地はまるでコンニャクのような長方形を目指して膨らみ始めているようで、やがて横は私の肩幅と同じくらい、縦は襟元から両脚の付け根ぐらいまでを覆い隠す程度の大きさまであっという間に拡張していった。その過程で、私が履いてきたミニスカートはいつの間にか膨張した白い生地の中に飲み込まれてしまったようで影も形も見当たらなくなっていた。そうして気がつくと、私はまるで素っ裸の上から白いカード型の着ぐるみを着ているような姿へと変えられてしまっていた。そのカード型の両側面から私の肩から先、上腕から指先までがスラっと生えていて、底面からは私の両脚、白い太ももから膝小僧、くるぶしあたりまでが外気に晒され、四角くなった白い胴体と白いスニーカーを履いた足先を覗くと全て私の生まれたままの素肌が露わにされてしまっている。毛の処理をまめにしておいて良かったよマジで。そしてそのカード型の着ぐるみのような外郭の厚さはいつもの私の身体の厚みとほとんど変わらない。そのため、その白い生地が胸元やお腹、肩や背中やお尻まで、ピッタリ素肌に密着してきているような感じがある。特にお尻なんかはカード型の角張った形に収まりきっていないようで、その底面の一辺のだけが私の元々のお尻の形そのままにプリリンとした丸みを帯びてしまっているのが分かる。カードのおもて面にも、私の身体の丸みやお腹にのった肉の感じが表面にうっすら浮かび上がってしまっていた。というか、平面になった白い生地そのものが私の素肌と一体化してしまって、生地表面に私自身の素肌と同じような触感などの感覚が通じ始めているような気がしてならない。

 そんな感じで身体のシルエット自体はカード型の直方体という終着点に近づき落ち着いてきたものの、身体の変化はまだまだ終わらない。白Tシャツの左胸についていた黒いマークはいつの間にか揺らぐように消えていて、代わりにカード型の胴体の左上と右下にそれぞれ、それこそさっき女が口走った“トランプ”を思わせるスートマーク……『♠︎A』というスペードのエースを示す文字が浮かび上がってきた。偶然なのかは分からないんだけど、このマークで示されている『A. A.』というのは私のフルネームのイニシャルでもある。さらに私の背中側、カードの背面にはいつの間にか本物のトランプの裏面に描かれているみたいな幾何学模様のような絵柄がびっしりと紋様のように浮かび上がっていた。それに気づくと同時、私の胸元を覆う白い生地がくり抜かれるようにパックリと開いていき、やがてこのカードそのものを表す大きな一つのスペードマークの形の穴を形成していった。その穴には金魚すくいのポイみたく内側から厚手のタイツのような黒い膜が張っていて、それ越しに私の両胸、お椀型の二つの丸い膨らみがスペードマークの下の方の丸みの部分に沿うような形でムニッと飛び出し、その形が露わにされてしまっていた。

 ここで変形が終わってくれれば『元の私がスペードのエースのトランプ着ぐるみを着込んだような格好』という説明で済むのだが、さらに最後の仕上げとばかりに、カード型の白い生地の中へと私の首がズブズブと埋もれ始めてしまった。そのまま顎から頬、ポニテに結んだ頭の先まですっかりトランプ型の胸元に飲まれてしまい、本来は肋骨や背骨、たくさんの内臓が詰まっていたはずの胸からお腹の方までズプズプと私の頭蓋だったものは胴体の只中を沈んでいく。私の身体の中は昆虫の蛹の中身のようにドロドロと流動的な状態になってしまっているようで、白っぽくて生暖かくて粘り気のある流動状になった体内の中では視界が確保できず、どうにかして光の兆しのある方へと首を伸ばしてみる。

 ……そうして顔を出してみた場所は、胸の膨らみよりもさらに下、元々は私のお臍だった箇所だった。白い生地に浮かんでいたお腹の中ほどの窪み、お臍の穴がだんだんと広がって、やがて膜を破るようにして私の顔がズプッと外界に現れ、前髪などの遮蔽物もない容貌が晒け出される。ところがその顔自体も胴体を通過したことによって変化に曝されてしまったようで、元々の肌の色とはかけ離れて胴体と同じ白色に染まっており、石膏で作った彫刻みたいに目を閉じて眠っているような表情で固まってしまっているのだった。まるで私の顔で作ったデスマスクのようだ。目は閉じているのだが、不思議なことに外界の様子はまるで俯瞰しているような視点で窺うことができている。変化が一通り落ち着いたことで少しずつ身体の自由が効くようになってはきたのだが、顔の表情はすっかり彫像のように固まったままで、両手でお臍から生えた顔をペタペタと触れてみても動かすことができない。元々私の頭が生えていたカード型の上面も確かめてみるが、まるで初めから何もなかったかのようにすっかり均されてしまっているようだ。

(ちょ、ちょっと! なんでこんなおかしな格好になっちゃったの?!)

 今の私の姿は傍から見ると、厚みのあるトランプカード型の直方体の両側面から人間の両腕、底面から素足がいきなりニュッと生えていて、正面の黒くて大きなスペードマークの上には元々は胸の丸みだった二つのお椀型がポッカリと浮かび、その下には人間だった頃の私のかんばせを模った白い石板みたいなものが掲げられているというような、まるでホラー作品か何かで出てきそうな不気味なクリーチャーみたいな見た目に変貌させられてしまっているのだった。これで驚くなという方が無理なことだ。


「ケーッケッケッ! トランプゴーレムへの変身が完了したザマスね?

 こうなればこっちのものザマス! 私に付き従い、残り51枚のトランプを集めるのを手伝うザマスよ!」

 そう言って女が私から目を離し振り向いた隙を狙って、私は背後から咄嗟に飛びかかり羽交い締め、障害物となる首がないことを利用してそのまま相手の両肩と首元を固めにいく。

「がっ?! ……えっ、えっえっ?

 な、何が起きているザマス!? なんでトランプゴーレムの姿なのに私の命令が通じてないザマスっ?!」

(何が起きているはこっちのセリフよ! マジックか何か知らないけど、こんなヘンテコリンな姿に変えてくれちゃって! せっかく着ていく服装どうしようとか頑張って考えてきたのに、こんなんじゃゆっくりデートできないじゃないの。早く元に戻しなさいよ!)

 女の想定では、この姿になった私は本来は彼女の命令に背くことができないはずであるらしかった。ところが実際には、私はこうして自分の意思で身体を動かし、女に反抗することができている。理由は分からないが、この女に分からないのであれば、私には尚の事である。本当なら罵詈雑言の言葉すら投げかけてやりたいところだったが、顔が石像みたいに固まってしまっているせいで声を出すことができない。代わりに女の関節を極めにいくことで抗議の意思を表していく。相手の懐に入ってしまえばこっちのものである。高校何年生の頃だったか、体育の選択授業が剣道・柔道・創作ダンスの三種類からの選択制だったので、てっきり三等分くらいの人数比になるだろうと思い込みなんとなくその時のノリだけで柔道を選んでみたところ、実は自分以外の女子生徒のほとんどは創作ダンスを選んでいて、半年くらい週一でひたすら男子生徒連中を相手に稽古する羽目になったことがある。仕方がないので自分なりに頑張ってみた結果、学期末には男子生徒の大半は私に敵わなくなっていたのだった。こっち才能だけでいえば金メダル級やぞ。舐めんなよ?

 まだ早い時間帯なので公園に人通りがなかったのは幸いだった。絵面的には、ハイレグレオタードの露出度多めな衣装を着た銀髪の女が、人間の手足が生えた四角いシルエットの化け物に上半身を締め上げられているような状況である。機動隊とか来そう。

「痛い痛い痛い! えっ、この時代の人間ってここまで野蛮だったんザマスか……? 聞いてた話と違うザマスよ!?

 術も効いてないし、予定を練り直すしかないザマスね……。撤退、撤退……!」 

 なんとか力を振り絞って私の両腕のロックの隙間を縫って抜け出すと、女は自分が出てきたワームホールの方へと這う這うの体で転がり出る。芝生の上のマントを通りがけに回収し、噴水池の水を一足跳びぐらいの勢いで跨いで飛沫のカーテンを浴びながら柱の穴へと引っ込んでいくのが見えた。非力の割に逃げ足だけは早い。

(ちょっ、待ちなさい! せめて私を元の姿に戻してから帰りなさいよ!)

 そんな心の声が届くわけもなく、例のCGみたいな穴はグチョグチョと音を立てて閉まり、跡形もなく消えてしまった。あとにはトランプカードのクリーチャーみたいな姿の私だけが残された。一体なんだったの、あの人? 一般人を異形の姿に変身させるドッキリ企画とかが最近流行ってるのかしら? いい迷惑よねぇ。


 そんなことを考えていると、噴水のすぐ横の時計塔が彼との待ち合わせの時間ちょうどを示したのが目に入った。まずい、こんなおかしな格好を彼に見られるわけにはいかない。なんとなく肉体感覚的には、あの女がこの場からいなくなったことでしばらく時間が経過すれば自然と元の人間の姿に戻っていく予感はあった。しかし、彼がこの場に到着するまで間もないことを考えると、悠長に待っているわけにもいかない。

 まずは少しでも人型に近づく必要がある。とりあえずお臍の孔から覗いている白い石板みたいな顔を胴体の内側へ収めていく。首をグイグイと引っ込めて顔がお腹の中に埋まってすっかり見えなくなると、頭蓋の大きさの分体積が膨らみ丸みを帯びた腹の上、顔の大きさまで拡張されていたお臍の穴が顔はめパネルみたいにポッカリと開いて、中の暗い空洞を晒したままになっている。……流石にこのままだと見栄えが良くないので、ブラのカップに脇の肉を盛っていく時みたく両手で膨らんだお腹の肉を両手で穴の方へ寄せていってやると本物の粘土細工のように穴が埋まっていき、やがていつも通りのお臍とお腹の形へと戻すことができた。そうしてお腹の肉を両手で押し込んでいるうちに、胴体に収まった頭もポンプみたいな要領で押し上げられだんだん腹から胸、首元の方へと移動していった。大体このへんかなという辺りで、被った洋服の襟元から頭を出す時みたいな要領で首をヨイショと外に押し出してみると、狙い通りカード型の上面の元の首が生えていた付近から頭を出すことに成功した。しばらくぶりに瞼を開いて、いつも通りの視界が戻ってきたことを確かめる。肌も先ほどまでの石像みたいな感じではなく、人間だった時のピチピチで瑞々しさ溢れる素肌に戻っていることが両手で触れた感じで分かる。「あー、あー、うんんっ、ん゛っ」よしよし、声もちゃんと出せるね。私のチャームポイントである大人っぽい低い声が帰ってきましたよ。



 そんなわけで、先ほどまでの人外じみたシルエットからなんとか人間の原型が残る姿に戻ることはできたのだが、残念ながらそこで時間切れだった。

「あれっ……アコちゃん、だよね……?」

 背後からの問いかけに私はビクッと身震いしたあと、振り返る。声の主はやはり、待ち合わせをしていた私のボーイフレンドだった。

 うわ〜見られた……。心中私は思わず天を仰ぐ。素っ裸でトランプの着ぐるみを着込んでいる(ように見える)このおかしな姿をバッチリ視界に収められてしまった。私のことなら大体いつも全肯定してくれる彼だけれども、流石にこれは引かれるよねぇ……? どう誤魔化そうかしら……最近のバ◯ガールってこんな感じらしいよーとか適当ぶっこいたら乗り切れないだろうか。無理か……。

 彼は大きく目を見開いて、信じられないものを見るような表情を浮かべ、一歩二歩とこちらに歩み寄ってくる。私は恥ずかしさのあまり彼から目を逸らしつつ、左手で黒いスペードマーク越しに浮かんだ胸の膨らみを隠し、右手でトランプの底辺を服の裾みたいに下の方へギュッギュッと引っ張って少しでも太ももを隠そうと必死で試みる。


 なぜこんな格好をしているのか上手く説明できずに黙り込んでいる私に対し、彼は思ってもみないような問いかけをしてきた。

「アコちゃん、その格好………………もしかして、俺のために?!!」

「…………えっ?」

 予想外の言葉に、私は彼の表情を窺い見る。──なんだか両眼がキラキラと輝いている。……んー? なんか様子がおかしいぞ?

「それって、あれでしょ! トランプ人間のコスプレでしょ!

 そっか、俺が状態変化ジャンルの愛好家なの、アコちゃんにはバレちゃってたのか! だから今日、俺が最近ハマってるトランプ化のコスプレ姿でデートに来てくれたんだね!」

 私の知らない専門用語を交えつつ早口で捲し立ててくる。ジョウタイヘンカ……? トランプカのコスプレ……? よく分かんないけど、なんかこの場をいい感じに乗り切れそうな気がしたので、適当に乗っかることにした。

「…………そ、そうそう! 喜んでくれるかなって思って、その、トランプ化?の格好を、頑張ってやってきましたよ、はい。今日だけ、特別だからね」

「や……やったー!! ありがとうアコちゃん!! こんな可愛い姿を見せてくれるなんて感激すぎるよっ!」

 身体を隠していた両腕を腰に当てて、黒いスペードマーク越しの胸を反らし、いかにもしてやったり感を出しながら私はドヤ顔をしてみせる。それを見た彼は感情の昂りが抑えきれなかったようで、私の四角い身体に両腕いっぱいムギュッと抱きついてきた。はわわわ……トランプ型の表面にもまだ感覚が通ったままだから、まるで裸で抱きしめられてるみたいでドキドキする……♠︎

 なんだか、変な気分になりそう……♠︎

 ていうか、こういうヘンテコな格好が好きだったんだ……。知らんかった……。なんならさっきまでの人外じみた姿の方がより喜んでくれたんじゃないかという勢いである。ビックリしていないと言えば嘘になるけど、とりあえずこうして喜んでくれたり可愛い可愛いって言ってもらえるのは、あながち嫌じゃないかも……♠︎

「せっかくだから、この着ぐるみ、触ってみてもいい?」

「……うん、いいよ」

「やったぜ」

 彼が遠慮がちに、カードの四隅の角っこをプニプニと摘んだり『♠︎A』のマークをツンツンしたりして質感を確かめてくる。はうぅ……その触り方、逆にくすぐったい……♠︎

「それにしても、これ本当よく出来てるね。どこを触ってもプニプニ柔らかくて、まるで本物の人肌みたい。絶対出来合いの衣装とかじゃないよね? 作るのすごく大変だったんじゃない?」

「ん、まあね。それはね、もう……めっちゃ頑張ったし」

「そっかぁ、俺のために頑張ってくれたんだ。嬉し過ぎるなぁ……」

 よっぽど感動したのだろう、彼はほとんど泣きそうな顔をしている。

「それにしても、アコちゃんに俺のそういう趣味の話ってしたことあったっけ? 正直、世間一般からすると特殊な嗜好だと思うし、引かれるかもと思ってなるべく内緒にしてたつもりなんだけどな」

「ふっふっふ、私も経験豊富な女だからねぇ。なんとなく雰囲気的に、こういうの好きなんだろうなぁ……とか直感的に分かっちゃうわけですよ」

「マジかぁ、やっぱりアコさんには敵わないなぁ」

 さっきから私はその場の思いつきで適当なことしか喋ってないんだけど、彼はいちいち真に受けて相槌を返してくる。本当は男の人とお付き合いするのも彼が初めてだし、経験豊富もクソもないんですけどねぇ……。あといつの間にか呼称が『アコちゃん』から『アコさん』にレベルアップしてるんですけど。そのうち悪いオトナに騙されるじゃないかしらこの人? 不安だわー。ちゃんと私が見守っといてあげないと……。


 こんな感じで二人で人気のない公園で一通りイチャイチャした後、頃合いを見計らってお花摘みに行ったタイミングで元の姿に戻り、改めてデートを楽しんだわけでございます。

 あとこれは余談なんだけど、どうやらその日を境に私の身体にはトランプ化した姿に自分の意思で自由に変身できる能力が宿ってしまったみたいで、その結果時々トランプ化した姿を彼に見せてあげるという二人だけの秘密の習慣ができたのでありました。



おわり

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