第二十一話:一斉授業から個別授業へ
教員一年目の私にとって、アラン先生の授業は毎日が新しい発見だった。彼が注目し導入したRanモードを学ぶ授業は、その性質により従来の黒板と教科書を使った一斉授業の概念を根底から覆した。生徒たち一人ひとりが個別に指示を受け、それを自分のペースで処理し、理解する。それはまるで、教室が小さな研究室に変わったかのようだ。
アラン先生は「アルゴリズム」という概念を教えてくれた。それはただ命令を追うのではなく、なぜその命令が必要なのか、どのような結果を期待しているのかを理解し、それに基づいて次のステップを考えるという思考方法だ。この新しい学び方によって、生徒たちは自ら問題を解決する力を身につけ、知識の消費者から生産者へと変わりつつあった。
授業はもはや教師が一方的に知識を伝える場ではなく、生徒一人ひとりが自分の学びを主導する場になった。生徒たちが自らの手で書物から知識を取り出し、一つの命令として活用していく。学びを探求する様子は、まるで小さな発明家たちが実験に没頭するかのよう。私たち教員もそのプロセスをサポートすることで、教える喜びを新たな形で経験していた。
しかし、この新しい方法がすべての教員や保護者にすぐに受け入れられたわけではない。知識を深め、その過程に価値を求める伝統的な教育方法に固執する声も根強かった。一見、知識をすぐに道具として利用することに対し、時には激しい議論が交わされることもあった。それでもアラン先生は決してその熱意を失わず、一つ一つの疑問に丁寧に答え、新しい教育の価値を根気強く説いていった。いつからか会議室には「温故知新」という言葉が掲示されアラン先生が今までの教育に対してリスペクトを持っていることは皆んなが知るところとなった。
私はアラン先生の下で学ぶことができたことを心から幸せに思う。彼の教えが私の教育観をどれほど豊かにしたか、言葉では表せない。新しい学びの方法が私たちの教室をどれほど明るくし、生徒たちの未来にどれほど多くの可能性を与えているかを日々感じながら、これからも彼から学び続けたいと心から願っている。




