鉄腕アトムのアトムマーチ
「まさか、帰宅RTA部に入部を断られるとは思わなかったな……」
数分後、僕はトボトボと別棟を歩いていた。
というのも、第1候補だった帰宅RTA部に入部を断られてしまったからである。
どうやら帰宅RTA部は直帰をモットーとしているようで、放課後に毎日バイトをしている僕のような生徒の入部は、基本的に断っているらしい。
今言ったように、僕は放課後に毎日バイトをしているので、拘束時間の長い運動部はもちろんダメだろうし、他の文化部もこの様子だと断られそうな気がする。
さて、どうしたものかと頭を悩ませながらフラフラ別棟をさ迷っていると、気づけば、スズランテープで封鎖された、怪しげなフロアの一角に行き着いていた。
「なんだ、ここ……?」
『関係者以外立ち入り禁止ですわ』と書かれたダンボールの切れ端と、弛んだスズランテープのその奥に目を向けてみると、そこには謎の着ぐるみや用途不明の大道具や小道具などが、廊下のそこかしこに無造作に転がっていた。
どうやらこのフロアの一角は倉庫として使用されているのだろう。
そう推測しつつ、封鎖されているのなら長居は無用だと踵を返そうとした、そのとき。
「ん?」
カタン、という物音が耳に届いた。
(どこかの荷物でも崩れたか?)
なんて疑問も束の間、今度は物音の代わりに綺麗な歌声が耳に届いた。
いや、綺麗な歌声と言っても声量は極々小さく、そもそもほとんどメロディだけなので、たぶん鼻歌なのだと思う。
(立ち入り禁止エリアで、謎の鼻歌……)
ムクムクと好奇心が湧き出て来る。
僕も男だ、こういう不思議な出来事にはワクワクしてしまう質である。
まるでセイレーンの歌声に誘われる旅人のように、立ち入り禁止の警告を無視してスズランテープを跨いで越えると、奥へ奥へと足を進めるのだった。
「ここ、か?」
疑問符と共に顔を上げてみると、目についたのは、なんの変哲もない普通の教室。
ただ、その教室のドアには、まるで存在を主張するかのように【オーディオ部ですわ!】とデカデカと書かれたA4の画用紙が、セロハンテープで貼られてあった。
キョロキョロと周囲を見渡してみると、さきほどまで廊下のそこかしこに無造作に転がっていたはずの荷物類は、この教室の周りだけ撤去されていて、意図的に人の手が入っているのは明らかだった。
(ふむ)
部活動一覧に載っていない、オーディオ部。
……物語はきっと佳境だ。
僕はムクムクと膨れ上がって止まない好奇心を満たすため、僅かに開いていたドアの隙間から、室内へと目を向けるのだった。
──そこに居たのは、教卓に腰掛け、気持ち良さげに鼻歌を歌う1人の女子生徒。
目を閉じて、時折リズムを刻むように足を揺らすその女子生徒は、胸元のリボンが赤色のため同学年である事は認識出来た。
ただ、その綺麗な横顔は、見た事の無い生徒の顔。
ドアの隙間から、見える範囲をザッと見てみたが、どうやらこの教室には彼女しかいないようで、とどのつまり、鼻歌の正体は彼女という事になる。
「はぁ……」
思わず零れる、ため息。
先程まで好奇心でワクワクしていた気持ちがみるみる萎んでいくのがわかった。
なぜなら、僕がコミュ障ボッチだから。
鼻歌の主の正体はわかった。
ならば後はここで何をしていたのか、オーディオ部とは何なのかなど、解明したい気持ちはある。
とはいえ、男子生徒ならいざ知らず、同学年といえど見ず知らずの女子生徒に声を掛ける勇気など皆無。
そんな勇気があるなら、コミュ障ボッチなどになっていないのだ。
「アホらし。帰ろ、ん?……えっ!?」
一転、僕はドアに張りつき、息を飲んだ。
……僕は、彼女に釘づけとなっていた。
いや、正確には彼女の装着している、美しいヘッドフォンに。
(あれはっ!【STAX】のSR-X9000!?)
STAXとは1960年に世界初となるコンデンサー型ヘッドフォンを製品化した、日本が世界に誇る音響機器メーカーさんだ。
そのSTAXのヘッドフォンでクラシック音楽を聴く事が僕の夢の一つであり……まさかこんなところで同士に出会えるなんて思ってもみなかった。
(どんな、音質なんだろう。なんのクラシック音楽を聴いてるんだろう……近くで、見たい。聞きたい。聴いてみたい)
僕はいつの間にか教室のドアを開け放ち、まるで蜜に誘引される蜜蜂のようにフラフラと彼女へと近づいていた。
「ふふふ、ふんふんふふ〜ふふ〜♪……えっ?きゃぁぁぁああッ!?」
あと数センチで手が届く……といったところで、目の前の女子生徒は漸く僕の気配に気づいたらしい。
大きな目を見開いたかと思えば、次の瞬間には事件性のある悲鳴を上げて教卓から転げ落ちていた。
その声と姿にハッと正気に戻るも、もう遅い。
自分の顔からサーっと血の気が引いていくのがわかった。
「ご、ごめん!だい、じょうぶ……?」
とりあえず、転げ落ちた拍子に捲れ上がったスカートと、そこからチラリとのぞく純白のショーツを出来るだけ見ないようにして、慌てて手を差し伸べる。
「もう、なんなんですの!?あなた、どこのどなたでして!?ここは関係者以外立ち入り禁止でしてよ!?」
彼女は僕の差し出した手を借りる事なく素早く立ち上がると、その端正な顔を歪めてこっちを糾弾するように声を張り上げていた。
「え、えと……あの、その……ごめん。部活動見学でウロウロしてたら、君の鼻歌が聞こえてきて、それで……」
「………………へぇ」
しどろもどろになりながら、どうにか弁明しようと頑張ってみたものの、彼女の顔には猜疑心がありありと浮かんでいた。
それはそうだろう。
ハァハァと興奮した顔で、自身に触れようとして来た見ず知らずの男子生徒の言葉など、誰が信じると言うのか。
現に彼女はジリジリと僕から距離をとり、すでに窓際まで移動していた。
そんな彼女の行動に、まるでパロプンテを食らった村人のようにテンパってしまう。
ただ、悲しいかな僕の目は、彼女の……STAXのヘッドフォンに今も釘づけとなっていた。
「ね、ねぇ……こんなときに不躾な質問で申し訳無いんだけど、君の使ってるそれって、STAXのヘッドフォン、だよね?」
「……えぇ、そうでしてよ。それがどうかしまして?」
彼女は首元に移したヘッドフォンに軽く触れると、そう答えた。
「じゃ、じゃあさ。ソレで何を聴いていたの?も、もしかして……」
逸る気持ちを抑えきれず、捲し立てるようにそう問いてみると、少しの間怪訝な顔をする女の子。
「知りたいのなら、お教えしますわ。私が聴いていたのは──」
果たしてバッハかシューベルトか、いやショパンやハイドンも最高だよね!なんて妄想する僕の目の前で、彼女は声高らかに、そのスレンダーな胸を張って、こう答えた。
「──アニソンですわッ!!」
「……………………………………は?」
茫然自失といった様相で立ち尽くす僕を尻目に、彼女は弾むような声色で言葉をつづけた。
「アニソンと言いましても、今聴いていたのは【鉄腕アトムのアトムマーチ】。アニソンの元祖ですわ。とはいえ、アニソンの起源を辿れば【黒ニャゴ】をはじめ、アトムマーチより古いモノは幾つか存在しますわ。ですが、日本初の30分テレビアニメシリーズとしてオープニングやエンディングで主題歌を挿入するという、現代アニメのフォーマットを確立させた鉄腕アトムこそ、アニソンの元祖だと私は思うのです」
彼女はつらつらと、まるで宝物を自慢するように言葉を紡いでいる。
ただ、僕の心は徐々に冷めていくのがわかった。
「……て、くれ」
「その中でもアトムマーチは……って、なんですの?何かおっしゃいまして?」
「止めてくれって、言ったんだ。……アニソンなんて、くだらない」
「なっ!?」
目を見開いて、唖然とする女の子。
僕はそんな彼女に吐き捨てるように、矢継ぎ早に言葉を続けた。
「アニソンなんて、ただ煩いだけの、低俗な文化じゃないか。そんなアニソンなんかを聴くためにSTAXを使うなんて……STAXが可哀想だ」
「な、なな、な……ッ」
まるで壊れた蓄音機のように、言葉に詰まる女の子。
初対面の人と会話のキャッチボールが出来たという達成感の反面、『言い過ぎたかも』という罪悪感を悟られないように、僕はクルリと彼女に背を向けた。
「ッ、どこに行くつもりですの!?」
「どこって、バイトの時間だし、もう帰るんだよ」
「お待ちなさいッ!」
「ひッ!?」
僕からジリジリと距離をとっていたはずなのに、なにかの琴線に触れたのか、一転してターミネーターダッシュで僕へと迫って来た女の子。
そんな鬼の形相で迫り来る女の子に危機感を覚えた僕は、脱兎の如く教室を後にするのだった。
「……なんなんですの」
件の男子生徒が走り去った教室で、俯いて肩を震わせる彼女は、ポツリポツリと声を漏らした。
「なんなんですの」
ほんの数分前までは気持ち良く、心から愛するアニソンを堪能していたというのに。
「なんなんですのッ!!」
怒髪天を衝くとは、まさにこの事。
「羊ッ!」
「御用でしょうか、お嬢様」
「あの唐変木の事をすぐに調べなさい。手段は問いませんわ」
「畏まりました」
彼女は決意した。
絶対に許してなるものか、と。
「許しません。ええ、絶対に許しませんとも!私の愛するアニソンを侮辱した事、末代まで後悔させてあげますわッ!オーッホッホッホッホ!!」