新たな出会い
春というものは大変素晴らしいもので、春の芽吹きという言葉にもあるように、色合い豊かな草花が、まるで新たな出会いと門出を祝うように満面と咲き誇る、そんな彩りのある季節である。
この春から高校生になった僕、古倉匠人も、その新たな出会いとやらに胸を躍らせていた一人だ。
然し、入学から1ヶ月も経った今ではそんな気持ちなどすっかり失せているわけで。
あとはただ淡々と、変わり映えのない毎日を過ごしていたりする。
僕の通っている妙音高校は全校生徒数2000名ほどの私立学校で、創立は17年前とそれほど歴史があるわけでは無いものの、毎年多数の生徒を有名大学に輩出している県下でも有数の進学校である。
また文武両道の校訓の下、部活動もとても盛んで、県外・国外からの入学生・留学生も多く、生徒達の自主性を重んじる自由な校風も相俟って、みんな伸び伸びと高校生活を楽しんでいるらしい。
(青春、ねぇ……)
大人達はよく『学校とは集団行動・集団生活を培う場所』だと言う。
ふざけるな、と思う。
学校は勉学に勤しむ場所だろう、と。
そもそも、不特定多数の未成年を集めて『さあ、みんなで青春を謳歌して下さい』なんて、大きなお世話なのだ。
……なんて、かく言う僕も気の合う友達の1人や2人出来たのなら高校生活をだいぶ楽しめていたと思う。
だからこそ、1ヶ月前の僕は大事な事をすっかり忘れていたのだ。
──自分が極度のコミュ障だという事を。
「ミオちゃん、おはよーっ!今日は珍しく歩きなんだね?」
「スバちゃん、おはおはぁ〜。そうなんよ、バスの定期券バッグに入れ忘れたみたいでさぁ。あーぁ、脚が太くなるわぁ」
「あははっ、もうじゅーぶん太いよミオちゃん!」
「は?」
「え?」
(………………)
桜の散った通学路。
友達と楽しそうに会話をしている女子生徒達を足早に追い抜いて、坂道をサクサク登る。
校舎へ伸びる長い坂道は、女子生徒達から『脚が太くなる!』と不評であるものの、運動部に所属している生徒達にとっては格好の鍛錬場となっているようで、毎日汗だくで走る生徒達の姿は妙音高校の一種の名物となっていた。
校門を潜って校舎に入ると、下駄箱から真新しい上履きに履き替え、1階の奥へと足を進める。
1年7組。
それが僕の在籍するクラスである。
開けっ放しになっていた教室のドアを潜ると、数名の生徒達が各々談笑している姿が目についた。
「なはははは!それでさぁ、言ってやったんよ『おっちゃん、ナンパはガタイじゃ無いんだよ』ってね!……お?」
(まずい)
前の教卓付近で1番騒がしくしていた集団の中の1人と、一瞬チラリと目が合ってしまった。
僕はそれに気づかなかったフリをして早足で自席へと向かったものの、どうやらそれは無駄な小細工だったようで……その男子生徒がポンっと僕の肩に手を置いた。
「おはよのピース!タクトくーん元気ぃ?今日も相変わらずテンションサゲサゲで低血圧の圧勝って感じじゃーん!だいじょぶそ?」
「あ、はは、おはよう、夏君」
「夏くんとかマジウケる!ウチらマブ友なんだから気軽に【トノ君】って呼んでって言ってるじゃーん!ほら、リピートアフターミー【トノ君】」
「………………あ、ははは、はぁ……」
マシンガントークで絡んで来た、彼の名前は乙野夏。
名前負けしない陽気オーラと、眩しい笑顔。
高身長でスラリとした体格に、着崩れたブレザー。
『1学年の生徒はほとんど友達』と豪語するくらい交友関係は広く、誰とでも分け隔てなく絡む親しみやすい性格をしているパーフェクト陽キャ。
愛称は本名の乙野夏をもじってお殿様。
僕の唯一の友達?と言える生徒である。
「「「「「トノくーん!!」」」」」
「──でさ、言ってやったんよ『おじぃちゃん、諦めたらそこでナンパ失敗だよ』って……お?ごめーんタクトくん、女子ズに呼ばれたから話の続きはまた今度!」
「あ、うん気にしないで」
嵐のように絡んで嵐のように去っていった夏君のテンションに、朝から活力がゴッソリ削がれた気がする。
さながら草臥れたサラリーマンのように自席に腰掛けて、チラリと時計を見てみると、SHRまで多少の時間はあるようだった。
(今日は……ショパンの華麗なる大円舞曲でも聴こう)
そう思い立ってスクールバッグから取り出したのは、使い古したMDウォークマンとMDディスク、それと100均で買ったイヤホンだ。
「ちょっとぉ、あの根暗くぅん……また変な機械出していつも何してるんだろぉ?盗聴?」
「知らな〜い、英単語のリスニングでもしてるんじゃな〜い?」
「へぇぇ、偉すぎて草www」
(黙れクソビッチ共!これはリスニングじゃ無くて、ショパン!!クラシック音楽!!!高尚な芸術音楽!!!!)
なんて声に出して言えるわけも無く、1度息をついて気持ちを落ち着かせると、MDウォークマンの再生ボタンをクリックした。
【華麗なる大円舞曲】。
この曲はポーランドの作曲家フレデリック・ショパンが1833年に作曲したピアノのためのワルツで、彼のワルツ作品の第1作である。
非常にキャッチーなメロディーと聴く人を驚かせるような意外性のある展開が特徴で、リサイタルや発表会などで演奏される機会も多い名曲のため、題名は知らなくても聴いた事はある、という人は多いだろう。
僕は華やかな変ロ音のファンファーレに身を委ねるように、自然と目を閉じるのだった。